第39話【温室のなかで】


 ブラディア山のふもとであるバーベン領には様々な種類の温泉があり、ほとりに温泉郷が作られている。


 いま僕たちが休暇を過ごしているのはその内の一つ、ヴィッラ・バハンだ。

 デボラさん一押しの温泉郷で、泉質は獣人にやさしく、毛並みが十歳は若返るらしい。


 バーベン地方で採れる岩を敷石にした道は色彩豊かで、さすがアルドヴィンの貴族達の別荘がある保養地といった風だけど、客足が伸びる季節にもかかわらず、人通りもまばらだ。


 それも独立戦争の事を思えば当たり前だ。

 領地の存亡がかかっている今、ブラディアの貴族が湯治にくるなどあり得ない。

 平和ボケしたアルドヴィンの貴族にだって敵国の保養所にくる者はいないだろう。


 今は非常事態。

 そしてその非常事態に温泉を堪能しているのが僕らだ。


「……帰っても皆に怒られるしなぁ」


 冷たい空気をすいこみ、息に葛藤を思い切りためこんで吐き出した。

 割り切るにはまだ時間がかかりそうだ。


 温泉郷の大通りから遠ざかると、すぐに偽ジオードグラスで作られた温室がみえてきた。

 王国に逃げる商会の一つが持っていたもので、温泉も止めておらず中は暖かいままだ。


「ただいま、必要な資材を手に入れてきたよ」


 温室に入ると、鉢に植えられた様々な植物と、その隙間からのぞく色とりどりの三角耳が出迎えてくれた。


「おかえり、寒かったでしょ」


 白銀の耳を立てたリュオネが駆け寄ってくる。

 後ろでは衛士隊の子達やデボラ、そしてなぜかいるエヴァが背中を伸ばしている。


「たしかに、仕入れに方々をまわったからな」


 仕入れてきた植木鉢や園芸用の土を休憩用の大きなテーブルの脇につんでいく。

 最後に風呂桶のような特大の植木鉢を出して、園芸用の荒い砂利などをいれ、最後にコズウェイ領で採っておいたフォクステールの株を据えた。


 まだ銀級に上がっていない衛士隊のレイ達は初めて見る植物に群がってしっぽをゆらゆらさせている。


「団長、それも採取してきたのぉ? 私それ嫌いなのよねぇ、触手野郎を思い出すから」


 エヴァが顔をしかめて文句をいってくる。

 銀級冒険者歴が長いデボラやミワも同意見みたいだ。


「で、でもさ! 花がフィオさんの尻尾みたいにふわふわで可愛いでしょ? テンタクルの事はおいといて、この子自身を見てよ!」


 リュオネが必死にフォクステールの良さをアピールしている。

 株を掘り起こしてでも持っていこうとせがんだくらいだし、よっぽど気に入ってるんだろうな。


「まあまあ、それもプラントハンターの目的だから大目に見てくれ。それより、軽食を買ってきたからみんなで休憩にしよう」


 衛士隊の皆から歓声があがる。

 やっぱり作業をしているとおなかが空くからね。

 あらかじめ神像の右眼に収納していた果物や焼き菓子、それに蒸し時雨しぐれという蒸し菓子をテーブルの上に出した。


 蒸し時雨は蒸しパンのタネで卵黄と砂糖の餡を包んだものだ。

 温泉の蒸気がパンの種を一気に加熱するので、中の餡に火が通り過ぎない。

 餡がトロトロのまま食べられるというこの土地ならではの名物として有名……とクローリスが得意げに話していたので買ってみた。

 美味しかったらお土産に買っていこう。


 テーブルに集まって食べ始める皆をよそに、僕はさっきまで皆が世話をしていた植物の方に向かった。


「……うん、シルトが言っていた通り、すぐに大きくなるな」


 朝に見たエパティカの芽が夕方の今はもう葉になって開いている。

 そっと鉢から抜いてみると、根はもう太く節くれ立っていて、地下茎を作り始めている。

 皆に植えてもらった種も、ここにいる間に地下茎を採れるくらいになるだろう。


 そうでなくては困る。

 これを使って対魔人用の特殊武器を量産する。

 団員には魔人になって欲しくないし、それを倒す側にもなって欲しくない。


「ザート」


 後ろからかけられた聞き慣れた声でわれにかえった。


「大丈夫だよ」


 隣でかがんでいるリュオネは、こちらを見ずに苗の細い葉をそっとすくい上げて見ている。


「団長だからって、今からそんなに背負うことないよ」


「でも、僕が備えていれば……」


 泣きながら剣をふるっていたギルドマスターのジェフさんを思い出してしまった。

 戦争をするなら、あれくらいの悲劇は起きる。起きない方がおかしい。

 わかってはいるけれど、組織の責任を負うことは、僕一人が戦うのとは比較にならないくらい、怖い。


「備えても、起きてしまうよ」


 目を伏せた笑顔で、突き放すような言葉をリュオネが口にした。

 つい険しい目を向けてしまう。

 それでもリュオネはたじろがない。


「でも大丈夫だよ。私も一緒にいるから」


 ね? と首をかしげてこちらをみるリュオネの優しい笑顔には、僕よりずっと前から人の上に立つ者として生きてきた誇りと覚悟があった。


「そうだな。一緒にいて欲しい」


 気づけば口が動いていた。


 いや、まて僕は今何を言った?

 まずい、今自分が大事な事を言ってしまった気がするのに覚えていない。

 

「そういえばー、団長とリュオネ様はなんで植物を集めてるんですか?」


「「えっ!?」」


 それは将来……いや、本当の事は言っちゃいけないんだった。

 まずい、最近聞かれてなかったから油断していた。

 リオンはどんな理由をまわりにいってたんだ?


「それは、思い出を集めているんだよ。冒険者を引退した時に一緒に庭を造って二人でお茶を飲むんだ」


「「「二人で!!」」」


「ちょっ!? ばっ! リュオネ」


 自分からばらすなんてどういうつもりだよ!


「違うの?」


 そういって首をかしげるリュオネは先ほどの気高い笑顔とは違う、どこか小悪魔的な、こちらを試すようないたずらっぽい含み笑いをしていた。


「違わない……」


 不意打ちをするなんて、リュオネも言うようになったじゃないか。

 などと考えても顔のほてりは増すばかりだ。


 黄色い歓声と、一部女性とは思えないドラ声を背に受けながらもう一度リュオネを見ると、膝をかかえて少し揺れながら子供のような笑みを浮かべていた。




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