第36話【静かな戦いの終わり】


 オロクシウスの衝撃が、華奢なフリージアの骨格を粉砕した。

 どれだけ身体強化をしても、核となる全身の骨が折れていては力は伝わらない。

 武器も手から離れ、無詠唱使いでもないフリージアに、もはや戦う力はない。

 後は頭を破壊するかマガエシを使えば魔人フリージアは滅びる。


 僕は鉄板の上で浅く呼吸をするフリージアの側に膝をついた。

 もちろん、念のため浄眼で彼女の白い光を吸い続けている。

 意識があるのか、話す事はできないけれど、瞳が怪訝そうにこちらをのぞき込んでいる。


 フリージアは魔人となって戦っている間も、叔父の名を叫び続けていた様に聞こえた。

 それは理性をともなわない妄執もうしゅうの叫びだったかもしれない。

 けれど、僕はコズウェイ領に入って以来、魔人の生態をみてきて、魔人の心は衝動に塗りつぶされているだけで、その下にはまだ理性が残っているんじゃないか、という期待を捨てきれずにいた。


「フリージア……さん。叔父に、ジョアンにまた会いたいですか」


 まぶたがわずかに見開かれ、朱い瞳に光がさした。

 僕は答えを聞く前に、血殻の柱を数本取り出して右手に持ち、彼女の乱れた前髪をかき分けて左手の指を額にそえた。

 浄眼と組み合わせた魔力操作により、彼女の瞳の魔力を柱に移す。


 たぶん視界も変化しているのだろう。

 一時的に灰色に戻った瞳に困惑の色をたたえるフリージアに僕は言葉を続けた。


「この通り、僕はある程度ならば、注がれた魔素を凝血石のカラに移すことができます。法具の中で貴方から魔素を吸い続ければ、理性を保つ身体にするか、もしかしたら魔人化を解くことが出来るかも知れません。成功は保証できませんし、ジョアンを救えるかもわかりません。それでも、これまで待ち続けたなら、もうすこし法具の中で待ってみませんか」



 助ける事が出来なかった、手前勝手な贖罪しょくざいだとは思う。

 それでも、もし自分が彼女の立場だったなら願うだろう事をしたい。


 僕の思いが通じたのか、彼女はぎこちなく口元をつり上げた。


 その笑顔を肯定と受け取り、僕は神像の右眼からひつぎを取り出し、その中に抵抗しないフリージアの身を横たえた。

 フリージアの牙を血殻でつくったエアバレルに突き立て、その先をおなじく血殻でつくった棺につなぐ。

 棺に手をかけ、魔素を吸い出すと、エアバレルから僕の手まで、凝血石と同じ赤色の経路が幾筋も描かれた。

 浄眼でみれば、口元からだけではなく、フリージアの身体全体から魔素が棺に移っているのがわかる。


「ザート、魔人化を解くなんて、ほんとにできるの?」


 フリージアの魔素を抜いていると、話をきいたリュオネが不安そうな目で棺をみていた。


「わからない。でも、シルトが魔人になりかけた時は魔素を抜けば戻った。コトガネ様のようにスケルトンでも自我を保っている例もある。魔人化を解く方法として、神像の右眼に収納して、ゆっくりと魔素を血殻に移す方法は試す価値があると思う」


 フリージアの口元の血殻から赤みがきえていき、そこから棺の赤が消えていく。今吸えるだけの魔素は僕の手の中に収まった。

 これでフリージアの体内には最低限の魔素しかないはずだ。浄眼で見ても彼女の体内には普通の白い炎しか見えない。


「さて……『収納』」


 棺にふたをして、注意しながら神像の右眼に収納していく。

 コトガネ様を排出したときのような拒絶反応はない。

 今のフリージアは法具から生物と認識されていないようだ。

 一番の懸念が消えてほっとした。


「後はライ山火口に行って異界門にとらわれているジョアン叔父を解放する、か。独立戦争の準備で手一杯の時にそれをやっていいんだろうか」


 リュオネも僕ももう気ままな冒険者という身の上ではなくなっている。


「大丈夫だと思うよ。今回の件の調査はギルドからもブラディア国からも依頼されるはず。異界門事変で倒れた皇国軍の魔人がいるような奥地になぜ【重厚な顎門】が入ったのか、【ハヌマー】はなんで危険を承知で門を閉じなかったのか、今回の件は不審な点が多いからね」


 そうか、確かに、不審な点があり、フリージアのような貴重な戦力を失った今回の件を調査しないはずがない。

 僕らがそれを引き受ければいいわけか。


「後、魔人になる前のフリージアが法具について気になる事を言ってたな、教団とか……そういえば、さっきの戦いでフリージアの動きが遅くなっていたけど、あれは何をしたんだ?」


 気になっていた事をきくとリュオネが逆鉾を手に取った。


「コトガネ様の話では、マガエシは攻撃力をあげるんじゃなくて、魔人や魔獣の血殻を崩す粒子を出す力らしいよ。全力を出せばリヴァイアサンも消滅させるけど、敵にあわせて使うべきなんだって。今回は刀身をまともに合わせられない相手だったからこうしたんだ」


 そういったリュオネが三刃の鞘を叩くと、翠に光る粒子が吹き出した。


「ああ、剣戟の火花にみせかけた粒子で少しずつ相手の身体を崩していったのか……」


 搦め手で弱らせていったなんて、以前のリュオネの手には無かった戦い方だ。

 純粋な剣技の練度も上がっているし、コトガネ様との修行は順調みたいだな。


「どうしたリュオネ?」


 しばらく一点を見つめた後、リュオネがおもむろに動いた。

 主室に開き駆けた大門の方向に歩いて行く姿を目で追うと、リュオネはボロボロになった皇国の装備を身につけた、フリージアと差し違えた魔人の死体の前にひざまづいた。

 深く憂えた顔で何かをつぶやき、祈るように手を取ると、死体が三刃の鞘から発された翠の粒子につつまれ、装備を残して消えていった。

 リュオネは他の皇国人の死体に対しても同じように祈りを捧げていった。

 

「子供の頃に遊んでもらってた父様の側近達なんだ。彼らの装備と血殻もしまってくれないかな」


 やっぱり、そういう事情か。


「わかった。リュオネと一緒に戦えるなら、彼らもよろこぶだろう」


 あえてミツハ少佐の名はださず、作業をしていく。

 浄眼をつかって収納を終えた後、ただ座っていたリュオネに手を差し伸べた。

 僕を見上げるリュオネは目尻をかすかに光らせているけど、涙をこぼすことはない。

 きりと結んだ口元は、先を見据えるまなざしは、戦いへ向かう覚悟を示しつつある。


 それでもまだ足りない。

 左のまなじりからつと一筋、光がこぼれた。

 僕は見ないそぶりで右手を差し出し、リュオネを引き起こす。

 そのまま顔を見ることなく、肩に顔をうずめる少女の背中を、左手で軽く叩いた。


 見上げると、ギルドマスターのジェフさんと、生き残りらしい数人の男女が階段でこちらの様子を見ていた。

 彼らに左手を掲げ、無事を知らせる。


 勝ちどきもない、無事を喜び合う歓声もない。

 戦いの終わりというにはあまりに静か。

 何十という死体の中に立つ僕達は勝者じゃなかった。

 

 開かれた大門の扉からみえる空に、今年始めての雪が舞っていた。









 




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