第35話【敵国との戦闘(5)〜スズの視点】


 ハンナの強化された太矢が放たれた時、私は総力戦を覚悟した。


 公爵に矢を当ててしまえばもう失敗だ。

 クランリーダー一人に任せるなどと言っていられない。

 第七からの撤退完了の合図が来るまで、乱戦をしてでもできるだけ時間をかせがねばならない。


 自身も戦いに加わるべく、ためらいなく第一小隊の側まで移動した。

 しかし、公爵の息子は動けずにはいるものの、五体満足でいる。

 高位の付与すら打ち破るハンナの矢だ。

 矢避けの魔道具でそれるのがありえない以上、やったのは彼しかいない。


 最悪な状況は免れたけれど、徐々に別な最悪が訪れつつある。

 第一大隊の足が止まっている間に敵の右翼と左翼がスライドして私達を取り囲もうとしてる。

 魔法使いのいる五百の敵に八十の騎兵でどれだけ踏みとどまれるだろうか。


「おい、騎馬隊の隊長。動くなよ。それから妙な身体強化もやめろ」


 公爵の軍から鎧姿ではない、平服の男が進み出てハンナに右手の武器を突き出した。

 魔力整流装置がついたメイスだ。

 さっきの魔法をつかったのはこの男だろう。

 特に気負った様子も無く淡々としている。

 自身の実力に絶対の自信があるのか。


「ゆっくり兜をとれ。妙な真似をすればお前の部下を殺す」


 大きな舌打ちとともにハンナの身体から朱い閃光が消え、兜の下からハンナの獰猛な顔が洗われると敵軍からどよめきがあがった。

 ハンナは大柄ではあるが、けっして醜女ではない。

 ハンナが女だとわかった魔法使いの顔が醜く歪むのをみて、今後の展開がわかった。


「のぞみはなんだ。聞くだけ聞いてやる」


 つまらなさそうにハンナが相手に問いかけた。

 ハンナも予想はついているのだろう。


「望み……? 望みねぇ。俺に望みはないかなぁ。ただのフィリペ殿下の護衛だしねぇ。皆さんはなんかリクエストない?」


 メイスで肩を叩いて背後をみる魔法使い。

 当然のように殺せ、け、犯せといった反吐がでる野卑な言葉が虫の大群のように飛びかう。

 かけられる言葉の恥辱にハンナはじっと耐えている。

 

 第一小隊の背後に潜んでいる自分だけど、いい加減に腹が立ってきた。

 彼は自分で時間稼ぎをしないまま、第七の撤退完了の報告があるまでハンナをさらし者にしているつもりなのか。

 それに時間稼ぎ以前に、このままでは私達も包囲されてしまう。

 


言伝ことづてだ。第七小隊より、撤退が完了した」


 唐突に横に現れた気配に、私の口からは自然とため息がもれた。

 撤退が完了したからなのか、彼が逃げずにいたからなのか、あるいは彼の存在そのものについてなのか。

 とにかく安心した。


「そうですか。それでは私達も撤退しましょう。手伝いは要りますか?」


「スズさんは残って。後は第七に合流させてほしい。これ以上は一般兵の作戦と偽装するのはむりがあるからな」


 偽装をしないのであれば私が残る理由はなんだろうかと思い、たずねてみた。

 すると、予想しなかった答えが返ってきた。


「僕が戦闘不能か死体になったとき、スズさんならリュオネの所まで運んでくれるだろ?」


 平然と笑うその横顔を思わず凝視する。

 彼が死を口にした事より、彼が自分を倒しうる脅威がいると判断した事に驚いた。


「相手は複数ですか?」


「いや、単独だ。たぶん俺しか狙ってこないから。戦闘が始まったらスズさんは少し離れててくれ。それじゃ、号令よろしく」


 そういってクランリーダーはマントの目くらましの魔道具を切って法具から槍を取り出した。

 本当になんでも使えるなこの人は。

 いや、それはどうでもいい。

 とにかく、第一小隊には離脱してもらう。


「ハンナ! 小隊をまとめてポールと合流して!」


「動くなっていっただろう! 『ボルク・レイン』!」


 私の声と同時に発されたコトダマは一度。

 轟音が連続して響く。

 にもかかわらずこちらに攻撃が届くことはない。

 土の壁の向こうで断続的に衝突音が響いている。

 機敏に反応したハンナが小隊に矩形陣形をとらせて、閉じられつつあった包囲をこじ開けて走り去っていった。

 ながく続いた轟音がやみ、土煙がはれる。

 炎魔法でボロボロになったロックウォールの向こうには公爵軍勢が。

 そして敵の魔法使いはこちらを呆然とみていた。


「おまえ……『能なしヘルザート』か?」

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