駅前のトナカイ
この世にサンタなんていない。そう思ったのは去年のこと。つまりは小学五年生の時。
その年、僕がサンタにお願いをしたのは、「どうかこのまま過ごさせて」という、ささやかなお願いだった。
でも現実は残酷だ。僕の願いが叶うことはなく、去年のクリスマスを目前にして、僕の家族は終わってしまった。
父さんと母さんが、離婚した。価値観の相違というヤツらしい。まだ子供の僕にその真相はわからないし、わかったところで意味はない。
それがわかるくらいには、僕は大人だったのだ。
それから、父さんのいない冬休みが来て。そしてまた冬になった。だから僕は冬が嫌いだ。父さんがいなくなった季節だから。
そして今年のクリスマスイヴ。僕は貯めたお小遣いを使って、電車でこの街に来た。イルミネーションがキラキラしていて、とても華やかで。街を歩く人たちはみんな楽しそうで、駅前のベンチで佇む僕なんかには目もくれない。
母さんの目を盗んで色々調べたところ、父さんがこの街に住んでいるということはわかった。だから僕はこの街に来た。人通りの多い駅前で待てば、父さんに会えるかもしれない。そんな期待を抱いて来たはいいけれど、父さんにはまだ会えていない。
僕は寒空の中、ただ父さんを待つ。会えるまで帰らないと決めていた。
何かを成し遂げるには覚悟が必要だと、僕はあるマンガで読んだのだ。あのマンガは絶対に正しい。だから、父さんに会えてないのは自分の覚悟がまだ足りないだけなのだろう。
でも寒い。とても寒い。
帰りの電車賃を考えると、温かいココアも買えそうにない。僕はマフラーをきつく巻き付け、さらなる覚悟を決めた。
その時だった。僕の隣に、誰かが座ったのは。
「お前、こんな時間まで何してんだ? 家出か?」
スーツの上にコートを着たサラリーマン。何故僕に話しかけて来るのだろう。知らない人と話してはいけない。学校の先生の教え通り、僕は無視を決め込む。
「おい答えろよ。お前、八時前くらいからここにいるだろ。もう九時半だ。子供は帰る時間だぞ」
「……知らない人と、話しちゃいけないって学校で教わった」
「そりゃ殊勝な心がけだな」
シュショー? 多分難しい言葉だろう。ちょうどいい、わからないフリをしよう。黙っていると、サラリーマンは言葉を続けた。
「おい、小僧」
「小僧じゃない」
「それじゃあガキ」
「ガキでもない」
「何でもいいけど、このままだと風邪引くぞ」
「いいんだ。成し遂げる為には覚悟が必要だから」
それを聞いたサラリーマンは少し笑った。バカにされているのかと思ったけど、違った。サラリーマンは言う。
「覚悟か。なるほど悪かった。覚悟を決めてるのは大人の証だ、お前を大人と認めるよ」
サラリーマンは急に席を立ったかと思うと、近くの自販機で何かを買っている。すぐに僕の元に戻って来ると、両手を差し出して来た。
「コーヒーか、ココアか。どっちがいい」
「知らない人に何かを貰っちゃいけないって、」
「そりゃ子供の話だ。俺たちは大人だろ? こういうの、大人の付き合いって言うんだぜ」
……確かに。子供は、してはいけないことが多い。でも大人はそうじゃない。それにこの人は、言葉遣いは乱暴だけど良い人そうだ。
「貰ってもいいの」
「一本奢るぜ、ってヤツだ。遠慮すんな」
「ありがとう……」
手に取ったココアは温かくて。うっかり涙が出そうになる。でも涙は流せない。僕は大人だから。
「さてと。お前、どうしてここに長いこといるんだ。あぁ、別に問い質してる訳じゃない。ただの世間話だ」
「……父さんを、探しているんだ」
「父親を? 待ってるのか?」
「ううん、待ってはないよ。探してるんだ。僕の家、去年両親が離婚したんだ。それで父さんがこの街に住んでいるってわかったから、ここで探してる」
「なるほどな。それで覚悟を決めて探してんのか」
「うん」
プルタブを開けて、ココアを一口飲む。温かくて、甘くて美味しい。今まで飲んだ中で、一番美味しいココア。
「そうか、見つかるといいな」
「うん」
「あぁそうだ。お前に良いものをやろう」
その人はポケットから何かを取り出した。それは、手のひらサイズのトナカイのぬいぐるみ。なんでこんなものを持っているのだろう。
「それな、ただのぬいぐるみじゃないぜ。願いを叶えてくれるトナカイだ」
「願いを?」
「これはマジ。俺もそいつに、今さっき願いを叶えてもらった。でも願いは一人一回だけだ。俺はもう使っちまったから、お前にやる」
「いいの?」
「いいさ。でも約束しろよ。そいつに願いを叶えて貰ったら、次は別の困ってるヤツにあげるんだぞ。俺と同じ事を言ってな。独り占めしようとするな、それじゃ願いは叶わない」
僕はそのトナカイを受け取る。そのトナカイと目が合う。少し間抜けに見えるけど、とても可愛い目をしているトナカイだった。
「さて、俺はもう行くよ。会えるといいな、父親に」
「ありがとう、おじさん」
「そこはせめてお兄さんと言え! まだ二十代だぞ、俺は!」
その人は笑った。僕も釣られて笑った。ココアと彼のおかげで、少し寒さが和らいだ気がする。
「あと一時間だ。それで父親に会えなかったら今日は諦めろ。諦めの良さってのも、大人の条件だからな。約束できるな?」
「うん、わかった」
「よし、俺との約束だぞ」
「指切りするの?」
僕が問うと、彼はまた笑った。
「そりゃ子供のする事だ。拳を出せ」
言われるがままに、僕はグーを出す。すると彼が手を軽くぶつけて来た。
コツン。グーとグーが合わさる軽い手応え。彼はニヤリと笑う。
「それじゃあな。メリークリスマス」
「うん、メリークリスマス」
背中越しに手を振りつつ、駅の方へと歩いて行く彼を僕は見送る。
残ったのはココアとトナカイ、それとサラリーマンとの約束。
僕は大人だ。だから約束は守らなければならない。あと一時間だけ、頑張ってみよう。
僕は貰ったトナカイを握りしめて願う。もう一度、父さんに会いたいと。
トナカイと目が合う。不思議とそのトナカイが、寒空の中で優しく微笑んだ気がした。
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