幸せのトナカイ

薮坂

弁当屋のトナカイ


 坊主も走る師走、その二十四日目。つまりそう、世間のカップルが一年の中で最も愛を語らうと言っても過言ではない、その日。

 俺はPCの画面を注視して、手元も見ずに一心不乱に文字を打ち込んでいた。


 ──なんでこんな日に残業なんだよ。

 そうは思うものの、ウチみたいな零細企業は致命的に人手が足りてない。今回は俺の後輩が派手にやらかし、その尻拭いのためにこうして残業中という訳だ。

 ミスが発覚したのは終業時間間際のこと。件の後輩は『直帰』を示すカードを自席に提示しており、つまりはもう帰ってこない。

 そのミスに気がついたのは他でもない俺。そして俺はその後輩の先輩。つまり、そういうことだ。


 世間の人々は、「多分誰もが知っているけど、直接の知り合いは誰もいないという、例のの誕生日前夜」というお祭りに興じているようで、会社には俺以外、誰一人としていなかった。

 件の後輩も「今日彼女とディナーなんすよ」とニヤケ顔で言ってたから、呼び出すのは流石に気が引けた。

 あぁ、何たる貧乏くじ。しかし、誰かがやらねばならない仕事である。さらには残念な事に、いやこれが一番残念な事なのだが、俺には今日、予定らしい予定がないのである。辛い。


 しばらく無言でキーパンチし続け、ようやくこの不毛な残業に目処が立った。あと二時間もすれば、何とか致命傷は免れるだろう。

 俺は一旦作業をやめ、財布と電話を持って外に出た。腹が減っては何とやら。晩飯を食べよう。続きはそれからだ。




 その弁当屋は、会社から程近いところにあった。一人暮らしで彼女も居ない俺にとって、健康な生活の生命線。ここの手作りの弁当は、温かくて本当に美味しい。メニューも豊富で、遅くまでやってくれている素晴らしいお店だ。

 閉店時間ギリギリの午後八時より少し前。俺は駆け込むようにその扉を開けた。


「いらっしゃいませ。あれ、珍しいですね」


「ギリギリにすいません。まだ、お弁当やってます?」


「もちろんですよ。今日は何にします?」


 にこやかに笑う店員さん。その笑顔に癒される。流石に居ないかと思ったが、目当ての彼女はいつもと同じように笑ってくれた。


「ええと、今日のオススメは?」


「それはもちろん、チキン南蛮弁当ですよ。今日ってほら、コレですし」


 彼女は頭の上の赤い帽子を指差した。クスリと笑う彼女。ドキリとする俺の心臓。

 それで良いですかと問われ、俺はろくに考えもせず首肯した。別に何だっていいのだ。彼女とこうして会話できるのなら。


「クリスマスイヴなのに、残業なんですか? 大変そうですね」


「そうなんですよ。でも何でわかったんですか?」


「この時間に来てくれる時は、いつもカバンを持っているじゃないですか。でも今日はそれがないから」


「なるほど、素晴らしい観察眼だ。作家を目指しているのも納得ですね」


「そんなことないですよ。よく来て下さるから、憶えているんです。それに目指しているだけで、まだまだひよっこですから」


 彼女とは、本を通じて会話するようになった。俺が弁当待ちをしている時、手持ち無沙汰で文庫本を読んでいた時のこと。彼女が、「その本、面白いですよね」と話しかけてくれたのがきっかけ。

 何故かお互いの夢の話になったとき、笑わないで下さいねと前置きをされ、彼女は作家になりたいのだと教えてくれた。

 俺はそれを全力で応援している。彼女の物語が本になったら十冊は買う。そう告げた時、彼女がとても可笑しそうに笑った顔を、俺は今でも憶えている。「賞を取ったら読んで下さいね」と笑う彼女に、心を持っていかれたのだ。



「もうすぐ出来ると思います。今、キッチン担当が頑張って作っていますから」


「はい、お願いします」


 このまま待ち時間も彼女と話していたい。でも、彼女の仕事を邪魔することはご法度だ。俺は備え付けの椅子に座り、小さな店内を見渡す。ささやかに飾られたクリスマスの装飾。小さなトナカイのぬいぐるみと、目が合った気がした。


「……それ、可愛いでしょう? 一目惚れだったんです」


 さっきはご法度だと言ったが、彼女から話しかけてくれる時は別。絶対に別。俺はニヤけそうになる顔を固めて、彼女に返した。


「確かに可愛いですね。これを物語に登場させるなら、どう登場させますか?」


「あ、いつものですか。そうですね、それじゃあ、こういうのはどうです?」


 これは、たまに彼女とやる遊びだ。客がいなくて暇な時、あるものをどう効果的に、ストーリーに絡めるかを話し合うというもの。少しでも長く、彼女と会話をしていたい。そう思った俺が提案したものだったけど、不思議と彼女はそれに乗ってくれるのだ。いつもいつも。本当に優しい彼女。


「……そのトナカイは、みんなの願いを叶えてくれるトナカイなんですよ」


「願いを?」


「でも、その願いは一人一回。だからそのトナカイに願いを叶えてもらった人は、次は別の誰かに渡すんです。渡された人の願いが叶ったら、また別の人に渡していく。するとほら、世界がもっと幸せになると思いません?」


「クリスマスにぴったりな話ですね」


「でしょう? そうやって、誰かのことを思い合っていければ良いですよね。そんな優しい世界になるといいなぁ」


 彼女は笑う。俺も釣られて笑う。クリスマスイヴに、彼女とこうして笑い合えるなんて。残業も捨てたものではない。


「さてと、出来ましたよ。チキン南蛮弁当です。お会計、六百円です」


「これ、代金です」


 千円を財布から出す。彼女はお釣りの四百円と共に、俺に例のトナカイを渡してくれた。


「これは?」


「今日はクリスマスイヴですから。プレゼントですよ。もしかしたら、願いを叶えてくれるかも知れませんよ?」


 さらりと笑う彼女を見て、自分の体温が上がる気がした。ぽかぽかする温かな気持ち。


「……ありがとうございます、嬉しいです」


「もしもその子に願いを叶えてもらったら、別の誰かに渡してあげて下さいね」


「はい、また来ます。メリークリスマス」


「はい、お待ちしていますね。メリークリスマス」



 踵を返して、会社に戻ろうとした時だ。そのトナカイが微笑んだように見えた。きっと錯覚が何かなのだろう。でも。

 それを何かの兆しと捉えても、良いのではなかろうか。なんたって今日は、クリスマスイヴなのだから。


 俺はもう一度、踵を返して彼女に向き直る。

 その願いを、握り締めたトナカイに掛けてみる。


「あの、」


「はい? どうしました?」


 首を少し傾げて、笑ってくれる彼女に。

 俺は意を決して、それを訊いてみる。


 彼女はまた、ふわりと笑ってくれた。


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