めりゆり!合唱部で不器用な私が好きになったのは同じ女で自分よりちっちゃい先輩でした!

レミューリア

メリー百合スマス!

 西日が差し込む教室。

 二人だけの世界に、透き通ったような澄んだ高音が響いた。


 人の発声がまるで楽器のようになる瞬間を芸術的と捉えたのか。

 肩の長さまで切りそろえられた黒髪が流麗になびく姿が美しかったからか。

 それともまるで祈るように目を瞑り、手を合わせて歌う姿がマリア像のように清らかで愛らしいからだったのか。

 理由は定かではないが、はっきりとわかっていること。

 それは私がこの瞬間、彼女に恋をしたということだった。


「奏ちゃん、ちゃんと聞いてた?この高音だからね!奏ちゃんは途中入部だからまずこの音を安定して出せるように頑張ろ!ね!」


 自分より背が低いから自然と上目遣いになる少女のような彼女は威厳など全くなく、これが二つ年上の先輩か本当に疑わしいほどだ。


「まるで。全く。全然。無茶苦茶聞いてなかったのでもう一度お願いします先輩」


「あるぇー!!?しょ、しょしょしょうがないなぁ!もう一回やるよ!奏ちゃん!」


 また目を瞑って集中し始めた先輩をよそに隠し持ったスマホの録音アプリを起動した。

 隠し撮りならぬ隠し録り。

 練習の為のサンプル、なんて殊勝な心掛けであるはずがない。

 これはただの下心。

 合唱部一年生女子、相崎奏の不器用な初恋の1楽章。



 昔から、何を考えているかわからない。とよく言われた。

 表情や態度が乏しく親や教師にはさぞ可愛げがないらしい。

 その癖、一度感情が高ぶってしまうと自分でもよく自分をコントロールしきれなくなる。

 それが原因でよく人と摩擦し、衝突を繰り返す。

 4月に入部した陸上部で喧嘩したのもそういうことだった。

 相手からしたら「無表情や無感情かと思えば急にキレた」らしい。

 同い年の学友にもどう接したらいいか困らせてしまう。


 

 孤立していたかったものの一年生は何かしらの部活に所属しなくてはならないという学校のルールに従って適当に決めた合唱部。

 歌うなんてカラオケくらいだったし、入部して少ししたら幽霊部員になる気満々だった。

 マンツーマン指導の相手になる上級生がケンカがきっかけで退部した自分を厄介者として見ているらしいのも好都合だと思えた。


『あるぇー!?誰も手挙げないの?こんな背高い美人さんだよ!?じゃあはいはーいアタシが指導役やりまーす!よろしくね相崎奏ちゃん!』


『はぁ。よろしくお願いします』


 そう言って呑気に挙手をしたただ一人。

 小学生のように身長でぴょこぴょこと跳ねるその先輩。

 明坂花音先輩。

 小さい身体のどこから出てくるのかわからない甲高い声量。

 冷たく接しても明るく返してくる朗らかさ。

 心地よかった。

 同じ性別のこの人に抱く感情は尊敬か。恋情か。友情か。

 それを判別できるほど人付き合いをしてこなかった私だが。

 部活をサボってこの可愛らしい指導役を困らせる気はすぐになくなってしまった。


 そんな訳あって6月に入部して半年、世間はもう師走。

 吹き抜けるの風の冷たさに思わずぶるりと身体を震わせ歩く足取りは重い。

「あー奏ちゃーん!おはよ!」

 声が聞こえて、イヤホンを外し振り返ると。

 そこにはぱたぱたとちっこい全身を使うように手を振る明坂花音かのん先輩。同性の子供相手に欲情しているようで認めたくないが私の初恋の相手。

「元気ないぞー!えいやえいや!」

「肩叩かないで先輩。朝弱いの知ってるでしょ」

「いやー!でも、さ!それも克服しなきゃクリスマスミサは朝早いし!もうすぐ!だし!」

「そうやって暴力を正当化するのってパワハラなんじゃないですか」

 がーんとこれまた全身で項垂れるように落ち込む花音先輩。

 本当はもっと触れてきて欲しい、とは言えない。


 二人揃って空き教室に入り荷物を置く。

 わが校はマンモス校なので、土曜日の朝には練習に使える教室が沢山だ。

 軽く発声練習をしてから先輩の指導が始まった。

 部活の個人練習。その時間は彼女と自然と二人きりの時間。

 いつも私は先輩と二人で練習しているが、それは私達が特別に仲良しだからではない。そうだったらよかったけれど。

 合唱部は上級生と一年生が一人ずつセットになり練習する。

 体力づくりや全体的なパート練習は大人数で行うが、個人でもできる発声の練習は上級生が後輩にマンツーマンで指導しながら練習をする。

 基礎ができあがっている先輩の声の出し方を学び、あるいはどうすればいいかを指摘してもらい。そうやって師と弟子のような関係を築く。

「最後また音外してたよー!」

「はい」

 いくら好きな人とはいえ練習自体には真剣。

 しかし腹式呼吸ができあがってるかたまにお腹をさすってくる時や口や舌をチェックする時にはドキリとする。

 先輩は褒め上手だ。

 ただただ褒めるだけでなく、どこができていたか。どうできたのかを説明したうえで褒めてくれる。

 ご機嫌取りじゃない褒め方に私は単純に気をよくする。

 それとも好きな人に褒められているからか。

 私は練習が嫌いではなかった。

 

 練習がある程度できたら小休止ついでの雑談。その時間が私は好き。

 授業の愚痴。受験の愚痴。親の愚痴。好きな食べ物。好きな音楽。好きな番組。

 二人の価値観をすり合わせるだけのたわいもない時間。先輩以外の人物に避けられていた私には宝石箱のようだった。

 だがその時間も終わりが来る。

 箱の中身には限りがある。

 宝石箱だろうとおもちゃの箱だろうとお菓子の箱だろうとそれは変わらない。

 いつも底が見え始めてから私は初めてそのことに気づく。いや、気づかないふりをしながら楽しみだけを甘受していたのだ。


 

 12月18日、クリスマスミサまで一週間を切った頃。

 私は顔には出さないが焦りを覚えていた。

 3年生はミサが終わったら部活を引退してしまう。

 花音先輩は夏ごろに志望の大学への推薦を決めていたので、卒業までいてくれるものだと思っていた。

 入部の際に説明を受けていたらしいがその時は引退まで部活に付き合うつもりはなかったのだから、当然知る由もない。


 当の本人は呑気に「寂しくなるねぇ」なんて言っていた。

 寂しいなんてもんじゃない。この人は自分の気持ちなんてまるで理解してくれないのか。

 自分勝手な怒りを燃やして手を強く握りしめた時のことだった。

 

「最初どうなるかと思ってたけど奏ちゃんはもう大丈夫だよね」


 ドキリと身体の芯が揺らいだ気がした。


「大丈夫とは?」


 つい、声を荒げて聞き返してしまう。

 自分でもやってしまった、と思いつつ吐いた言葉は飲み込めない。

 声の怒気が伝わってしまったように先輩は委縮した様子だった。


「ああいや、あのね」


「私が問題児だから付き合ってあげてくれてたってことですか」


 思わず怒鳴ってしまう。思ってたより強い声が出てしまったのは皮肉にも発声の練習の賜物だった。

 あたふたと手振り身振りで説明する先輩。

 違うんだよ。そうじゃなくって。

 ああ、先輩を困らせてる。悪いのは自分だ。こういう過敏な所がまさに問題児だ。自分が一番わかっている。

 そう思っているのに謝れない。

 今自分がどんな顔をしているかわからない。

 

 心が冷える。けど頭が熱い。

 まるで親に見放された赤子のような心細さを胸に抱えながら、湯だった頭が振り切るように行動を求めた。

 私は熱に浮かされるように立ち上がり、先輩が寄りかかっていた教室の壁に手を伸ばして彼女を壁との間に挟んだ。

 吐いた息が触れ合うような距離。

 せんぱいのにおいがする。


「全然、大丈夫なんかじゃない」


「か、奏ちゃん……?」


 私は先輩を繋ぎ止めることばっか考えているのに。

 いなくならないで欲しいと思っているのに。


 「んっ」

 

 気づけば吸い寄せられるように先輩の唇に自分の唇を重ねていた。

 静まり返った空き教室。

 時計の針が動く音がやたら大きく感じる。

 ぷるっとした柔らかい感触に驚く。唇を離したくないどころか、もっと堪能したいと本能は言っている。

 だが私は自分から唇を離した。

 彼女の熱い涙が私の頬に零れたからだ。

 


 やってしまった。と思いながらももう自分を止められない。

 春に別の部活に入っていた時、先輩の横暴に思わず口出ししてしまった時と同じ。

 幼稚だからか性格だからか。

 いつも終わってしまってから後悔する。

 怯えているのか、俯いた先輩を置いて私は逃げた。トイレに行きますと告げて空き教室から逃げ去った。



 クリスマスミサ当日。

 合唱部は聖歌隊として地元の教会に参加することになっていた。

 教会に集う白いケープで扮した私達はまるで敬虔な子羊の群れ。

 

「今日は皆さんが楽しめるように頑張りましょう、特に3年は悔いがないように」


 合唱部部長の挨拶の中で3年、という言葉にびくり。

 ちらりと離れた位置に並ぶ花音先輩を盗み見る。

 横顔はいつものように明るい。場所や衣装も相まって天使のよう。

 あの天使を泣かせてしまったのだから罪悪感に胸が痛む。

 あれから本番も近いということで全体練習、パート練習での合わせが多くなったことは運が良かった。

 一年生は一年生同士で動こうと普段あまり仲良くしたことのない同級生が声をかけてきてくれたのも幸い。

 私達二人の気まずい空気は大人数の中に埋没した状態で本番を迎えられた。


 飾り付けを手分けして行えば既に時間は夜。

 ミサの参加者が少しずつ集まり、いよいよ私達の出番ということだった。

 

 蝋燭の灯が照らす教会に美しくこだまする賛美歌。

 一糸乱れぬ歌声の束がとても美しく響き渡る。

 大きな楽器の一部になったみたいな一体感とも全能感とも判別できない興奮が胸を満たす。



 だが。


 一人だけが大きく声を外してしまう。私だ。



 ミサに集まった客の視線が一斉に悪目立ちした私に向く。

 先ほどまで感じていた興奮は一瞬で冷えた。

 背中に張り付く冷や汗が余計に私の頭をゆでた。

 口が、いや全身が金縛りにあったみたいに固まる。

 歌は一人欠いたまま進んでいく。

 どこからか合流しないといけない。

 でないと客は自分を不審がる。

 早く、早く。

 駄目だ、口が動かない。

 思わず目を閉じた私の指先に熱さ。

 

 目を開くと花音先輩が私の指を握ってくれていた。

 いつもと変わらない笑顔で。

 おどけた時のような、二人でいるときみたいにほほ笑むのだ。

 口では言わず身体の動きでせーのっとタイミングを示唆する先輩。

 私の口も全身もいつものように動き出した。

 


 ミサはあの後とこどおりなく終わった。

 クリスマスミサはコンテストでも何でもない。ボランティア活動のような行事だ。

 だが私は3年生の、いや、花音先輩の最後の舞台を完璧にできなかったことを悔いて泣いた。

 彼女の教えを無駄にしたことが悔しくて泣いた。


 「おーよしよし。奏ちゃんは甘えん坊さんだねぇ」

 

 頭をぽんぽんと頭を撫でられながら私は先輩の胸に泣きついていた。

 その幸福を噛みしめることが余計に罪悪感を募らせた。

 先輩のことばかりを考えてる場合ではなかった、私はもっと練習に力を入れるべきだった。

 先輩を完璧に見送れる後輩にすらなれない。

 最後の最後まで甘えてばかりの自分が嫌になる。

 

 

 嫌い。大嫌い。キライ。最悪。馬鹿。最低。

 思いつくままに私は自分を否定する言葉を頭に並べて自身を罵倒する。

 時折呪詛のように吐き出しながら。


 「奏ちゃんは冷たいように見えてすごい感情の強い子だから皆ビックリさせちゃうんだよね」


 そうだ、先輩の言う通り。


 「もっと素直になれるといいかもね」


 もっと早く素直になれたら。

 こんな不器用な自分は嫌だ。

 恋心をあんな形じゃなくてもっとスマートに伝えたかった。

 なりたかったのは、大好きな人に恥をかかせない自慢の後輩。

 最後の最後まで先輩にフォローさせずにキレイに送ることさえできない。

 こんな自分が嫌いだ。


 「奏ちゃん、こっち向いて」


 涙が次から次へと溜まり零れ落ちていく。

 視界はぼやけ、ふやけたような先輩がこっちを見ていた。


 「この前はごめんね。奏ちゃんは大丈夫って無神経だったよね」


 そんなことはない。その後のことも含めて私が全て悪いのに。

 やっぱり先輩はわかってない。


 「奏ちゃんといつも二人で練習したりお喋りしたりするのすごい楽しくて。でもある日思ったの。私が卒業した時、奏ちゃんが周りに馴染めなかったらどうしようって。自分が個人練習を名目に奏ちゃんを独占しすぎてるんじゃないかって」


 周囲なんてどうでもよかった、とあの日までの自分なら思っていたかもしれない。

 だがあの日の後同級生がよく声をかけてくれるようになった。

 それは恐らく花音先輩が気を回してくれていたに違いない。

 そしてその気遣いに私は助けられていた。

 胸が熱くなる。


 「先輩、ごめんなさい。ごめんなさい……」


 その心遣いさえ無駄にした自分に反吐が出る。

 すると先輩はすぅと大きく息を吸って大声をあげた。

 

 「後輩は!先輩に迷惑かけるものなの!私もかけてきたし!」


 目を丸くした私の様子におかまいなしに先輩は続ける。


 「間違えたなら!来年のミサで大活躍して取り返したらいいの!そのチャンス二回もあるよ!やったねっ!」


 「で、でも私は先輩にこれまで教えられてきたのに失敗しました。来年ちゃんとやれる自信なんて……」


 「来年、指導役になってよ奏ちゃん」

 

 「え?」

 

 「私も正直あまり上手くない方だったんだけどね。奏ちゃんに教えようと思って自分の技術をなるべく言語化したり、先輩の教え方とかから考えたりしたらすごい上達したの。私奏ちゃんに教えながら、教えてもらってたんだよ?」


 教えてもらっていた。そんな事実はあるのだろうか。

 自覚がないことに自信は持てない。私の中のネガティブが顔を覗かせていた。

 もし後輩と上手くできなかったら。ちゃんと教えてあげられなかったら。

 もし。


「んん……っ!?」


 思考が止まった。

 唇に柔らかい感触。少し前に味わった、あの感触に私は身を震わせた。


 「卒業してからでもいつでも相談したらいい。部活じゃなくてもいつだって会える仲になろ?」


 柔らかな告白。

 

 「そ、そんな……ズルい」


 「あるぇ?奏ちゃんはこういう意味での好きじゃなかったの?私はそうなんだけどなぁ」



 私は慌てて頭を下げて頷く、同じ気持ちだと。

 先輩はいつだってズルい。

 不意打ちのようなキスも。告白も。

 身体は小さいのにいつだって自分より大人だ。

 スマートな告白ができて、歌も上手い。

 私が求めているものを的確に与えてくれる。

 だから好き。

 でも自分は先輩に見合うだろうか。

 

 「女性同士でも恋愛感情を持つんだってことも。愛情表現の仕方も。教えてくれたのは奏ちゃんだからね!」


 「な、なら私からも、ささささせてください……」


 顔が熱い。

 今度こそ気持ちを素直に言えただろうか。伝わっただろうか。

 肯定とばかりに黙って目を瞑って唇を突き出す先輩、いや彼女に私は3回目だというのにまるで初めてのような緊張を持って唇同士を重ねたのだった。

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めりゆり!合唱部で不器用な私が好きになったのは同じ女で自分よりちっちゃい先輩でした! レミューリア @Sunlight317

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