第30話 月明かり

 全員が寝静まった深夜。

 月明かりの下で、俺は地べたに座り湖をぼーっと眺めていた。


「キャンプファイヤー、思わぬ展開になっちゃったね」


 隣に腰掛けるミサキに、俺は苦笑いを浮かべる。


「そうだな。あんな緊迫感と重苦しさのコンボは二度とごめんだ」

「でも、アカリちゃんにそんな過去があったなんて……。入谷さんも知らなかったみたいだし、話したくないほど辛かったのね……」


 それを聞いて、ふとアカリの言葉を思い出す。

『この世界は現実だ、だから大丈夫。そう思うことで精神を保っていたのに』

 そうだ。この世界は俺たちにとっては現実なのだ。決して仮想世界ではない。


「早く元の世界を取り戻さないと、東京にいる何百万の人間の心も持たないはずだ。現実がゲームの世界になって、いつまでも耐えていられるとは思えない」


 呟くと、ミサキも首を縦に振った。


「うん、それは私も懸念してる。プログラム内の人工知能が一斉に暴走したら、システムが欠損する可能性があるの。そうなると、ハッキング前の状態に戻すことも出来なくなって、このシミュレーションはゼロからやり直し。それだけは絶対に避けないと……」


 しかし、ワールドリゲインタワーがどこにあるのか見当もつかない。世界を取り戻すまでに年単位の期間を要する覚悟も必要だろう。


「とにかく、俺たちが一日でも早くゲームをクリアしないとだな」


 俺は自分に言い聞かせるように、小声で言った。




「ねえユウト君? アカリちゃんの話してた《スプリングストーム》って人、有名な人だったりする?」


 ミサキの急な問いかけに、少しびっくりしつつ返す。


「いや? 少なくとも俺は知らないけど」

「そっか、じゃあここで聞いたわけじゃないか……」


 顎に指を当て、何かを考えている様子だ。


「ん? その人がどうかしたのか?」

「その名前、どこかで聞いたことあるような気がしたんだけど、気のせいかなぁ……?」


 ミサキはどうやら《スプリングストーム》という名前に聞き覚えがあるらしい。

 俺も考えてはみたが、やはり思い当たるものは無い。ということは、ミサキの住む世界の人物だろうか?

 だがその場合、なぜアカリの口からその名前が出たのか、新たな疑問が生まれる。


「まあ、きっといつか思い出すだろ。今無理に思い出そうとしなくてもいいんじゃないか?」


 声を掛けると、ミサキは「それもそうだね」と微笑んだ。


「……ねえユウト君。一つ聞いてもいいかな?」

「いいけど?」


 一体何を聞かれるのだろうか。

 彼女は真剣な顔をして、真っ直ぐにこちらを見つめる。


「ユウト君は、私のこと好き?」

「ああ、もちろん……ってどうしたんだよ突然?」


 自分の言葉に恥ずかしさが込み上げてきて、そっと視線を外す。


「私はユウト君のこと愛してるよ。ずっと一緒にいられたらって思ってる」

「それは、俺も……」


 ミサキが肩に頭を乗せ、寄りかかってくる。


「でも私はこの世界の人間じゃない。いつかはログアウトして、現実世界に帰らなきゃいけない。私とユウト君には、大きな壁があるんだよ……」


 彼女の顔が月明かりに照らされる。

 その表情はどこか悲しげで、憂いを帯びている。


「そんなこと言われても、俺を生み出したのはお前が作ったプログラムだろ? どうにか出来るものなら俺だって……」


 その瞬間、ミサキが俺の体に跨り、顔を近づけた。


「プログラムとか言わないで……! あなたは、私と同じ魂を持った人間なの。ただ生まれてくる世界が違っただけ」

「ミサキ……」


 俺が彼女の頬に手を伸ばすと、彼女もまた俺の頬に手を伸ばした。

 お互いに顔を寄せ、口づけを交わす。

 彼女の唇は柔らかく、いつまでもこうしていたいと思えた。


「ユウト君、弱い人間でごめんね……」


 ミサキが俺の上に乗ったまま体を預けてくる。

 一緒になって地面に寝転び、俺は下敷きになった。


「どうしたんだよ、ミサキ?」

「私、ユウト君みたいに強くなれない。怖いの……」


 ミサキの目から涙が零れ、俺の顔に落ちる。

 俺は彼女をぎゅっと抱きしめ、耳元で囁く。


「俺だって、本当は弱い人間だ。ミサキがいなきゃ、きっと何も出来なかった。今俺がこうして頑張れているのは、全部ミサキのおかげ。だからさ、俺とミサキは二人で一つなんだよ」

「ユウト君……、あなたはやっぱり強いよ……。でも、ありがとう。ちょっと元気出た」


 ミサキは涙を袖で拭うと、俺の隣に起き上がった。

 俺も体を起こし、空を見上げる。

 空には綺麗な月と満天の星が広がっていて、その光景に目を奪われる。


「月が綺麗だね」


 ミサキがぽつりと呟く。

 それは俺のセリフでは? とも思ったが、今はそんなことどうでもいい。

 二人でいられるこの時間が、とても貴重で幸せなものだから。




 静かに空を眺めていると、後ろのテントから気配を感じた。

 俺とミサキが同時に振り返る。そこにいたのは、冷めた目でこちらを見るカナミとレナの姿だった。


「お兄ちゃん、ちゃんとモンスター見張ってくれてた?」

「あなた達、ただイチャイチャしていたようにしか見えないけれど?」


 ギクッ。

 もしかして、二人は全て見抜いている?

 俺とミサキは顔を見合わせ、示し合わせたように笑顔を作る。


「ああ、もちろん見張ってたぜ……!」

「そうだよ……! 誰が見張り中にイチャイチャなんてするの?」


 するとレナはため息を吐き、呆れた声色で言う。


「全く、隠したいのならバレないようにやりなさいよね? 私はあなた達がキスしていたことだって知っているわ」


 まずい。レナに情報を握られている。


「み、ミサキ、早く寝ないと明日に響くぞ」

「そ、そうだね、ユウト君。早く寝よう……!」


 俺とミサキは適当に誤魔化して、そそくさとテントに入った。

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