第120話 方針

 ――さらに十日後。


 帝国軍の勢いは止まらず、日々王都へ向かって迫ってきているという情報が国内を駆け巡る。


 今までは自国領内での出来事であるにもかかわらず、王都に住む人々はどこか遠くの国の話という感覚だった。


 しかし、徐々に戦争の現実感を帯び始めると、王都は不穏な空気に包まれていく。


 連日にぎわっていた酒場も鳴りを潜めていった。


 カイルは各店舗に手紙を出すことを決断する。


 内容は帝国軍が攻めてきた場合、店を放棄しても構わないというものだった。


 それから事務所に集まれるスタッフを全て呼ぶ。


「皆も知っている通り、王都が戦場になるかもしれない」


 カイルが事務所に集まった全スタッフに向けて話し始める。


「…………仕事は本日で一時終了とする」


 スタッフたちが若干どよめく。


「急な決定ですまない。もちろん一時金を特別手当として支給するから安心してほしい」


 カイルの言葉を聞いて、スタッフたちからどよめきが消えていった。


「それと、みんな王都からできるだけ遠くに逃げてくれ」


 しかし、その言葉に対してスタッフたちの反応は鈍かった。


 (なぜ反応が鈍い?)


「……カイルさん……とてもいいにくいのですが……」


 スタッフの一人が口を開く。


「なんだ? 遠慮せず言ってくれ」


「……俺たちには逃げるところなんてありません」


「逃げると言ってもどこに逃げるんだい?」


 スタッフの一人が話し終わると、隣もスタッフも同調して話す。


「王都に住んでいる人はどこにも行く当てがない」


「王都だけじゃない。他のどの町や村に住んでいる人だって普通はそうさ」


 他のスタッフたちも口々に話し始める。


 彼らの言葉を聞いてカイルは、はっと気づかされた。


 カイルのように複数店舗を保有していれば、いつでも移動が可能だ。


 しかし、彼らには帰るところや住居は基本一つしかない。


 自分の発言は商人だからこそできるものだった。


 (商人のように自由に移動できる方が珍しいんだ……)


「みんな……すまない。俺の考えが至らなかった」


 カイルは急遽代案を考える必要性に迫られる。


 (ならどうすればいい?)


 場が静寂に包まれる。


「カイルさん、ちょっといいか?」


 マルスライトが沈黙を破った。


 彼は一旦ラボを手放す予定である。


 戦争が終結するまでカイルたちと行動を共にする事を決め、事務所へ立ち寄っていた。


 カイルはしばらく皆に事務所で待機してもらうようにし、マルスライトと応接室に移動する。


「スタッフ全員を連れて移動するのは、今の状況じゃ困難だろ?」


「はい……陸路は規制が厳しいのでまとまって行動するのは難しいでしょう」


「そうだろうな。そこでだ……私の船を使ってくれ」


「マルスライトさんの船……」


 カイルも自前の船を所有しているが、船は現在王都から離れたポートリラに停泊している。


 そこまで回収しに行くのは無理なので、一旦放置せざるを得なかった。


「船が停泊している地点へ行くには一旦王都から出る必要があるが、そこさえ突破すれば大丈夫だ」


「もし使えるなら、ぜひお願いします」


「目的地は決まっているのか?」


「アルバネリス王国を目指します」


 話し合いが終わると二人は事務所に戻り、カイルは全スタッフへ船で移動する方針を伝える。


 ――同日昼、ロムリア城内。


 廊下でレティルスとジグマイヤーが鉢合わし、両者は立ち止まった。


「これはレティルス様」


「……ジグマイヤー、いったい何を考えている?」


 レティルスは鋭い眼光でジグマイヤーを睨みつける。


「なんのことでしょうか?」


「なぜ王にあのような提案をしたと聞いているのだ」


「私は国家の安寧を最優先に考えての提案をしたまでのこと」


「その言葉にわかには信じられんな。我が剣、王と民を守るためにあり、貴様らを守るためでは断じてない」


「イラベスク商会はロムリア王と共にあります。商会を守ることは王を守ることと同義。逆もまた叱りです」


「貴様の言葉遊びに付き合っている暇はない」


「王への忠義に厚いあなたらしくもない」


 レティルスはジグマイヤーの言葉を無視して無言で歩き出す。


 ――翌日夜、イラベスク商会のオーナー部屋。


 ジグマイヤーとセルバレトはワインを嗜みながら今後の動きについて話し合っていた。


 帝国側へ鞍替えする段取りは順調に進行し、主要幹部たちの避難は、この時点で既に完了している。


「我々も逃げなくてよろしいのでしょうか?」


「王には忠義があるように示さねばならん。できるだけ長い間傍にいる必要がある」


「それでは我々はいつ逃げるのでしょうか?」


「そんなに逃げたいのか?」


「いえ、そういうつもりでは……」


 セルバレトは帝国軍が占領地で行われている残虐非道な話を噂で聞いている。


 噂が全て真実かどうか不明だが、とにかく巻き込まれないうちに一刻も早く王都を離れたいと内心では思っていた。


「敗北が濃厚になった時点で、頃合いを見計らって王に降伏を進言する。逃げるのはその後だ」


「すでに敗北することが分かっているのですね?」


「そうだ。その為にレティルスを王都の防衛に回したのだからな。それと同盟国がこの戦争に乗り気ではないこともつかんでいる」


「しかし、帝国軍が攻め入ってからでは逃げる隙がないかと……」


「私は商人だ。金と交渉次第でいくらでも脱出する方法はある」


「さすがオーナー。私程度では、そこまで言い切る器量は持ち合わせておりません」


「……だが、懸念が一つある」


 いつもはあまり表情を変えず淡々と話すジグマイヤーが、珍しく眉間にしわを寄せて話す。


「と言いますと?」


「サークリーゼだ」


「サークリーゼ? 彼の組織はすでに瓦解しております。さほど脅威ではないかと存じます」


「奴のことだ。この混乱に乗じて必ず現れる」


「それほどまでに執念深い男なんですか……」


「奴はこの私を恨んでいるはずだからな。……さっき、ロムリア王国を敗北させるためにレティルスを防衛に回したと言ったが、実はこっちが本命だ」


「なるほど。サークリーゼにレティルスをあてがうため……ということですね」


 ジグマイヤーはゆっくりと頷く。


「しかし、念には念を入れる。傭兵の手配をしておけ」


「分かりました」

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