第63話 開店初日

 四人は店の入り口の前に立ち、カイルが店の中から扉を開ける。


 店の扉を開けると、外には顧客が数十人集まっていた。


 カイルは集まってくれた人達に挨拶をする。


 挨拶が終わると、カイルは店のカウンターへと移動し、会計の準備を始めた。


 今度はカイルに代わって、アイリスが顧客の入店整理を行い、店内に顧客が入って来る。


「いらっしゃいませ!」


 カイル達は威勢よく顧客を迎え、そこからは各々が一心不乱に対応する。


 カイルはカウンター越しにクルムとエリスを見ていると、一生懸命に商品説明をしているのが感じ取れた。


 アイリスも店内が混乱しないようにうまく整理してくれている。


 夕方になると顧客の数も落ち着いてきて、カイル達も対応に若干余裕が出てきた。


 その後、棚に陳列していた商品はほとんど売れて初日の閉店を迎える。


 最後の顧客の会計を終えるとカイルは店の扉を閉め、四人で奥の部屋へ向かい椅子に座る。


 カイルは三人の表情を見ていると、疲労感は見られるものの同時に充実感や達成感を感じているように思えた。


 それはカイル自身も同じであるが、彼は加えて行商人を始めてからの出来事を振り返った喜怒哀楽が混じり、一言で表現できない感情に心が満たされつつあった。


 カイルは自身の熱くたぎる感情を制御して、三人の仕事ぶりを労う。


 初日の売り上げは予定を上回った。


 それから四人で夕食を食べ終えると、明日に備えて二階の各々の部屋に戻っていく。


 カイルはそろそろ寝ようかと考えていたところ、部屋をノックする音が聞こえる。


 扉を開けるとアイリスが立っていた。


「中に入ってもいい?」


 カイルはアイリスを部屋に招き入れる。


 アイリスは部屋の中に入るとベッドを椅子代わりにして座り、カイルもその隣に座った。


「お客さんいっぱい来てくれたね」


「そうだな、チラシ皆読んでくれたんだな」


「猫のことについてもいっぱい聞かれたよー」


「チラシ配ってる時から聞かれてたからな」


「お店にも実際に取り入れられたらいいね」


「……それなら猫の格好をして接客するのはどうだ?」


 じー


 アイリスがジト目でカイルを見つめる。


「……」


「カイルがするんだよね? 猫の格好」


「も、もちろんそのつもりで考えてたさ」


「……ふふふ…………ここまで来るのに色々あったね」


「ここまで来れたのはアイリスのおかげだ」


「カイルが一生懸命頑張ったからだよ」


「最初に出会った時、気が乗らずに助けてくれなかったら、今頃どうなっていただろうな」


「私、あの時なんとなく気が乗ったから助けたって言ってたけど、実はね。……ほんとは違うの」


「そうなのか」


「うん……だって……だって……カイルが路頭に迷ってるのが伝わってきて……ほっといたら、そのまま死んじゃいそうだったんだもん」


 アイリスの瞳が潤んでくる。


「あの時は本当に助かった」


「……そのカイルが……こうやって自分のお店を持てて……それが嬉しくて……嬉しくて……」


 アイリスの瞳には今にも零れ落ちそうなほど涙が溢れている。


「ここで終わりじゃない。ここから始まるんだからな」


「そうだね」


「アイリスの目的達成もまだだしな!」


「ありが……とうね」


「これからもよろしく頼む! アイリス!」


「うん! カイル!」


 アイリスの瞳から涙の粒がすーっと零れ落ちた。


「…………ルマリア大陸でさらわれた時ね、私、ほんとはすごく怖かったんだよ」


「そうだろうな……すまんかった」


「……でもカイルが絶対助けに来てくれるって信じてた」


「あの時はロゼキットにだいぶ助けてもらった」


「…………そういうところもなの」


「そういうところって?」


 カイルが横を向きアイリスの顔を見ると、彼女もカイルの方を向いていた。


 二人の目が合い、返事はせずに無言で互いは見つめあう。


 アイリスの頬はほんのりと薄桃色に染まり、涙で潤んだ綺麗な瞳をそっと閉じた。


 カイルの心臓の鼓動が一気に高まる。


 その心音は、アイリスにも聞こえるのではないかと思うほどだった。


 カイルは一呼吸置くと決心し、両手を彼女の細い両肩に優しく触れる。


 そして目を閉じながら彼女の唇へ自身の唇をゆっくりと近づけていく。


 互いの唇が重なろうとした瞬間――


 コンコンコン


 突如ノックする音が部屋に響く。


 カイルとアイリスは互いに体がビクッとなり、同時に目を開ける。


 カイルはアイリスの肩から手を離し、最初会話していたように互いの体を正面へと戻した。


「カイルさーん、起きてますかー? ちょっと教えてほしいことがあります」


 クルムの声が聞こえる。


「か、鍵は掛けてないぞー」


 カイルが部屋の中からクルムに呼びかけた。


 クルムとエリスが扉を開けて部屋の中へと入って来る。


「……あっ! アイリスさんもいたんですね。……あれ? どうして泣いてるんですか?」


 クルムがアイリスへ不思議そうに尋ねる。


「ううん、大丈夫だよ」


 アイリスは涙を拭いてクルムへニコっと微笑む。


「……クルム、カイルさんにはまた明日聞きましょ。……ほらクルム行くよ」


 エリスがクルムの手を引く。


「どうしたの、お姉ちゃん急に?」


 エリスはクルムの疑問には答えず、彼の手を若干強引に引いて部屋から出ていった。


 再び部屋にはカイルとアイリスの二人になる。


「……私もそろそろ寝るね」


「……そうだな」


 アイリスは座っていたベッドから立ち上がり、座っているカイルの正面に立つ。


「また明日ね、おやすみ」


「あー、おやすみ」


 アイリスはカイルに優しく微笑み軽く手を振って部屋から出て行く。


 部屋に一人となったカイルは、ランタンの明かりを消してベッドに潜り込んだ。


 初日の多忙さによる疲労は、カイルの瞼への錘として重くのしかかる。


 ベッドの心地よさは、その錘に抗うことを許さず、身を委ねるしかなかった。


 カイルは翌日の朝日に迎えに来てもらうまで深い眠りへと誘われていく。

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