第62話 開店前の朝

 ――翌日の昼。


 チラシの原稿が完成したアイリスは、近所の活版印刷屋に印刷を依頼しに行く。


 カイルは店内でクルム達に仕事のやり方を説明し、彼らは真剣なまなざしで聞いている。


 それから一週間が経過し、チラシの印刷が完成した。


 印刷されたチラシは文字のみで構成されており、そこへアイリスが一枚ずつ猫の挿絵を描いていく。


 文字だけしか印刷できないので、それ以外は手書きになるためである。


 チラシが完成すると、カイル達は街頭で道を行き交う人々へ配り始めた。


 受け取った人達は、その内容を皆興味深そうに読んでいる。


「この猫も商品なのかのぉ?」


 チラシにはゆるい感じの猫の絵が描かれている。


 それを受け取って、軽く目を通した老婆がカイルに尋ねた。


「申し訳ございません。非売品なんですよ」


「そうじゃったかー」


 老婆は少し残念そうな表情をしながら去っていった。


 (猫について結構聞かれるな)


 チラシを配り始めてから、この老婆も含めて複数回聞かれていた。


「猫の絵人気だな。可愛くて俺も気に入ってる」


「えへへ、ありがとう」


 印刷したチラシを全て配り終えた頃、クルム達も仕事の要領を少しずつ掴んでいった。


 ルマリア大陸で買い付けた商品を四人で手分けして店内の棚へ陳列していき、開店準備はすべて整う。


「クルム、エリス。いよいよ明日開店だ」


「仕事は、ばっちり覚えました。明日が楽しみです!」


 クルムが満面の笑みを浮かべる。


「私も頑張ります!」


 普段は大人しいエリスも両手を握りこぶしにして、ぐっと手前に引き意欲を露にしていた。


「よろしくな!」


「「はい!!」」


 その後、クルムとエリスは店内で明日の予行練習を行う。


 カイルとアイリスは店の奥の部屋へ向かって椅子に対面して座った。


「明日お客さん来てくれるかな?」


 アイリスが自分の作ったチラシを眺めながら心配そうな表情を浮かべる。


「できることはやった。きっと来てくれるさ」


 カイルはアイリスに優しく微笑むと彼女もニコっと笑顔になり、手に持っているチラシをテーブルの上に置く。


 ――翌日、開店当日の朝。


 カイルは、いつもより早く目が覚めた。


 目を開けるが、まだ夜明け前で窓から朝日は差し込んでおらず視界は暗い。


 カイルはベッドから起き上がり、躓かないようにゆっくりと窓の方へ歩き出す。


 二階の窓から一階の店の入り口周辺の様子を窺う。


 カイルはもしかしたら誰か並んでいるかもしれないと淡い期待を抱く。


 期待とは裏腹に、そこには誰もいなかった。


 (まだ夜明け前だし、そりゃそうだよな)


 部屋から廊下へ出るが、他の部屋から物音は何も聞こえてこなかった。


 (アイリスたちはまだ寝ているな)


 カイルは薄暗い二階の廊下を慎重に進み、一階に降りる階段まで歩いていく。


 一階奥の部屋に行くとランタンに明かりを灯し、周囲の視界を確保する。


 (さて、皆が起きてくるまでどうするか?)


 開店までに準備できることはすでに全てやっている。


 後は店を開くのを待つだけだった。


 (あっ! そうだ、あれを試してみるか)


 カイルは何かを思い出すと、商品の在庫が置いてある場所に行って小さな袋を探す。


 目的の袋が見つかると、今度は調理器具を手に持ってテーブルの前へと戻る。


 テーブルの上へ袋と調理器具を置いて、椅子に座った。


 カイルは袋を開封して中身を確認する。


 袋の中には豆が数十粒ほど入っていた。


 (確かコーヒー豆って名前だったな)


 この豆と調理器具はフロミアから試供品としてもらったものだった。


 テーブルの上に置いたコーヒーの調理器具をじっと見つめる。


 (作ってみるか)


 作り方はフロミアからだいたい聞いていた。


 (豆を焙煎した後に挽いて粉末状にする。そこへ湯をかけて抽出されるものを飲むのか。少し紅茶に似てるな)


 カイルは豆の入った袋を持って椅子から立つと調理台に向かい、かまどに火をつける。


 フライパンの形で底が網状になっており、蓋も網になっている調理器具を手に取った。


 その中にコーヒー豆を注ぎ、かまどの火の上で炒り始めた。


 白に黄色を帯びた色をしていた豆の皮が取れて薄茶色へと変化していく。


 炒り続けると、パチパチとはじける音が聞こえてきた。


 さらに続けると、今度はチリチリという音に変化し豆はまんべんなく茶褐色に変化していく。


 (おー! いい香りがしてきたな!)


 コーヒー豆独特の香りを放ち始めた。


 (焙煎度合いによって味が変わってくるって言ってたな。これぐらいでいいかな)


 焙煎した豆を調理器具から一旦深めの木皿へ移して冷ます。


 豆を冷ましたら、次に鍋へ水を入れて湯を沸かし始めた。


 鍋をかまどに置いた後、豆が入った木皿を持ってテーブルへ戻り、椅子に座る。


 目の前に置いている豆を挽く調理器具の中へ木皿を傾けて豆を上から降り注いだ。


 豆を注ぎ終えると、器具の横に付いているハンドルを回す。


 ガリガリと音を立てて豆が挽かれ始めると粉末状になり、下に設置している容器へ注がれていく。


 (おー! 豆を挽くとまたいい香りがする!)


 容器の中に全て注ぎ終わると抽出器へ粉末状になった豆を入れる。


 それから湯が沸くまでしばらく待つ。


 湯が沸くと調理台に向かい、かまどの火を消す。


 沸騰した湯の入った鍋をテーブルまで持ってくると、用意していた注ぎ口が付いているカップへと移す。


 鍋を調理台に置いてテーブルへと戻り、椅子に座る。


 湯が入ったカップを抽出器の粉末状になった豆が入っているところへ、上からゆっくりと円を描くように注ぐ。


 (湯を注ぐと、またいい香りがするな!)


 注がれた湯が抽出器を通り、下に置いてあるカップへ茶褐色の液体となって注がれる。


 (これで完成だな)


 湯を全て注ぎ終えて抽出が完了し、カップを手に取った。


 カップに注がれたコーヒーからは気持ちが落ち着くような芳香が放たれている。


 カイルはさっそく一口飲んでみた。


 (うお! 苦い!)


 思わず舌を出して眉をしかめる。


 しかし、コーヒーが喉を通った後味には、二口目に誘う魅力があった。


 (やっぱり苦い!……がなんか不思議な味だな)


 ふとカイルは砂糖や牛乳を入れる飲み方もあるとフロミアが話していたことを思い出した。


 カイルの探求心に火が付く。


 牛乳は保存が難しいので今は在庫がなく、砂糖だけ持ってきた。


 コーヒーに砂糖を指で一つまみ入れてスプーンでかき混ぜて一口飲む。


 (おー、これもなかなかいける。むしろこっちの方が俺は好きかもしれん)


 椅子に座って残りのコーヒーを味わいながら、次は牛乳を入れてみるかなどと考えていると外の視界が目に入る。


 カイルがコーヒーを淹れることへ夢中になっている間に、朝日が昇り朝になっていた。


 飲み終わったカップとコーヒーの調理器具を片付け始める。


 片づけをしている途中で二階から階段を下りてくる音が聞こえた。


「おはよう」


 下りてきたのは、アイリスでカイルも挨拶を返す。


「なんかいい香りがする!」


 カイルはアイリスへ、さっき作っていたコーヒーの話をする。


「そんな飲み物があるんだー。美味しかった?」


「苦みがあって不思議な味だったけど、美味しかったな」


「気になるよー。私も飲みたい」


「試供品だったからもう豆が無いんだ。今度またコーヒー豆を入手したら作る」


「そっかー、それなら仕方ないね」


 アイリスは少し残念そうな表情をして返事する。


 二人で椅子に座って会話しているとクルムとエリスも下りてきた。


 互いに挨拶し、四人全員揃ったところでカイルは朝食を作る。


 朝食を食べた後、カイルは二階に上がった。


 自分の部屋に行き、窓から再び店の入り口付近の様子を確認する。


 すると入り口付近に、客と思しき人々が何人か集まっているのが見えた。


 (人が集まってる!)


 カイルは右手を胸の辺りに持っていき、そこで握りこぶしを作り喜びを表現する。


 すぐに一階へ降りて、そのことをアイリスたちにも伝えて喜びを分かち合った。


 (まだ、店は開店していない。むしろこれからが大事なんだ)


 カイルは喜んだのも束の間、舞い上がりそうになる気持ちを落ち着かせる。


 四人は開店前の打ち合わせを行い、開店準備が整う。


 アイリスが客の誘導をし、クルムとエリスが接客担当、カイルが会計を行う。


「そろそろ開店の時間だな!」

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