第3話 小麦粉の行方
早朝から一心不乱で取り組んでいた作業は気付けば昼を過ぎていた。
こうして昨日まで何もなかった場所に、突然露店が現れたのだ。
初日はほとんど客も来ないだろうと予想していたが、想定内である。
最初は売上よりも宣伝を重視しようと考えていたからだ。
店の前に商品を並べているだけでも通行人の気を引ける。
徐々に噂が広まれば売上もついてくる算段である。
露店の前に立ってから数十分経過すると、ぽつぽつ人が集まってきた。
(こんなに早く興味を持ってもらえるとは運がいい)
けれども皆、物珍しそうに見ていくが購入する気配は一向にない。
さらに数十分が経過する。
向こうから1人の若い女性がゆったりとした歩みで商品棚へ近づいてくるのが見えた。
女性は棚の前で立ち止まり多種多様に並べられたパンを眺め始めた。
一通り眺めた後で、今度はカイルを見る。
「あのー、これ一つください」
初めての注文が入った。
「はい!」
カイルは商品を女性に渡し、銀貨を受け取る。
売上金を管理する袋に初めての銀貨が投入された。
「ありがとうございました!」
礼を言う声に自然と張りが出る。
(売れた)
今までどこに行っても全く売れなかった小麦粉が形を変えて価値を持ったことに感動していた。
(物が売れるってこんなに楽しいことだったのか)
周りで様子を窺っていた人たちも商品棚の前へ集まってくる。
徐々に注文が入り、商品棚に空きが目立つようになってきた。
「そっちは順調そうね」
アイリスが厨房から販売の様子を見に来た。
「あぁ。おかげで棚の商品がなくなりそうだ」
「私もペースを少し上げるね」
「助かる」
その後も想定以上のペースで売れ続けた。
(今日は店じまいとするか)
片付けを終えた後、売上の銀貨が入った袋と商品棚を倉庫に運ぶ。
運び終えると倉庫に鍵をかけて厨房へと向かう。
厨房へカイルが入ってきたことに気付き
「たくさん売れたね」
アイリスはまだ仕込みをしていた。
「今日はもう十分手伝ってくれた。適度に休息しないと明日に差し支えるぞ」
「明日はもっと売れるかなと思って。それで今のうちに準備してるの」
彼女の前向きに取り組む姿勢へ感謝しつつ、お互い初日の仕事ぶりを労った。
売上金の入ったずっしり重い銀貨の袋を部屋に運ぶと、机の上へ置き中身を取り出す。
丁寧に売上を計算した結果、初日としては上出来だった。
明日以降の売り上げにも期待が持てる。
翌日は前日にアイリスが仕込みをしてくれたこともあり、生産量を増やせた。
さらに噂を聞きつけて来客が増え、比例して販売量も増加する。
来客数は日に日に増加し、数日後には大盛況になっていた。
「このペースだとあと数日で小麦粉を全て消化できるわね」
「そうだな」
そんな会話をしていた翌日、客足がまばらな時間帯にふと大柄な男が露店へ近づいてくるのが見えた。
「兄ちゃん、最近ここで商売始めたらしいな」
カイルは適度な会話をしながら無難に応対する。
「おかげでよー、うちの商売あがったりなんだわ」
(ということは、この男はパン屋か)
おそらく因縁を付けに来たのであろう。
(ここは冷静に対応して大人しく帰ってもらうとしよう)
「あと数日で店仕舞いするんですよ」
その言葉を聞いて男は周囲に人がいないことを確認するとニヤっと笑う。
次の瞬間――商品棚を力いっぱい蹴り飛ばす。
「ドガッ」
棚は大柄な男と反対方向に倒れ、商品のパンがあたりに散乱した。
「おーっと、足が滑っちまったぜー。不可抗力ってやつだな、早めに店仕舞いできてよかったじゃねーか、ガハハ」
そう言い残して去って行った。
大きな音が鳴り響き、アイリスは厨房から飛び出してカイルに駆け寄る。
「大丈夫?いったい何があったの?」
アイリスは辺りに散乱したパンを拾い集めるカイルに話しかけた。
「あぁ問題ない。少し手荒い挨拶をされただけさ」
カイルは拾い上げたパンを左手で抱き抱え、右手でまだ落ちているパンを拾いながら返事をする。
アイリスも落ちている残りのパン拾いを手伝う。
彼女が心配そうな表情で見つめていたので、パンを全て拾い終わった後、事情を説明することにした。
事情を聞いた彼女はこのまま場所を変えて販売するかどうか尋ねた。
「アイリス、この町で何か催し物が開催される予定はあるか?」
開催されているのなら露店として出店できる。
周りの目もあり、先程のような騒ぎになることもないだろう。
「そういうことね。調べてみる」
その後、カイルは取引所にいる商人たちに当たってみたが、有力な情報は得られなかった。
「ごめんなさい」
アイリスは親戚などに確認してくれたのだが、同じく良い情報を得られない。
(何か別の方法はないか?)
再び振出しに戻ってしまい、長い沈黙が二人を包む。
沈黙を破ったのはアイリスだった。
「そういえば実家の飲食店が宿に朝食を納入しているわ。この町の宿と交渉してパンを朝食として使ってもらうのはどうかしら?」
「いい案だ、さっそく近所の宿から当たってみる」
カイルはバスケットの中にいくつか試食用のパンを詰めた後、アイリスから近場にある宿の場所を教えてもらう。
「いってらっしゃい」
カイルはパンの入ったバスケットを持ちアイリスに見送られながら、一番近い宿の方向へと歩き出す。
宿に着き、入り口を抜けると受付へ向かい、店主と交渉を始める。
「連日すごい賑わいですね。実は私も買いに行ったことがあるんですよ」
店主の口調は明るく、既にパンの美味しさは評判になっており感触は良好である。
「朝食として出させて頂けるならお客様もきっと喜びます」
朝食に使ってもらえる承諾を得たので、次に納入金額や個数の交渉を行う。
(交渉成立!)
他にも宿をあたり、当初予定していなかった飲食店にも交渉してみたところ、いずれも交渉成立した。
パン1個あたりの納入価格は露店で販売する価格より安価だが、大量納入できるため時間効率もよく纏まった利益になる。
バスケットの試食用パンが全てなくなったところで家に戻り、驚くほどあっさり納入先が決まったことをアイリスに報告する。
宿と飲食店へのパンは3日に分けて納入し終えたところで全ての小麦粉を消費した。
「やっと全部消費できたね!」
「あぁ。アイリスのおかげだ」
「二人で協力したからだよ」
アイリスの親戚へ世話になった礼をした後、今までの宿泊費が入った銀貨の袋を渡す。
親戚も同じ家に住んでいるのだが、仕事の邪魔にならないよう配慮してくれていたようだった。
その為、あまり会話はしなかったのだが、何日かは一緒に食事をして交流を深めた。
アイリスは夕方に翌日の仕込みを少し行ってから外出し、翌朝に家の厨房に来てパンの仕込みと焼き上げを行う。
この繰り返しだったが、外出する理由について聞かなかったのは毎日必死で、それどころではなかったからである。
アイリスと相談し翌日の昼に町を出発することとなった。
――翌日。
「それじゃラトビリーまで連れて行ってくれる約束よろしくね!」
アイリスはにっと笑って、ぴょこっと荷台に乗り込むと彼女の綺麗な髪がしなやかになびいた。
二人を乗せた馬車がゆっくりと動き出す。
道の両端に咲く草花が爽やかな風に揺られて綺麗な波を描いていた。
「町を出る前に仕入れたリンゴ食べてもいい?」
「これは売り物だから食べた分きっちり代金払うんだぞ」
「また売れ残るぞー」
「……ひとつだけだぞ」
「ふふふ、ありがと」
なかなか痛いところを突くと思いながら後を振り返った時には、アイリスは荷台に座ってリンゴを美味しそうに頬張っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます