第二話 その2
「だから、別にお前に数学を教えてもらおうとは思ってない」
「……あ、あーなるほど。まだ本気出してないからってことか。もう、強がりなんだから!」
「いや、あれが全力。フルパワーだ」
俺は宇宙の帝王や平穏に暮らしたいからと、力を隠しているラノベ主人公ではない。勉強においても手を抜いたことは一度もないのだ。何今のフレーズ、我ながらかっこいい。結果ともなってないから何とも言えないけど。
「じゃあなんで断るの? 首席に直々に教えてもらう機会なんてそうないんだよ⁉ 今、篠宮は一世一代のチャンスを棒に振ろうとしてるんだよ!」
「自己アピールしすぎだやかましい。理由なんて、数学が嫌いだからに決まってるだろ」
「意外とシンプル⁉」
「だいたい、苦手なものは克服するっていう固定観念が気に食わない。逃げるは恥だが役に立つも知らないのかよ」
「出たよ、捻くれモード……。ていうか役には立たなくない?」
「細かいことはいいんだよ。それより、俺からもお前に確認したいことがある」
「ん、何かな?」
「今までこうして勉強の話題になることはあったが、その中で一度たりとも、お前は今みたいに教えることに執着したことはなかった。……何か他の理由があるだろ?」
途端神崎がびくりと肩を震わせた。しかしそのまま固まる姿勢をとり、結果俺との視線が交錯する。茶番の舞台同様、下りるつもりは毛頭ない。
まるでにらめっこのように表情を固定し神崎の目を捉え続けた。……まあ、にらめっこ、やったことないんだけどね。相手がいなかったし。理由が悲しすぎる。妹くらい付き合ってくれても良かったんじゃないかな?
やがて神崎は降参とばかりにため息をつき、不満げに口を開く。
「……この距離でとか耐えられるわけないじゃん」
「お前意外と顔に出やすいしな。俺の予感が正しいことが確定したから粘らせてもらった」
「え、うそ」
信じられないといった様子でペタペタと自らの顔を触る神崎。この時点で何かとお察しなのは言わないでおく。
「それで何企んでたんだ?」
「簡単なことだよ。実は今日部活が休みなの」
「サッカー部が?」
「ううん。正確にはマネージャーの私が。今日は仕事の担当じゃないんだ〜。だから一緒に帰れるよ」
「了解。じゃあ文芸部も今日は休みにしとく」
「毎度のことながら、部長なのに公私混同していいの?」
「部員俺だけだしな。で、それとこれにどんな関係が?」
「唐突に篠宮の家に行きたくなったの」
「……ちょっと何言ってるかわからない」
いきなりドストレートを喰らわされたくらいの衝撃。これにはメンウェザーもお手上げ。
「何もおかしなことじゃないでしょ〜? 今までとは違って恋人になったんだから」
意味深な言い方に思考を巡らせてみても答えは出てこない。それを汲み取ったのか神崎はそのまま続けた。
「実は今回みたいに勉強を教えるって名目で以前も篠宮の家に行こうと試みたことがあるの。でも無理だった。結局実行に移すことは諦めたんだ」
「今日思いついたわけではないのね。ていうかなんでだ?」
「だって、付き合ってもない子がいきなり家に来ようとするなんて嫌がられると思ったから」
「……なるほど。だから付き合って最初のテストが返された今日、その試みを実行に移したってわけか」
「そういうこと。でも結局断られちゃったからね〜」
よっぽど罪悪感を煽りたいのか、神崎は横目で俺をちらちらと確認してくる。何か勘違いしてるぞこいつ。
「頭のいいやつって無駄に物事を考えて遠回りすることがあるから、状況によってはたまに馬鹿になるよな」
「突然何言って……ってそれ私のこと⁉ 証拠を出してよ! 証拠!」
「お望み通り。俺はまだ、お前が家に来ることを断った憶えはねえよ」
断ったのは数学を教えてもらうことだけだ。それも単純明快な理由で。
「……私が家に来るのは嫌じゃないってこと?」
「まあ、どう受け取るかはお前次第だな」
「じゃあ勝手に解釈しまーす」
神崎がどう解釈したのか。それが言葉として出てくることはなかった。
放課後。俺は教室に残り、日直の仕事を片付けていた。
糸井先生のクラスは名前順で男女二人一組で日直の担当になるのだが、本日俺のペアの女子は欠席(詳しくは部活で公欠)しているため今日一日、一人で仕事に勤しんだ。
二人で行うのが前提となっているため、とても一人でやり切れるような量ではないが去年もなぜか、日直の時にほとんどの確率でペアの女子がいなかったので既に一人でこなすことに慣れている。神様はどうしても俺をボッチにしたいらしい。神様公認とか肩書が強すぎる。
「日直さーん。そこの隅っこ、まだ白いですよ〜」
「やかましいわ」
「と言いつつしっかりと乾拭きする篠宮なのでした」
黒板掃除の場合、黒板消しに年季が入っているといくら綺麗にしても粉が付着してしまうので雑巾で乾拭きする方が効率が良くておすすめ。誰得情報だ。
「ナレーションつけんな。てか、なんでまだここに残ってんだよ」
黒板に向き合いながら、顔だけを振り向かせ教卓に一番近い席に座る神崎を軽く睨んだ。確かそこは男子の席だったな。これ知ったらそいつは嬉しさのあまり発狂でもしそうだ。女子が自らの席に座ることに何か、特別な意味を見出してしまうのが男という生き物である。
「ほかに誰もいないからいいでしょうが。あと、ペアが不在で何しでかすかわからない篠宮の監視」
「俺はそこまで問題児じゃない」
「『篠宮くんが掃除をサボってました』っと」
「日誌に嘘を書くな」
「『四時間目の国語で、先生にバレないように篠宮くんがこっそり寝ていました』」
「おい馬鹿やめろ。本当のことも書くな。糸井先生に殺される。……ていうか今日はお前に書く権利はない。それも日直の仕事だ」
「ペアの子の代理を務めたことにすれば可能だよ。あと私の株がさらに上がる」
「お前はもうカンストしてるだろうが。なのに生贄として、ただでさえ低そうな俺の株を下げないでくんない?」
「尊い犠牲でした」
「まだ死んでないです」
失礼なやつだな。黒板の清掃を終え、レーンに溜まったチョークの粉をちり取りで集めていく。実はこれが一番過酷。なかなか思ったように取れないのだ、この粉チーズもどき。
「思ったんだけどさ、篠宮って結構綺麗好きだよね」
「いや、そういうわけじゃない。ただ普段の生活の名残というか癖というか……な」
「どういうこと?」
「家事の担当が掃除と洗濯なんだよ」
おかげで中学の頃、陰で掃除ガチ勢なんて呼ばれていた。この通り聞こえてるんだけどね。もっと気を遣える同級生が欲しかった。
「へー、分担してるんだ。家事」
「両親ともあまり家にいないからな。俺と妹で分担することにしたんだよ。ちなみに妹が炊事」
「料理できたら家事完璧男子だったのにね?」
「今頃モテてただろうにな」
「その性格でそれはないでしょ」
「……だから、冗談に付き合ってくれてもいいだろ」
そろそろ一人で漫才するまである。需要ねえな……誰にも。
「私としてはこのままでいいけどね。……ほら、料理でマウントとれるし」
「言っとくが俺だってチャーハンくらいは作れる」
「今時小学生でも作れるよ」
マジか。すげえな今時の小学生。……と思ったけど、うちの妹も小学生で大方の料理習得してたわ。俺の母さんが料理の腕は完璧に超されたって泣いてた。最高の親孝行だね! ……妹よ。お前には人の心がないのか。
ようやく粉を取り終え、乾拭きで仕上げた。あとは窓を閉めて日誌を糸井先生に提出すれば日直の役目は終わりだ。
そこでガタガタと椅子が引かれた音がした。横目で見やると神崎が立ち上がってカバンを肩にかけていて。その視線はじっくりと俺に注がれている。
──これが裏門で待ち合わせという合図。
「じゃあ、先行って待ってるね」
「……了解」
いつもと違い、なぜか言葉も加えられた。
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