第二話 その3
軽快な店内放送が耳に馴染んできているのを感じる中、俺はショッピングカートをゆっくりと押していた。理由は簡単。前を歩く二人が話しながらの移動のため、スピードを出せないのである。カートにも自転車みたいにベルが必要だと思います。……まあ、この状況はあっても使うに使えないが。
「──へー、琴音さんってモデルなんですか。道理でそんな綺麗なわけですね」
「美玖ちゃんに言われると恥ずかしいな……。でも、そういう美玖ちゃんだってすっごく可愛いよ! 持ち帰って自分の妹にしたいくらい」
私服警官の方! ここに犯罪者予備軍いますよ!
「私だって選択権があれば琴音さんの妹になりたかったです〜!」
「ちらちら視線送ってくんなよ。悪かったな。こんな兄を引いたお前の引き運が」
「中途半端な自虐だね……どうつっこんだらいいかわからないよ」
「放っておけばいいんですよ、琴音さん」
まるで子供に見せてはいけない存在に遭遇したお母さんのように、神崎を俺から隠す俺の妹──篠宮美玖。どうして俺が犯罪者みたいな扱いなんだよ。どちらかと言えばお前の腕の中のそいつだからな。しかもお前、ターゲットだぞ。
さて、どういう経緯で、俺の家に行く予定だった俺と神崎が妹の美玖と共に地元のスーパーに来ているのかと言えば、それこそ遭遇であった。
あれから裏門で合流した俺たちは最寄りの駅から電車に乗り、やがて無事に俺の家に到着したのだが、まさにその時だった。家から制服姿の美玖が出てきたのである。
「あ、お兄ちゃん。私今から買い物だけど…………誰その綺麗な人。美人局?」といった感じで、お迎えではなく夕飯の買い出しに向かおうとしていたことが判明し、なんやかんや神崎がついていくことを所望したので現状が生まれたわけだ。今の中学生って美人局も知ってんだな。仕掛け側の男がいないから、さっきの状況では意味として通ってないけど。言葉を使いたかっただけなんだな……。わからなくはない。
「そういえば、琴音さんはどうして私の名前を事前に知ってたんですか? 関わりがあれば、琴音さんみたいな人は記憶にずっと残ると思うので前会ったとかではないですよね?」
「実はね、美玖ちゃんの存在は篠宮から聞いてたの。だから名前だって知ってたし、いつか会ってみたいとも思ってたんだ」
「そうですか。……話題がないからって妹を話の材料にするなんてサイテー」
こちらに振り返った美玖の目は不満に満ちている。兄の威厳が十ポイントほどダウンした。ボッチなんだからしょうがないだろ。ていうか話題になることくらい快く受け入れろよ小せえな……。
「会ってみたいって思ってたってことは……家に行きたい理由にも繋がったりするのか?」
「さすが篠宮。私、一人っ子で兄妹……特に妹に憧れがずっとあったの。小さい頃に、サンタさんへのプレゼントとして妹を頼んだくらいにね」
「……程度の凄さは理解できたけど、ここ公共の場だからな? 生々しい話は慎め」
周りから小さい声で「ご両親頑張ったのかしら……」とか聞こえるんだけど。多くの夢を壊しかねないからやめて! ここには小さなお子さんもいるんだよ?
「だから、こうして美玖ちゃんに会えて嬉しいんだ〜!」
「ちょ、こ、琴音さん⁉ 急に抱き着かれるのは……」
言葉とは裏腹に神崎の抱擁に満更でもない顔を見せる美玖。その証拠に頭に引っ提げたポニーテールが喜びを表すかのように揺れている。だから公共の場って言ってんだろ。これ見た人が百合趣味に目覚めたらどうすんだよ。
そもそも、なんで初対面から一時間も経ってないのにそんな仲良さそうなの君たち。これこそトップカースト同士の邂逅に限り起きる限定イベントのようなものだ。ボッチの俺にとっては縁がないのも当然である。
実はこの妹、兄がボッチであるにもかかわらず学校ではトップカーストの座に君臨しているとか。人懐っこく、素直な性格であることを考えれば当然とも言えるが、どうにも解せない。一体どこの段階で遺伝子組み換えがあったのやら。表記しないと捕まるぞ。
野菜コーナーに差し掛かったところで、美玖は小さな紙を制服のポケットから取り出した。
「あ、それ買い物メモ?」
「はい。二人分だけなので、買うものを事前に決めておかないと無駄遣いになっちゃうんですよ」
「しっかりしてて偉いな〜。どれどれ…………もしかして今日の夕飯はカレー?」
「お、鋭いですね。ここに書いてあるの、野菜がほとんどでましてやルーなんて書いてないのに」
「二人だけならルーも冷蔵庫の中に残ってると思ってね」
「さては琴音さん、料理できる人ですね?」
「ふふ、大したことはないけどね」
部室での振舞いが頭にあるから突然謙虚な姿勢見せられると不気味にしか感じないな。
とりあえず、サラダに必要そうなものはかごに入れておくか。あ、このトマト安い。
「はあ……これだから買い物慣れしてないお兄ちゃんは」
そう言って美玖は俺の入れたトマトを早速商品棚に戻し、新しいそれと入れ替えた。
「え、何その対応。俺が触ったからなの? 遅すぎた反抗期なの?」
菌がどうこうで騒いでいた小学生の頃が懐かしい。それ苦い記憶や。
「違うよ。こっちの方がヘタが緑だから、いいトマトなの。被害妄想して美玖を……私を悪者扱いしないでよね」
慌てて言い換えた美玖。おっと。どうやら気が抜けてしまったようだ。別にそこまで気にすることはないと思うけどな。
「えーっと……今、美玖ちゃん、自分のことを名前で……?」
「そんなことより買い物ですよ琴音さん! 早くしないと野菜が全部なくなっちゃいます!」
「いや、山盛りで、他の人が何個かかごに入れても減ってるように見えないくらいなんだけど」
(空気読んで! 馬鹿お兄ちゃん!)
小声で俺を罵倒すると神崎の腕を掴んで別の野菜のところに向かった美玖。……まあ、いいか。腕引かれて神崎も満更じゃなさそうだし。お前の妹への想い尋常じゃないな。
カートで商品棚の間を進んでも迷惑なので、その場に留まっていると買う予定の野菜を抱えた二人がこちらに戻って来た。その野菜は、今日の夕飯のメニューを確固たるものにする面子──ジャガイモや玉ねぎなどだった。もちろんあいつもその中に混じっている。
「人参嫌いなんだけど。だいたい、いつもカレーの時は人参入れてないのになんで今日は入れる気なんだよ」
「え、篠宮人参嫌いなの? ……あれ、確かにメモには書いてないや」
「……せっかくお兄ちゃんに花を持たせてあげようと思ったのに。なんでそうやって人の気遣いを無駄にするようなこと言っちゃうかな」
「学生のうちに嫌いなものは嫌いって言っといた方がいいぞ。どうせ社会に出ればそんなものと無理にでも付き合わなきゃいけなくなるんだからな」
「……どうして琴音さんみたいな人がこんなのの彼女さんなんですか?」
「あはは……まあ、色々あったんだよ、うん」
ぎこちない笑みを浮かべる神崎を見て、美玖はため息を深くついてこちらを諌めるように睨む。
「ほら、琴音さんも正直引いてるよ」
「まあ、社会云々は置いといて人参は譲る気がない。あの自然界にはない色といい独特の甘みといい、食べようと思える要素がまるで感じられないからな」
「人参に親でも殺されたの?」
「いえ、殺されてないです」
「真面目に答えんなよ。アホだと思われんぞ……」
大丈夫かしら今年の高校受験。中三の妹のこれからについて勝手に心配していると、何やらスマホを見始めた神崎。やがて納得がいったような表情でスマホをしまった。
「美玖ちゃん、人参を使わないカレーが何種類かあるから、それに献立を変更しない?」
「えっとそれって……」
提案の詳細を聞くや、美玖はちらと俺を確認した後神崎の耳元に口を寄せた。
「甘やかすのはあまり良くないと思いますよ。兄の場合、単純なのですぐにつけ上がりますから」
「おい、本人に聞こえてる。その手は何のためにあんだよ」
「確かに苦手を克服することも覚えさせた方がいいと思うけど、今回に限っては別に甘やかすとかじゃないよ。ただ料理スキルの高さでも見せちゃおうと思っただけ」
得意げな、やる気に満ちた視線が俺に一瞬向けられた。
「料理スキルを見せる……ですか」
「うん。だからそのために、夕飯一緒してもいいかな?」
くるりと回転して俺に確認を求めた神崎。責任者は一応俺ってことね。だとすれば言えることは一つだけだ。
「親御さんには?」
「レシピ調べる時に許可も取ったよ」
「じゃあこっち的には何も問題がない」
「了解。この選択が間違いじゃなかったことを証明してあげるよ」
「カレーなんて誰が作っても同じっぽいけどな。二時間目の英表の並び替えの問題にも書いてあったし」
「い、痛いところつかないでよ! 確かに私も否定はしないけどさ……」
「まあ、楽しみにはしてる。マウント取れるように頑張れよ」
「取られるとはまるで思ってないような余裕さをどこか感じる……! ──美玖ちゃん、この中のレシピでどれが食べたい?」
再びスマホを取り出すと、神崎は美玖と一緒にその画面を眺め始める。やがて美玖が年相応な感じで表情を明るくした。
「これがいいです! 名前は知ってるけど、食べたことがないので!」
「確かにあまり日本に馴染みはないかもね。よし、じゃあこれにしよっか。材料で家になさそうなのある?」
「あー……これとこれが三人分となると足りないかもです」
「ならそれ買いに行こうか。私の分のやつは私のお金で払うから安心してよ」
「いや、それくらいは俺が出す」
なんか二人だけで盛り上がってるなー。俺いつも通り蚊帳の外だなー。なんて思っていた時に舞い降りたチャンスだ。しっかり物にして会話に割り込むことに成功した。……んだけど、二人とも俺見て固まってない? 身内でもボッチの受け入れ態勢は整ってないってこと? 微妙な雰囲気が流れ始める中、先に口を開いたのは美玖の方だった。
「……お兄ちゃん、そんな気遣いできたんだね」
「当然だ。ボッチは基本的に他人に気遣って生活してるからな」
グループ活動の時には口を開かないのが鉄則だ。それなのに声をかけてくるやつはくたばれ。自然とみんな気まずくなって俺の意見に肯定的な評価しかしないから、結果俺が発表することになるんだよ。めんどくさいからって押し付けんな。
「別に気にしなくていいよ、篠宮。食べる直前までメニューを秘密にしておきたいから、買うもの見られたくないの」
「だったら金だけ渡せばいいはず…………だろ」
財布を取り出して中身をチェックすると、そこには驚きの光景が広がっていた。美玖が俺の様子に不審がって脇から覗いてくる。
「ないじゃん。お札」
「いやー、細かいのに崩れてるの忘れてたなー」
そう言って小銭入れの部分のチャックを開ける。どうでもいいけど、チャックとチェックって似てるよね! ……と現実逃避したくなる中身だった。
「三桁ギリだね。これでよく『いや、それくらいは俺が出す』なんて言えたもんだよ。妹として恥ずかしい」
「はい! ということで金欠の篠宮は先に店の外で待っててください!」
「……はいよ」
立つ瀬がないので大人しく、言われるがまま雲に覆われた店外へと向かうと、肌寒い風が身を襲った。懐だけでなく身まで寒くなるのは嫌なので、本屋の中に入って待つことにする。
ラノベのある二階に行くことも考えたが、それだと時間を忘れそうなので一般文芸で我慢した。俺的に、この書楽は北与野で一番需要がある場所だと思います。あとサイゼ。俺にはないけど。
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