第二話 その1
「時間がいい感じに余ったので、ちょうどいいからこの時間に休み明けテストの結果を返そうと思う」
次の日の四時間目。時計の針が終了時刻より手前であることを確認した現国担当兼担任の先生──糸井香純は高らかにそう宣言した。長めのポニーテールがふわりと教壇上を舞う。他人事だから楽しそうだなー。
途端にクラスがわっと騒がしくなるが、それを気にする素振りもなく先生はテスト結果が記されているであろう横長の短冊を取り出した。
ふ、テスト返却ごときでわーわーとみっともない。
動かざること山のごとしを体現する俺はそんなことで動じないのだ。ボッチの場合、静かなること林のごとくも当てはまるから、このクラスの中で俺が一番武田信玄に近いと言える。ここ、甲斐の国でも山梨でもなくて埼玉だけど。
「先生! このクラスで一番は誰ですか!」
教室後方の生徒が先生に質問を投げかけた。おいおい、テストは自分との競争だぞ。他人と比較したところで何の意味もない。ていうか普通にプライバシーの侵害。だから俺の代わりに言ってやれ先生。
「向上心があるのはいいことだ。良かろう、定期テストではないので特別に発表してやる」
ええ……今の質問をどうして向上心って捉えちゃうの? どう聞いてもただの興味本位だろうが。やっぱり楽しんでるよ、あの人。……できれば発表はやめて欲しかったんだけど。
「では発表する。このクラスで一番。そして──学年でもトップの成績を取ったのは神崎琴音だ」
生徒の名前がそうさせたのだろう。クラスは再び盛り上がりを見せる。
「神崎は先に取りに来てくれ」
「わかりました」
「この後は名前順に男子が続けよー」
返事をした神崎は、まるで一種のイベントのランウェイのようになった教室の中を、付近の席に座るクラスメイトの称賛に答えながら歩いていく。
「やっぱすげえな〜神崎さん! あの容姿で勉強もできるとか反則だろ!」
「まさに完璧美少女だよな! 同じクラスになれただけで人生の最高の思い出になるわ」
そんなクラスメイトの会話が騒ぎの合間を縫って俺の耳に届いた。安いな最高の思い出。君の人生はまだ始まったばかりだよ!
とはいえ彼らの言い分ももっともだ。神崎の場合、異世界転生系ラノベよろしく、スペックをステータスとして表示すればおおよそすべてが最高ランクだろう。
短冊を受け取り自らの席に戻る神崎と目が合った。すると一瞬だけにやりと口角が上がる。そして次の瞬間。
──明らかなどや顔で成績を俺に見せつけてきた。
といってもそれは自然な動作の中で行われたもの。今のように認識したのは、クラスできっと俺だけだ。……むかつくな。お前は日本人の美徳である謙虚さをなくしたのか。こうなるから発表はやめて欲しかったんだよ。
「次は篠宮」
怒りをぐっと抑えつけて教卓に向かう。俺ってばすげえ大人。
先生から短冊をもらおうと手を伸ばすと、ひょいとそれは俺から逃げるように先生の胸元に向かった。紙でも大きいのには寄って行っちゃうのかしら。男と一緒で意外と単純だな。
「ふむ……だいたいいつも通りだな。現国でクラス、学年共々二位というのは、担当としては褒めてやりたい」
「どうも。俺褒められると伸びるタイプなんで、さっきみたく発表してくれてもいいですよ」
「ふん、お前の場合調子に乗る、の方が正しいだろ。それに理系科目を取れるようになってから言うことだな。これは担任としての意見だ」
「……わかりました」
突き放すような言葉と共に短冊を受け取った。
最近、誰も冗談につっこんでくれない。まあ、今に始まったことじゃないから気にしてないんだけどね。
自分の席に戻る途中、俺の現国の順位を一つ下げた張本人を軽く睨みつけた。結果どや顔であしらわれました。
◇◇◇
昼休み。いつも通り文芸部室で神崎を待っていると、引き戸が音を立てて開いた。
「いや〜勉強ができるって大変大変。一位の成績表が見たいってことで、席の周り囲まれちゃって抜け出すのに苦労しちゃったよ」
「……まるで自己顕示欲の塊だな」
「遅れちゃった☆」だけで済ませればいいものを。少しは謙虚になって欲しい。
「もちろん、篠宮の前でだけね」
神崎はそう言うと、パイプ椅子を今度は俺の向かいに置いた。ここでの席配置は神崎の気分によってころころ変わる。規則性などは未だに不明。何しろ文系だからね! 理由にはなってないんだよなぁ。
「成績はどうだったの?」
にやにやしながら訊ねてきた神崎。粗方見当はついているのだろう。いちいち口頭で説明するのはめんどくさいのでポケットに入れておいた短冊を渡す。
「へー、やっぱりさすがだね。国語は」
「二位だけどな。二位」
語気を強めた。初めてのことではないから別に恨んじゃいない。ほんとだよ。
「ふふ、一位は誰なんだろうね〜?」
「……さあな」
先に下りた方が負けな気がするので、茶番の舞台に付き合うことにした。何の勝負だ。
「それで数学は──ふふ、相変わらずだね」
「ほっとけ」
俺たちが通うこの学校──稜永高校は全校や学年でテストの成績を開示することはないものの、神崎は俺の成績の詳細を知っている。というのも去年の半年間もこのように食事を一緒にしていたのだ。話題がないことが通常運転なのがボッチなので、学生として馴染み深い勉強の話も何度か経験したに決まっている。
「まあまあ、そんなことを言わずに。今あなたの目の前にはどんな人がいますか?」
「あーはいはい。超かわいい完璧美少女がいるよ」
「…………」
「……何だよ? 急に黙って」
「いや、えっと……突然褒めるのはずるくない?」
「は? そういう返しが欲しかったんだろ?」
自己顕示欲を少しでも満たしてあげようとする俺なりの優しさよ。なんでこれで友達いないんだろうな。多分こういうところが原因の一つ。
「……と、とりあえずそんな感じでいいよ! うん!」
「何だよ慌ただしいな。いつも余裕な神崎さんらしくないぞ」
「誰のせいだと思ってるのかな……?」
「自業自得だろ。俺に押し付けんな」
このまま話をずっと続けていれば、何のための昼休みかわからなくなるため先に弁当を机の上に広げた。なぜか不服そうな視線をこちらに向けつつ、神崎もあとに続く。
「それでそんな完璧美」
言い出したところで恥ずかしさを感じたのか、途中で咳ばらいが挟まれた。謙虚さはなくても恥じらいはあったらしい。
「……何笑ってんの?」
「いや、自己顕示欲って自分で満たせないからこそ存在するんだなって、今のお前見て合点がいった」
「人を哲学の引き金にしないでくれるかな? ていうか、さっきからの振舞いは身内ネタっていうか……冗談のノリに近いからね⁉」
「もちろんわかってる。ただ、冗談を冗談として処理されない時の何とも言えない気持ちを、味わってもらおうと思っただけだ」
「逆恨みだった⁉」
現代における犯行の動機のほとんどが逆恨みなのだ。今更行動原理として珍しいことでもない。そう考えると周りとの関係を絶っているボッチはセキュリティ面超安全。ペイペイみたいにもならないだろう。
「それで、さっきから中断しまくってる話はなんだ?」
「まるで自分はそれにまったく関与してないみたいに」
少し刺激すれば文句が出てきそうな視線を俺に送った後、神崎は一つ深いため息をついた。実はため息には体を落ち着かせる効果があるらしい。だから「ため息をつくと幸せが逃げるぜ」とか言ってそうなチャラチャラしたやつは落ち着きがないのか。かわいそうに、情報リテラシーが足りなかったんだな。
「この学年で一番勉強ができる首席の女の子が目の前にいるんだよ? しかも自分の彼女。こんな状況に自分の成績を照らし合わせれば、自然と言葉が頭の中に浮かんでくるでしょ。はい、せーのっ!」
「俺みたく偏りが出ないように、これからも文理の両立を頑張ってくれ」
「あ、うん。気遣ってくれてありがとう……じゃないよ! なんで私が主体なの⁉」
さすがはトップカースト。ノリツッコミはキレキレだ。こいつがクラスで盛り上げ役──いわゆるムードメーカーに徹しているところは見たことないけど。
「卵焼きを俺主体で作ってるやつに言われたくない」
「……た、確かにそうだけど……今回は違うの! 篠宮視点の言葉が欲しいの!」
らしい。ということならば──。
「……数学を俺に教えてくれ?」
「イエス! イグザクトリー!」
「それは英語」
「まあ、篠宮の頼みなら? 教えてあげてもいいよ?」
ご機嫌な様子でこちらの反応を待つ神崎。調子取り戻すの早いな。勉強には譲れない自信があるのか、優越感を全力で味わいに来たっぽい。ならば俺もその提案にも似た質問に答えるしかないだろう。
「いや、遠慮しとく」
「…………え?」
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