第21話 エピローグ

 タロウは身を伏せ、ゆっくり浜辺に向かう。

 (何かを浜で見つけたんだな)

 勇夫はそう思い、彼のあとをついていく。

 辺りはかなり暗い。

 月は充分すぎるくらいに欠けていて、まる

で女性の眉のようだ。

 雲間から時折、星々のまたたきがとどく。

 勇夫はあれれ、と思った。

 先ほど磯から離れてから、まだ二十分くら

いしか経過していない。

 (あのぼんやりした灯り。あんなのさっき

あっただろうか)

 勇夫が腰かけていた岩があった辺りだ。

 ちょうどクジャクが大きく羽をひろげたく

らいの空間の中だけが、妙に明るい。

 思いきり蛍が光を放つ程度の明るさである。

 その中で、何かがうごめいていた。

 (ひょっとして麻里なのか。いや、そんなこ

とはない。あの子はれっきとした人間。おれ

の勤める会社で、きっちり事務ををこなして

いたんだ)

 つい最近まで、いさおはまるでまぼろしの

ような物語の中の渦中にほうり込まれた感を

抱いて暮らしてきた。

 何が起きても驚かないぞと決めていた。

 犬と言っても、もとは狼。

 いざとなったら、野生が目ざめてしまう。

 勇夫はチェーンのはじを、もう一度浜辺に

横たわる藤づるにゆわえた。

 タロウはくうんとひと鳴きしただけで、哀

願するように勇夫を見つめた。

 「だめなんだ。おまえがいるとな。相手が

こわがる」

 勇夫がそう言いながら、タロウのからだ全

体をなでまわすと、あきらめたのか太郎は地

面に突っ伏してしまった。

 それから勇夫は腰を落としてそろそろと磯

に近づいて行く。

 蛍火の如く明るい場所にやってきたが、誰

の姿もない。

 夕焼けの名残が辺りにちらばっている。

 闇が支配しようとしていた。

 勇夫はしばらく辺りを探し回ったが、何の

痕跡も見当たらない。

 あきらめて勇夫は戻ろうとした。

 ふいに、バシャッと何かがはねた。

 (人か、それとも……)

 勇夫の想像がたくましくなる。

 海をのぞきこんだ。

 ゆうに三メートルはあるだろう。

 「白い大ぶりのさかな、それとも……」

 あえて口に出そうとするがためらわれる。

 すぽっと何かが海中から抜け出した。

 勇夫は、あっと思った。

 「いさおさん、ありがとう。いろいろお世話

になって」

 麻里の顔そのものだった。

 「まり、まりじゃないか。どうしてそんなふ

うに……」

 あとは言葉にならない。

 バシャバシャと長い尾で水をたてつづけに蹴っ

て、麻里が近づいてくる。

 勇夫がすわっている岩のそばまで来て、もろ

手をのばした。

 さあ、と麻里は勇夫の両手をつかんで引っ張っ

た。

 勇夫のからだが海中に投げ出されてしまい、

 「おれ、泳げないんだ」

 そう言う口を、麻里の口がふさいだ。

 「じっとしていて。すぐに楽になるわ」

 沖へ沖へとふたりして泳いでいく。

 「おれにはおふくろがいる」

 一度はそう言って、海面に顔を出した勇夫だっ

たが、

 「大丈夫。また会えますから。その時はわたし

はあなたの妻です」

 麻里が勇夫をたしなめると、勇夫は、うんと

うなづいてみせた。

 (了) 

 

 

 


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続・背中を向けた少女 菜美史郎 @kmxyzco

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