第7話

 もうすぐ浜辺が闇につつまれる。それを待ちかねていた魔物たちの独断場だ。

勇夫には想像もできない。

 せいぜいが狐かたぬきにばかされるっていう程度だ。


 「もういいです。どうぞ、声のするほうに歩いて来てください」

 しっかりした日本語を話す狐なんて、聞いたことも見たこともない。


 神さまのほんのお情けだろう。

 夕陽の最後のまばゆい光の矢が放たれでもしたかのように、浜辺がほんの少し、明るさを取り戻した。


 (お天道さまが女の子の出現を祝ってくれている)

 勇夫はそう思い、磯に向かって、おそるおそる歩みはじめた。


 波打ち際からほんの二メートルくらいしか離れておらず、先ほど勇夫が飛び降りてけがをした場所から、五、六メートルの距離の地点だった。


 黒い人影があった。岩の上に誰かがすわっているようだ。

 目を凝らすと、ぼうっと明るい。

 腰のあたりまで伸びた黒髪が今にもずるずると地を這い、勇夫の両足にからみついてくるように思われた。


 妖しげな気を四方に放っている。

 (メドウサでもあるまい。もしそうだったらどうしよう。こんなにゆったりしてはいまい。ねらった獲物を逃すまいとしゃにむに追いかけて来るに違いない。声からすると、まだ大人になりきっていない。からだつきは、ようやくつぼみがふくらみかけた花というところか)


 衣服を確認することができない。勇夫はそれ以上、近づくのをやめた。

 「うふっ、おにいさんって、あたしが怖いんだ」

 勇夫は、うっうんとせき払いし、

 「そんなことあるもんか。あんたが女の子みたいだから、遠慮してるだけさ」

 「ふうん?」

 「もっとよく見たいと思わない?」

 「思わないってこたあ、ないけど、眼と眼をあわせるのはちょっと怖い気がするな。いまごろ、浜辺で泳いだりしてるし、そんな子って、きっと特別なんだろうし。めったにお目にかかれないべっぴんさんだったら、おれなんかにゃもったいないだろうが……」

 「べっぴんさんって、何。意味わかんない」

 「美しい人ってこと」

 「あたしが?まだ子どもなのに。なんだかんだいうけど、つまるところあたしが怖いんでしょ。ねえ、そうでしょ?正直に言いなさい、おにいさん」


 勇夫は防波堤に向かって、歩きはじめた。

 「行っちゃうんだ?」

 「そうだよ。家で待ってる人がいるからね。じゃあ、また。きみだっておうちがあるんでしょ?早く帰ったほうがいい。心配するからさ」

 「つまんないの。せっかくお友だちになれ

そうだったのに」

 彼女の声に潮騒がまじった。


 海に出かけていき、二度と戻ってこない人はひとりやふたりじゃない。

 釣りをしていて、岩場で足を滑らせたのだろう。きっとそうだ。

 まことしやかに人々がうわさしたが、彼らの遺体が見つからない。


 ドボンッ。

 ふいに勇夫の背後で、何か大きなものが海に落ちる音がした。

 「ねえ、ねえったら、ねえ?きみ、まだそこにいるの」

 勇夫は振りむくと、女の子がいたあたりに向かって、そう叫んだ。


 いくら待っても、返事がかえってこない。

 勇夫は不安にかられた。

 闇がすっかりあたりを支配していた。

 波が砂浜をあらう、サラサラいう音が耳に届くばかりだ。


 しばらくすると、潮目が変わったのだろう。

 ザブン、ザブン、バシャン。

 岩を大波が打ちだした。

 

 

 



 

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