第2話
しばらく経っても石のつぶてが飛んでくる気配がない。
勇夫は、岩かげから姿をあらわし、彼らのいると思われる方を眺めた。
あはははっ、という笑い声を残し、おそろいの衣服を身に着けた、二十歳くらいの男女が防波堤めがけて走り去っていく。
(まったくもう、近頃の若いやつらといったら……。おれも、もう二十年若かったらな。追いかけていくんだが)
昔、どこかで聞いたことのあるセリフを、彼らに向かって発しようとしているのに気づき、勇夫は妙な気分になった。
新しい煙草を口にくわえ、ツキが替わるかもと、ポイントを変える。
「はよう、たばこさ、やめろ」
母はしつこく禁煙を勧める。
「そげんこといつまでもやってろ。嫁さんなんて、おめえのとこには絶対来ないかんな」
「ああ、わかってる」
母の小言にはうんざりするが、言ってることは正論である。
だが、もはや中毒になった自分には、よほどのことがない限り、煙草を吸うのをやめる自信がない。
長くなった煙草の灰が、ふいに、ぽとりと、勇夫の右手の甲に落ちた。
勇夫はあつつっと叫んだが、簡単にはふり払えない。
よけいな動きをすると、魚に察知されてしまう。
ほんの少しの間、その灰は、少々の風にもびくともせず、彼の手の甲にへばりついていた。
皮膚が焼ける痛みに、勇夫は歯をくいしばって耐えた。
ザブンッ、と音がして、勇夫の足もとの岩に当たってくだけた大波が、あたりにしぶきをまき散らした。
勇夫の上半身に大粒の海水が降りかかった。
「ふうっ、これでようやく痛みがしずまる」
と、彼は声に出して言った。
勇夫は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐きだした。
リールを巻き戻し、ルアーを確認すると、竹刀をかまえるような気持で、釣り竿を大上段にかまえた。
それをシュッと前方に振った。
おもりが海面に落ちる音が、いつもより遅いように思われた。
いらいらする気持ちをおさえ、釣り竿を固定してから、見慣れた大岩をぐるりとまわった。
オレンジ色のドッジボールのような太陽が海に沈んでいくところだった。
まるで海が日没に敬意を表するかのように、静まりかえる。
(どうして太陽なんてものがあって、四十五億年もの間、燃えているんだろう。いったい何が燃えてるんだろう。ばかだな、おれって。そんなことよりどうやったら、このポイントで魚が釣れるかってことだ。集中、集中)
伊勢の二見が浦で見られるような景色がここにもあった。
勇夫のいる磯を少し離れると、砂浜がずっとつづいているのだが、磯から左方向二十メートルくらい先に、小さな岩と大きな岩がわらで編まれた太い綱で結ばれている。
人々は、それらをふたつ岩と呼び、崇拝していた。
夕陽が、この日最後の光をあたりに放ちながら、ふたつ岩の向こう…、はるか海のかなたに消えていくのだ。
漁業にたずさわる人々は海をおそれる。神とあがめ、日々、深い祈りをささげるのだ。海は魚介類や海藻などを与えてくれもするが、時として荒れる。漁船を木の葉のごとくもてあそび、沈めたりする。
会社にせよ、自分のことにせよ、思うようにはいかないままならない。
(このまま、自分の意識があの朱色に染まった雲のなかにでも埋もれてしまえばい
いのに、そうなったらどんなに幸せになれるだろう)
だが、そんなことが許されるわけがない。
母一人子一人、苦労して育ててくれた母がいた。
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