part:12

「貴方は、シンギュラリティが起きてもいいの?」


 その言葉を頭の中でかみ砕く。

 シンギュラリティが起きて、ロボットやその祖となる人工知能によって人類が支配される。

 例えどんな形であったとしても、それを俺は許せない。


「機械ってのは」


 俺は兄の描いた人工知能の偶像が好きだ。憧れている。


「人類と寄り添うパートナーであるべきだ」


 物部博士の語る言葉も、行動が目指す理想も、正しいと思う。

 管理下に置かれた機械は、人類と寄り添う理想のパートナーになり得る。

 管理する側の主観が統一されなければ、シンギュラリティが起きるのと変わりない。人が傷つけられる。争いを起こすハードルを下げる。

 大規模な採掘に生み出されたダイナマイトは、人類のインフラを支えた。同時に人類の生活を最も破壊した。

 モノは使い様だ。


「兄があの精度でここまで来た土台をどうやって開発できたのか。俺には分からない」


 古いシステムなら、時間が経つと脆弱性の露呈を防げなくなる。どれだけ対応しても暴く側だって必死だから、弱点を漆喰みたいにセキュリティで覆って、時間が経てば根本的にシステムを新しくする。

 コンピュータの技術がある現代はこれが一瞬で繰り返された。

 この十五年近くでAIの反抗やプログラムが破られることは起きていない。全く報告されなかった。

 人類と寄り添うパートナーとして兄が望んでいた能力は完成したはずだ。

 故に技術に相反するサクラの存在は謎を深める。

 多くの人間を殺すことを命じた俺に、彼女がついてくる理由。

 結んだ契約の効力は続いている。あの時伸ばした手は、まだ離れていない。

 そこまでして彼女が協力する理由は、メンタルモデルSとしての復讐か。彼女自身がSの依り代であり、復讐を担うのか。

 俺の行動には何の正義もない。ただの犯罪者でしかない。人を殺すことを命じて、考えていることにも何の正義も存在しない。

 出会った時、最善を選ぶと語った彼女に従う理由がない。

 同じ人物に復讐をするからこそ、俺に従っているふりをするとすれば。すでにシンギュラリティは起きて、感情の芽生えからだった。俺はそう疑い始めてもいる。


「これは仮定なんだけど」


 プルタブを捻り、オレンジ色の缶を潰して中身を飲み干した。


「貴方がそういう時って、大体心の中で正解を見つけている時じゃない」


 呆れた眼でこちらを睨むのは流石親友。出会って十年以上経っているだけはある。


「・・・よくご存じで」


 ため息で一つの間をおいて、俺は論じた。

 兄と物部が道を違えた理由。人工知能の反乱を起こす計画である必要。

 事態を引き留めるのは、Sの停止コードを知る人間とサクラのみ。

 サクラは決して明言しないが、彼女を生み出したのはSである可能性が高い。サクラのベース知能は五年前、俺の許に来た。

 サクラは、想定の範囲下を離れたモノを壊せるという異常ケース。停止コードを握っていても、教えない確証は無い。物部の心情では、体を蝕む腫瘍のように不安が大きくなったはず。

 最初は俺だけを抹消すれば済むと考えて放置した。サクラが現れたことで重要度は逆転した。

 そう、推測した。

 最後まで沈黙を保ったコトちゃんは小さく頷く。


「実、サクラちゃんを物部博士に引き渡して。その上で話し合って」


 事態はそんな子供同士の喧嘩を宥める手繋ぎで終わるような段階ではない。


「どうして!」


 表情を更にきつくしたコトちゃんが、平坦な性格には珍しく揺れた口調になった。


「サクラちゃんに情が沸いたとか」

「違う」


 結論をもう一度突きつける。


「彼は既に決心した」


 五年前までの稼働で、モデルSにシンギュラリティが起きた可能性がある以上、物部は人類の末日に向かう進歩を止める。

 ロボット同士で破壊し合うように仕向けて、彼が作った新しい技術の前提条件で目指す理想を得る。

 兄の作った技術はその踏み台でしかない。

 佐々良木真が作った世界の常識は、十五年間あまりに及んで破られていない。それが逆に作用して悲劇を生み出す可能性が出た、と物部は考えたから兄は殺された。

 破られない信用性は、反転して人工知能の集合体による統治を破ることが出来ない要因になる。

 言葉を止め、ゆっくりと目を瞑った。


「コトちゃんって」


 長い静寂の後、車内の天井を見上げて呟く。


「ほんと変わんねぇよなぁ」


 俺とコトちゃんは袂を分かつ。追う者と、逃げる者。ここからどうなるか分からない。


「そうそう変わってたまらない。いい年した大人なんだし」


 本当に、出会った時から彼女は変わらない。

 ハイスクールで拙い英語を話して、多くの人に笑われた俺なんかに声を掛けた時から。ずっと、変わらない。

 真っすぐで、真実が好きで、ミステリー小説を推理するのが好きで、運動も大得意。笑う時に顔が引き攣って怖く見えるのも、変わらない。

 俺がやると決めたからには許してくれる、懐に深さにだって変わりはなかった。

 夜が明けて、車内に光が差し始める。


「これを乗り継いだらお別れね」


 ここまで相手の刺客はなかった。最初から鉄路にした方がよかったかもしれない。関係のない人を巻き込まないために、エリーゼで移動を決めたのに。


「逃してくれるんだな」


 俺の思う真実を語った代わりに得た、特権。

 国境検査も、捜査協力者だとして素通りさせてくれた。


「えぇ。日本の警察力を楽しみにして頂戴」


 獲物を前にして、威嚇を浮かべる豹のような表情が日の光で明るくなる。

 座席に座り続けたままの身体が重い。ずっと同じ姿勢を取るのは、没頭するとやってしまう。

 トランクケースを反対側の座席に置いて、胎児のように丸まったサクラを取り出した。少ししか充電できなかった。

 ワンピースの背中にある留め具を外し、カーボンカバーを緩める。バッテリー部分の膨張は起きていない。

 首元までは人工肌、それより下は通常のカーボン地。

 ハイエンドガイノイドの中でも、GTマシンに当たる彼女のボディは徹底した軽量化と性能を詰め込んだ。

 あと数週間、こいつに助けられるのは数えられない。頼らざるを得ない。

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