part:10

「・・・あれ?」

「どうしたのですか、主」


 俺とサクラの背後には警察署。俺たちは追い出された形になる。・・・あれ?


「なぁ、コトちゃん」

 恐る恐る藪をつついた。

「どうしたのよ、み・の・り」


 何度見返してもそこに居るのは、腕を組んでじっくりと笑う神様仏様琴音様。彼女を拝むと、ありがたーい表情に怒りマークが浮いている。


「なんで釈放されてんの」


 普通はここで御用になる。あれだけ派手な事をしたのにアッサリと追い出された。

 ドイツの警察がそんな甘いことをするわけがない。あの道路は治外法権でもなく、そういう立場の人間でもない。


「ちょぉっと、司法取引しただけじゃない」


 ちょっとがデカすぎる。

 治安機関の手続きを歪めるのは、決して「ちょっと」なんてことはない。外部から物事を言える機関に所属する一人がどうこう言ったからって、どうにもなるはずがない。


「ほら、さっさと乗る!」


 警察が回収したトランクケースを車に載せた。コトちゃんが借りた黒のセダンは、普通のレンタカーでもない。

 隣にサクラが収まり、助手席は我が物顔で座るコトちゃん。居心地の悪そうな黒スーツの青年が夜の街を運転する。


「逃がしてくれるわけもないよな」

「それも司法取引」


 次々と飛び出す超法規的措置の荒技。

 彼女の中の司法取引って言葉が余りにも法律も常識も超越しているのは分かった。どうしてそこまでするのか。


「物部博士が何を企んでいるか、教えて。それが条件」


 何がどうあっても、どうやっても俺の復讐の理由が知りたいらしい。


「どうしても、か」

「どうしても、よ」


 ロータリーで降りると、セダンはそそくさと退散する。遠くに気配はするが、本当に見逃された。

 レンガ敷きの上を一歩、二歩。疲れて火照った身体に染みる、進む間の無言の空間と冬の寒さがどことなく心地よい。

 やや思案した。


「・・・分かった」


 元々話すつもりだったんだ。早く明かしても構わない。


「それは、最後に明かすと!」


 サクラが三歩後ろから咎めた。


「司法取引なんだから、受けるしかない」


 そうじゃなきゃ、俺とお前は離れ離れになる。お前はあくまで人を模す「モノ」だ。

 モノは持ち主が捕まれば接収される。

 ドイツ警察が接収すれば、最新AIモデルを積んだガイノイドが手に入る。技術の先端がふんだんに盛り込まれたワンオフをリバースエンジニアリング出来る。

 世界で唯一のサクラは・・・既存の人工知能では不可能なことが可能。この技術が使えるのなら、世界を変えられる。


「よーやく、分かったのね!」


 今の今まで、思考がぼんやりと霧がかっていた。頭の回転は速い方だと自負はあるが、脳内は興奮に陥って。事情聴取という非常事態で落ち着けなかったのか。メンタルの指数はかなり悪い状態が続いたのだろう。


「さ、取引しましょ」


 ステップしたコトちゃんの黒いポニーテールが揺れる。きつめの表情が少しだけ緩んだ。


「ここから電車の予定なんでしょう」


 ドイツからポーランド、ウクライナまでの道のりは自分達で確保している。そこにコトちゃんの分が増えるだけ。


「詳しくは列車で聞くわ」

 返事の代わりに肩を竦ませて、踏み出す。

「彼女を短期間とは言え連れていくのですか?」


 フレンチコートの裾を掴むサクラの力は随分と弱弱しい。

 危険を引き寄せるのではないか。心配は分かる。

 同時に、コトちゃんの立場と地位は、俺たちを狙う相手にリスクを強要出来るリターンがつく。


「つまりは都合のいい女、ということですね」

 サクラは理解するなり、毒づいた。

「お前は何ていうことを言うんだ」

「みーのーり?」


 サクラの言った言葉の責任は俺に来るのか?主従関係と彼女が自称しているから、そうか。従者の失態は主人の責任だ。


「・・・実際都合はよかったよ」


 本来、さっきのビルで俺たちの旅は終わるハズだった。


「私はあくまで、捜査の一環として貴方に同行してもらったの」


 元学友、親友としての俺たちのデッドライン。


「勝手に逃げんなよ、ってことか」


 コトちゃんはいつでも俺を逮捕出来る。あえて途中まで通らせてくれる。


「そういうこと」


 どうせ、逃げようがない。リスクとリターンを天秤にかけた結果だと思えばいい。

 向かう先に未だ光は無いが、足元を照らす小さな灯りは増えた。


「はい。チケット」


 コトちゃんが手を出す。

 視線を送ると百三十半ばの影が脚を折り畳み、トランクケースに収まった。


「これで、二人分になったな」

「うわ、外見が完全にホトケさん運んでる絵面」


 ドン引きするコトちゃんを尻目に、トランクケースを右手で握る。右半身のパワーアシストが起動して体にかかる重量のバランスが調整された。

 予約の席を取り直した列車の時間が近い。

 このまま鉄路で夜を徹して進んでいく。行くしかない。真っすぐベルリンに進むよりいい方向があったのを蹴ったから、時間に追われている。

 心残りは、あの黄色いスポーツカーが廃車になったこと。

 復讐を終え、いつかあっちに行った先で兄に怒られる気がした。


「モノは大切にしなさいって、お兄さんの言葉だっけ」コトちゃんが諳んじる。


 サクラにも今日は随分と無理をさせた。後でチェックする時が怖い。

 座席に座って直ぐに、拳銃の分解整備。何か手元で作業をしないと落ち着かないのは、悪い癖だ。

 コトちゃんは通路側の席に座ったのに、窓の外へ視線を送る。


「人を模すもの、か。もしモデルSが凍結された理由にそれがあるなら」


 彼女は缶コーヒーを飲み干して、何かをメモ帳に書きこんでいる。

 時間も相まって、車内には全く人の姿がない。サクラの整備は匂いや火花が散ることもないから、隠れて整備出来る。

 駅舎の時報鐘と列車のホーンで、車窓が動き出した。


「さて、邪魔は入らないね」


 ギラギラと燃え滾る猛禽類のような瞳に睨まれて動けない。彼女の摘まんだ左手は、盗聴器らしき機械を前の座席の隙間から引き抜いた。

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