第4話:ベルリンより愛をこめて

part:9

 スライドを引いて、拳銃を持つ右手を人影の方に向ける。肘を少し控えた。

 アメリカにいた頃は射撃をしたこともある。一種の娯楽だった。その時に使った銃弾は、22.LR弾という比較的初心者向けの物。

 今、手に持っているCz75は9ミリパラベラム弾を使う。

 銃弾が違っても結果は同じ。

 腕には射撃時の力が加わる。こちらも加え返さなければ、反動で上手く射撃できない。

 試射はしていない。そんな暇はなかった。

 狙いを少しだけ上に向けた。あとは、撃つのみ。

 トリガーを引く。引いて、走る。銃声が空に響いた。

 スライドが下がって薬莢を排莢する音が、聞こえない。次弾が装填される感触もない。一目やれば排莢口に薬莢が挟まっている。すぐに撃つ予定もなかったが、銃に向かってケチをつけた。

 流石に六年物は無理があった。最後に撃ったのが何年前なのかなんて、兄に聞かなければ分からない。銃弾だけは新しいものを用意したが、それも一ダース。


「こっちだっ、追いかけろ!」


 追手たちが叫ぶ。こいつらが馬鹿で助かった。

 咄嗟にサクラと分かれ、俺に集中した余りもの連中を撒くのはいい。自分の程度でもどうにかなる。

 あえて発砲することで、警察をこちらに引き付けて相手の動きをけん制する。見え透いた行動にさえ相手は乗った。

 小悪党が息も絶え絶えにひざに手をつき、周囲を見回す。


「くっそ・・・どこに行きやがった、あのひょろなが」


 残念、答えは真上だ。

 ベランダの家庭菜園から拝借した花瓶から手を離す。上手く当たったようで、ガラスが割れる音と流血して倒れた姿が一つ。

 追いついた小悪党の子分二人は上を見上げ、俺を探している。

 俺はビル同士の間を体で伝って三階まで登った。こういった動きはパワーアシストの力を含めて、体重の軽い自分にとっては容易い。

 パルクールの要領で登った雑居ビルとの隙間に、ベランダから滑り込んで階段を駆け下りる。

 段々と息が上がる。

 下に居る追手との距離は否応にも近づく。聞こえる。階段を駆け上る足音が聞こえた。

 フロア間半分の階段を飛び降りて、階段を駆け上がった片割れを蹴り飛ばす。パワーアシストと繋がった右脚の蹴りは見事に炸裂して、踊り場に二人の影が落ちる。この高さなら命に関わるレベルだが、そんなことで説得している暇はない。

 物部が掴ませた金は、前払金だけでも目が飛び出るようなものだったのだろう。なんとしてでも、成功報酬を手に入れたいと言う願望が分かる。彼らにとっては大切なお金だ。手に入れたい気持ちも理解できる。


「でも」


 俺とて足を止められるのは嫌だ。

 戦いをする事は嫌いだし、周りの市民に迷惑を掛けないようにするのも精いっぱい。

 車で逃げ回るのは周りの被害を考えて、辞めた。ベルリンから鉄道に乗り換えるつもりだった。航空機の身体検査は厳しいが、鉄路ならいくらでも誤魔化せる。


「ぜーっ・・・はーっ、とりあえず、追手は撒いたか」


 荒れる呼吸を整え、コートを腕に抱えて走りだす。

 ベルリンの警察は流石に手早く、小悪党どもとさっきの発砲音を確かめている。追手の悪党の内、最初に倒した奴は拳銃を持っていた。どんなに口径が違おうと発砲音に変わりはない。偶然にも、薬莢は俺の手元に残っている。銃弾の線条痕を見ることができなければ、何で撃ったのかもわからない。

 これで、誤魔化しは効く。まだ運からは見捨てられていないみたいだ。

 すっかり誰も居なくなった街頭を走ってサクラに電話を掛ける。

 ワンコール。ツーコール。スリーコール。応答がない。祖国のスリーコールマナーなど知ったことではないが、いつもならワンコールで出てくる。


「おかしい」


 あいつが電話に出られないわけがない。端末を持っていれば、無線通信で通話が出来る。そう設計したのだから間違いない。

 電源を落としたか。地下通路に入ったか。

 ・・・敵に捕まったか。

 彼女が捕まってしまえば、全てが終わりを告げる。


「この電話は、ただいま電波の届かないところにあるか、電源が切られています。ピーっという音が鳴りましたら」


 昔から変わらない機械音声を一通り聞いて、携帯の通話終了ボタンを叩く。

 サクラにGPS追跡端末は搭載しているが、精度はよくない。建物の陰や軽いジャミングに入ると、簡単に見えなくなる。

 急いで誂えたために、ペット用のGPSチップ入り首輪をチョーカーのように首に巻いている。精度は二の次。おまけに追う手段がエリーゼしかない。

 縋るように端末のGPSサービスを起動した。

 ひと区画どころではない。もっとある。随分と遠い。


「車でさらわれたか」


 距離が離れ続けること。異様に早いこと。道路を沿うような移動。応答がないということは、既に相手の手に落ちている。

 エリーゼを乗り捨てた地点まで戻って、少ないガソリンもそのままにエンジンを掛ける。

 ハイウェイに乗られたら一貫の終わり。


「間に合え。間に合え。間に合え」


 乾いたガサガサの声で呟き心を抑え、アクセルを踏み速度を上げる。エリーゼのエンジンは六百八十回転の鼓動で叫ぶ。

 石畳を越えるたびガタガタとサスペンションの固い車体が揺れ、運転手席に付けた携帯置きが根元ごと折れた。


「くそっ」


 左手で携帯をアンロックして、最後の発信位置を確かめる。

 距離はおよそ三キロ。エリーゼの加速ならあっという間。相手だって、道幅の狭いこの道を高速で進むのは難しい。

 追いつく可能性の方が高い。分かっているのに、ステアリングを切るたび焦燥感が増した。

 スマホを覗き見る。距離は確かに近づいている。それに相反するように焦りが心を埋めた。

 ハイウェイに向かう長い直線に、市街地を抜け出した敵の姿が見える。

 黒の大型バン。

 あんな年頃の子供には、知らない大人に着いて行ってはいけませんと教えなければならない。あいつはそんな精神構造でもないけれど。

 俺たちの間で唯一契られた契約を破った理由。


「っ・・・今は関係ない!」


 今はそんなこと、関係がない。頭を振り、バンに向かってエリーゼを寄せる。窓から飛び出して、黒いニット帽が手榴弾を放り投げた。


「此畜生めっ」


 ブレーキは踏まず、あえてアクセルペダルを踏み倒す。もう一段階、限界までレブを上げきる。

 後ろで凄まじい爆発が起きた。後続車両、自分が追い抜かした車両は多重事故に巻き込まれた。大惨事から目を離し、こちらに銃を向けた敵を落とすため、敵の左後輪に車をぶつける。

 バンパーが傷つき、正面がひしゃげる。衝撃で正面ガラスとピラーが割れた。懐のコルセット形リグからCz75を抜いて、黒ニットの胴体に撃つ。

 まだ加速する。エリーゼは止まらない。幅寄せし続けてバンを押し出し、彼女の姿を確かめて俺は叫んだ。


「サクラっ」


 彼女が応えてくれる確信はない。それでも叫んだ。


「主っ」


 両手をハンドカフで封じられている。それがどうした。

 凄まじい音とともに、バンのサイドドアが開け放たれて後方に吹っ飛ぶ。

 あの程度の拘束はサクラの馬力で十分に破れる。ハンドカフはモノ。物体だ。モノを壊すことが出来るサクラなら壊せる。

 エリーゼに飛び移ったサクラが叫ぶ。


「今ですっ」


 目の前にはカーブを描くフェンス。全力でブレーキを踏む。キーを抜いてエンジンを止めた。

 暴れまわるハンドルを右手のパワーアシストが押さえつけて、迫った風景は真っ暗になる。

 止まらない動悸は、視線の目の前にあるコンクリートを認識して早まった。

 凄まじい重力と慣性で、意識が一瞬飛んでいたらしい。

 サクラの両手が掴んだ天板は、捲れあがっている。

 彼女は屑鉄の天板ごとドアを引きちぎり、紺のワンピースを揺らした。兄から借りたこの車はシャシーごと原型を残すことなく壊れた。廃車は確定だ。


「主、ご無事で」


 恭しく手を差し伸べてくる姿が、まるで物語に出てくる深窓の少女に見えて、声を荒げた。


「ご無事でってお前っ」


 飄々とする姿に、怒りの感情が引き寄せる。初めてこいつに怒りを抱いたかもしれない。


「なんでしょう」


 俺はこんなに取り乱したのに、いつも通りで返す彼女に苛立つ。この態度はデフォルトだと分かっているのに。


「何でしょうもなにもねぇ。どうして捕まった時にメッセージを送らなかった!」


 探すのに苦労した。

 お前なら、メッセージだって送信できる。そうすればよかった。従者を振る舞うこいつは何故か報連相の頭すらしなかった。

 そこにどんな意図があったのか。俺は想像がつかない。兄ならば、推測も出来るのだろう。


「・・・なんでだよっ」


 叫ぶ。喉はカラカラで、声はカスカス。呼吸が荒れる。呼吸の混ざった言葉になった。


「お前は大事なんだ!」

「身に余るお言葉です」

「違うっ。もっと「自分を大切にしろって」


 後ろから声が聞こえる。

 今は聞きたくない声だった。


「もう、終わりにしない?」


 昔と違って聴かないふりは、もう出来ない。


「これはプライベート・・・なわけないか」大きくため息をついて返す。


 背後ではサイレンが鳴り響いているのに気付いた。悔しくて、力も込めずにアスファルトを叩く。

 もはや言い逃れは出来まい。

 チェックメイト、だ。

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