第3話:夜は想う

part:6

 赤い部屋。数週間前にテレビ通話をした背景に、赤がぐちゃぐちゃと飛び散っていた。脳裏を埋め尽くすのは、その色から与えられる警告。

 膝から力が抜ける。


「・・・るじ、主」

 鈴を鳴らすような声に、睡眠欲という欲はむくむくと立ち上がる。心地よい声は、音声ソフトからオープンソースを通して滑らかな発声にした。

 瞳を開くと、桜色の糸が迫った。

「近いぞサクラ」


 機械なのに、人と変わりないほどに。そこらにいる芸能人やモデルなんかより、描かれた二次元の美少女達よりも、ずっと綺麗に見えた。鼻頭や頬、瞳の色、構成する一つ一つが整っているのに、不気味の谷を越えている。何もかもが美しい。


「今、どこだ」

「フランスを抜けるところです」


 長かった。

 エリーゼの座席はバケット式。車中泊を繰り返したこともあって、身体の節々が辛い。この車は座席の間に操作系統があるから、寝転がることも出来なかった。サイズもかなりミニマムだ。

 旅路はまだ長い。


「・・・食料、切れたか」

 助手席の足元、紙袋の中はすっからかん。

「オイルも少しばかり。充電は満タンですが」

 ガイノイド用、それもハイエンドクラス向け用品なんてものは、専門店でなければ手に入らない。

「あたしにお任せください」


 言語の壁は常に当たるが、彼女自身の機能が問題を取り払ってくれる。彼女は世界一ハイエンドなガイノイドで、人工知能も世界一だ。市販の翻訳機よりも高度な会話をこなす。


「頼んだ」


 我慢したって、この先進むことになるオランダやルクセンブルク、ドイツといった地域の言葉も俺は話せない。

 相棒は本当に頼りになる。

 墓参りを派手に済ませてから三日。

 東の果てに向かう旅路の柱となる移動手段は、中国が東欧近辺まで敷いた鉄道とそこへ辿るヨーロッパの鉄道網。

 EU内の国で指名手配になれば、ヨーロッパを出ることは難しくなる。

 目的の、ヨーロッパから中央ユーラシアを経由する中国までの鉄道に乗ることすら不可能になる。

 騒動の発端を祖国が公表していないお陰で、グレーゾーンを走ることが出来た。

 鉄道に乗れば、空路だって、海路だって次に使える。様々な移動手段で相手の裏を突く。

 ほかにも気を遣わなければいけないことが多い。端的に言って憂鬱にはなる。

 エリーゼを停め駐車券を切ったサクラが振り返った。


「主、顔色がよくありません」


 何かを見透かされているなどとは思わない。

 それ以上の問題を、彼女の姿を見て気づく。

 セーラーをベースに、解れたり破れた袖を適当に縫い繋いだだけの彼女の服は、コスプレのようで注目される。髪色も含めて姿格好が整っていたら、誰だって驚くはずだ。


「サクラ、どっかの田舎で服も調達しよう」


 彼女は、機械からも人間からもかけ離れた容姿で周りから浮く。

 容姿から写真でも撮られてSNSにアップされては、位置を特定され、刺客が送られてくる。

 対策を施してはいるが、協力者は仕事を増えることを嫌がる。


「ただいまの内容をリマインダーに保存しました」


 お前はAIアシスタントか。

 人通りの少ない歩道の石畳を軽やかな歩調で歩く彼女は、どこか浮き足立っているように見えた。まるで上機嫌みたいだ。

 AIが感情を持つことはない。いつだって無表情で、愛想を出すのはそういうプログラムが入っているから。それ以上はバグか不具合の類。

 もし、兄の生んだ人工知能がシンギュラリティを起こすことの出来るモノであったとすれば、今までの通説は否定される。

 プログラムを自分で作る人工知能が現れて、シンギュラリティは起きないという前提を無くすかもしれない。

 兄は、人間に存在する感情という最大のブラックボックスを解き明かさんと「S」にディープラーニングをさせた。

 作られたコンピュータが新たな知能を産む。第一歩は、感情という概念の発生なのか。専門外の事だからいくらでも言える。

 人を模すモノであるガイノイドやロボットの知能が感情を持った時、引き金を引くかどうか。

 判断を左右する主観が入って、物事はエスカレートする。思考を埋める記憶の片隅にあった。事態を加速するピース。

 杞憂であってほしい。それを杞憂だと思えない。

 天才が産んだ、人類と寄り添う人工知能。人類の生活を握らんとばかりに多用されている昨今の彼らが、反旗を翻した時。間に合うだろうか。

 ぼんやりと考え耽っている。すれ違いざまで気配を感じなかった。


「主っ」


 街頭の道路標示ポールを引っ掴んだ影が、横薙ぎで俺を襲う。何も考えられない。走馬灯も走らない。本当に一瞬だった。

 次に訪れるハズの衝撃と痛み、死を覚悟して目を開けた瞬間。見えた光景に息を飲む。設計した俺自身でさえ、今の衝撃は無理だと思った。


「主、御無事ですか」


 サクラの首元で、金属製のポールが歪んでいる。腕で弾く時間すらもなかった。自身の首を使って、文字通り盾となった。

 人間ならば頸椎を痛めるか、首の骨が折れてまともに生きられない。

 サクラは人を模したモノ。あの部分は特別な設計をしている。腕脚のカーボンカバーとは勝手が違うので、頑丈にした。

 目に見える怪我は、痣のように人工皮膚が腫れあがる、ポールの衝撃の跡だけ。

 異常な堅牢さを見て、暴漢は悲鳴を上げ逃げ出す。


「助かった、ありがとう」

「あたしは主を守れという命令を受けております。例え、火の中水の中だろうと」


 関係は、ありません。そう言い放つなり視線を周りに巡らし、集まってきた野次馬共を視線で追いやったサクラが手を伸ばす。


「ずらかった方が賢明です。買い出しは次の街にしましょう」

「いや、手短に済まそう」


 彼女の言葉遣いがどこか真似っこをする子どもみたいに見えて、思わず口元が緩んだのを隠す。

 小さな街の石畳を歩いく俺たちの足音には水音が混ざった。この辺りも、少しばかり残る雪、路面だけは濡れている。

 サクラは並ぶように小さな歩幅を繰り返した。

 隣に立つ小さな影は、改造したイサカM37と同じくらいの背丈で、百三十五センチあるかないか。

 このぐらいの背をしていた年頃、俺はどうしていたかと振り返れば、嫌な記憶ばかりが浮かぶ。

 兄と比べられ、罵倒される日々。当の本人になぐさめられる惨めさ。

 そんな兄には、不自然なぐらい嫌悪感を持たなかった。慰められる自分自身には嫌気がさしていたのに。自分は弱い存在だった。

 今は百八十後半もある俺が、サクラに守られている姿は、大層情けないと思う。

 ぼんやりしているうちに、街のスーパーマーケットへ入った。

 缶詰、乾パンを中心にカートの中へ適当に放り込み、エチケット用の生活用品もようやく手に入れた。ここ数日だけで随分とストレスが溜まった。

 ほとんど車中だったから、大して汗をかいていなかったが、毎日風呂につかるような民族な自分はできるだけ体を清潔に保ちたい。


「どこかお怪我をなされたのですか?」

 医療品の棚でバンテージを取りだす俺にサクラが首を傾げる。

「お前用だよ」

「はぁ、あぁ、なるほど」

 首元をジェスチャーで示すと、サクラも合点がいったらしい。


 幼い見た目の少女を連れ回す、古ぼけたコートの明らかに怪しい男など、ただでさえ怪しいのに、少女の首元に痣。それを隠すためにもバンテージは必要。


「次はオイルだな」

「それならばすでに検索をしておきました」


 お前はAIアシスタントか。有能だな。

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