第2話:時間の止まったあの日から

part:3

 あぁ、懐かしい。

 この屋敷は六年もの間、時が止まったままのように思える。

 飛び散った血痕が乾いて黒くなった、白のカーペット。

 湧き出すこの感情は、五年前から変わらない。

 これからやり始めることが正しいという確証はない。真実なら、俺は何としてもやり遂げなければならない。そのためにどんな手だろうと厭わず使うことも、覚悟も必要だった。

 滾々とする想いは、時を止めていた。


「待ってろ」


 椅子に座った婦人と優しげに微笑む影、それに寄り添う二人が並んだ写真立てをゆっくりと倒し、下に向ける。

 ようやく決心が固まった。

 俺は、アンタの背中ばかり追いかけた幼い頃の自分じゃない。

 ギフテッドと持たざる者としての壁があるから、アンタの背中に追いつくのはどうやったって無理だと、それが道理だと、あきらめていた俺じゃない。

 自分で道を切り開けるようになった。


「仇は絶対に取る」


 チェコスロバキア製の拳銃を机の上から、手でなぞるように握る。モデルの特徴であるスラリとして丁寧な仕上げのスライドと、その段差を触って懐にしまった。

 一周忌を終えて、この屋敷に入った俺が目にした銃。

 復讐を決意した拳銃。

 これから起こすことは、単なる犯罪以外の何物でもない。


「俺はアンタの決意を追う。また、アンタの背中を追いかけるのは理解したくないけど、な」


 ドアノブに手を掛ける。

「こいつと車、借りるぜ」

 言葉尻は、ゆっくりと、消えた。

「んじゃあ、な」


 誰も居ない、外の小雪がしんしんと聞こえる冷え切った寒くて暗い部屋。

 安らかに眠れ。


「主!」


 外の喧騒では、早々安らかとは程遠い。


「ガレージに行くぞ」

「迎えうたないのですね?」

「こっちが不利だ」チャンスは、一度きり。


 相手は、世界一重要とされているお人だ。こんなところに現れやしない。

 俺と相棒の姿を確かめるなり、刺客を送った。

 窓から見えた車群が屋敷の前に止まる。騒がしい声が包んでくる。


「サクラ、運転は任せる。やれるな?」


 桜色の糸を髪に携え、セーラー服ベースの暗い服に身を包んだ相棒に、キーを投げ渡した。


「畏まりました」


 ロータスの、黄色いエリーゼ。右ハンドル。

 空力と走行性能だけを重視してデザインされた、その無骨なデザインは全ての人を引き付ける。価格はそれほど高くない。全てを削ぎ落した、兄の愛車。

 借りていくものだと自分に言い聞かせて、ガレージのスイッチを押す。


「出せ」

「はい」


 家の扉をドンと叩く音がここまで聞こえた。屋敷の扉が大きいのもあるが、ガレージにまで聞こえてきた。

 開けたのは裏口。先んじて周囲を固めることより、手っ取り早く始末しようと下手人は考えていて、まだ余裕がある。

 銃声と、トヨタ製ベースのチューンエンジンの鼓動が響き渡る。この家に土足で突っ込んだ輩どもは、こちらに気が付いた。

 ソレで諦めるようなやつらじゃない。

 サクラが袖を捲った腕でギアを切り替え、もう一方でハンドルを振り回す。機械の中身にカーボンのカバーがかけられた足でアクセルを踏みぬいた。

 タクシーで登った丘の坂道を降ってスピードが上がる。後続の車両が曲がり切れずに次々と崖や柵にぶつかって、転がり落ちるのが見えた。

 見える光景を一言で表すならば、爽快だった。ゲームの中でカーチェイスをしているような感覚に陥る。全てが敵だと判断して、人が死んだことに何の感情も湧かない。ただ、敵を倒す爽快感だけを摂取していた。当然に違いない。

 車のライトを点灯させず、ここまでカーチェイスに落とし込む相棒の性能は分かっていてもヒヤヒヤする。


「手りゅう弾を投げる」

「分かりました。アクセルを踏みます」


 お前はAIアシスタントか。頭の中で突っ込みをして、手榴弾を放り投げた。

 ピンが抜かれて、直線の道路に落ちた手榴弾はタイミングよく爆発し、一台のセダンを吹き飛ばす。追手を一掃しきったことを確かめ、息を吐いた。エリーゼは走りだしたばかり。


「ずらか」

 道の先に見覚えのある影が立ち尽くすのを見つけた。

「なんでしょうか?ずらかるのなら、分かりますが」

 俺たちを載せてくれた、タクシーの運転手。

「いや、待て、あの人のところで停めてくれ」


 あのオッサンは何かを知っているかもしれない。今晩は日付が変わり、更けてきている。

 小休止したかった。

 何の関係もない彼を巻き込む可能性が頭を過ぎる。ただ、こんな夜更けに現れる彼には既に何かあったことの方が、可能性は高いと思った。


「・・・お客さん、貴方はマフィアの親玉か何かですか?」

 開口一番失礼なオッサンだ。

「これでも博士だ。どこの大学にも所属していないが」


 こんなナリをしていても、博士課程を修めている。務めていた大学は先月に退職願を出して、クビになってきたばかり。


「寄って行ってください。匿います」

 オッサンは理由を聞くことを制し吐露する。

「私が、奴らに貴方の居場所を教えたから」

「・・・恩に着る」

「いいんです。たった一人のやもめ暮らしですから」

「この車、右ハンドルも運転できるか?」

「できます」


 未だ、先ほどの事態を飲み込めていないオッサンを運転席に連れる。

 座っていたサクラを引き出し、猫のように抱えた。右腕だけにパワーアシストがついているので、もう片方が辛い。小柄なガイノイドで軽量さが売りと言っても、軽く見積もって三十キロはある。


「運転を頼んだ。サクラ、俺の膝の上に乗れ」

「失礼いたします、主」


 こんな重りを膝に乗せるのは、面倒くさい。軟弱だという自覚はあるが、それにしたってこれぐらいの子供は、だっこもおんぶもせがまないだろう。

 静寂に戻りつつあった街路地に遠くパトカーのサイレンが聞こえてきた。

 車は裏路地へと入る。

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