第7話◎彼女の本気
俺は激流に流されないようにと目の前に現れた丸太を必死で掴んだ。
そう、ここで命を落とすわけにはいかない。
これからも生きていかねばならないからだ。
だからこんなところで丸太を離すわけにはいかない。
何があっても溺れるわけにはいかないのだと思っていたところ……
ふと声が聞こえる……
耳を傾けると何やら聞いたことがある声だ。
「だから、それが信ちゃんの気持ちなの!」
そして、俺はこの声を聞いた瞬間に一気に現実へと引き戻された……
そう!
丸太だと思っていたのは、真奈美だったのだ……
どうやら俺は真奈美の休む暇もなく繰り出される連続攻撃を前に、大河に流されると言う幻覚を見たのだろう。
幻覚の大河に流されそうになった俺は、目の前の丸太に見えた彼女へと無意識の内に抱きついてしまったと言うことのようだ。
で、普通なら怒られるのかな?
とは思うのだが……
予想に反して彼女は俺が抱きついたことにより、満更でもないと言うような表情を浮かべていた。
もしかして、こうなることも彼女の戦略のひとつなのか?
とは言っても……
今の状態で無駄なことを考える余裕はない……
「ねーねー、信ちゃん!そう!今の行動が信ちゃんの私に対する素直な感情なんだよ!」
「いや、今のは、ごめんね……不可抗力って言うか……アクシデントだよね」
「アクシデント?違うよ!素直な気持ちの一つだよ!絶対そうだよ!」
「違うよ」
「じゃー、なんでさっき好きって言った?」
ヤバイ……
声のトーンが一つ下がった……
ここは対応を間違えてはいけない……
「ちょっと待ってね、少し落ち着こうか?」
「はぁ~?なんで?」
「少し冷静に話し合わないかい?」
「んー……、貴方は自分が好きでもない人にこうされても平気な訳なんですよね?」
そう言うと彼女は右手で俺を掴みながら、そのまま上下左右に激しく動かし始めた。
「ちょとっっっっと~……んひゃ~ぁぁぁぁ~、んぎゃ~……とっとっっと……」
「もう容赦しないから……」
彼女は、そう一言だけ静かに言うとギアを何段階も上げる。
恐らく、彼女の右手のスピードは高速道路であってもスピード違反に問われるのではないか?
と言うほどの速度に達していたのではないかと思う。
俺の方は、もはや本気の彼女の攻撃に耐えうるすべがないことは本能が自覚している。
なので近くにあった御絞りを口に加え、とりあえずは余計な悲鳴が外に漏れないようにだけ集中することにした。
「ん~ん~ん~…、んふぅ~、んふぅ~…うぅーーーん」
「そう!そう!最初から、そうしてれば良かったんだよ。だって、信ちゃん。これ結局好きなんでしょ?大丈夫だよ!私がきちんと、最後まで面倒見てあげるからね!」
彼女はそう言うと、今まで遊ばせていた左手を駆使して俺を巧みに操りだした。
両手を使った彼女の本気の攻撃。
俺には返事をする余裕など微塵もない。
と言うか…
自分の身を守る方法も無いと既に諦めモードになっていた。
一方で彼女の動きは実に素晴らしいものだ。
その動きは、武道を極めたと言われる達人の所作をもしのぐものだったかもしれない。
いつしか時がたつと彼女の一つ一つの動きに俺は目が離せなくなっていた。
そして更に時間がたつと、彼女にとって完璧に準備が整ったようで
彼女は俺の方を向くとニコッと笑いながら
「信ちゃん!いただきます!」
と言ってきたのである。
その瞬間自分の中に避けられない悪寒が何万も駆け巡っていくのを感じながら、俺は気絶してしまう。
★★★
どれ程の時が経過したのかが分からないが、俺は意識を取り戻す。
先ずは現状の確認。
とりあえず、いろいろ確認してみるが異常は見当たらない。
そして意識を取り戻して次にやったのが、場所の確認。
ここはそう!
最初に真奈美と一緒にいた居酒屋。
それは間違いないのだが……
なんだか最初とは違う風景が見えた。
その違う風景と言うのがテーブルだ。
最初、俺が意識を失う前は、確かお茶が二つと料理は卵焼きだけだったはず。
ところが、今見ると一品料理は数種類、そしてビールが入っていたであろうジョッキが無数に広がっているのだ。
え?
ビール?
誰が頼んだの?
と一瞬思ったのだが……
俺は気絶をしていた。
と言うことは、絶対に頼めないはずなので、そうすると……
俺はそう思いながら、自分の横にいる女性に目を向けてみたのだが……
そこには、片膝をつき右手で豪快にジョッキを持ち上げビールを飲んでいる真奈美の姿があった。
「あー、信ちゃん!おはよう!いい目覚めでしょ?」
彼女は顔を赤くしながら、俺に軽い調子でそんなことを聞いてくる。
顔を見る限り間違いなく酔っているのは明白だ。
ヤバイ……
どうしようと考えた瞬間、彼女は左手で俺にこっちに座れとジェスチャーをしてきた。
俺は、その瞬間に色々なことを考えた。
彼女は酔っぱらうと様々な事をしでかすのだが、それのどれもこれもがどうしようもないことなのだ。
今回、彼女との別れ話を考えるきっかけになったことも、彼女の泥酔時の行動が原因だけに、普通に考えるのであれば彼女の指示には従いたくはない。
従いたくはないのだが……
それが元で争いになると言うのもごめん被りたい話だ。
なので、先ずは彼女の出方を探ろうと言う意味で、俺は彼女の横に座ることにした。
「おっ、おはよう?で、良いのかな?ん~、スッキリなのかは良く分からないんだけど……とりあえずは目が覚めた感じかな?」
「ほぉ~、なるほどねぇ~。それで、目が覚めていきなり話すのも何なんですけどねぇ……確か、アンタ……私と別れたいんだっけ?」
声が大きく、口調も先程と変わっている。
どうやら結構、飲んでいるようだ。
となると尚更、慎重に事を運んで聞きたい。
なので俺は、取り合えず彼女の出方を探るほうに全力を注ぐことにしたのだが……
彼女はいきなり別れ話の事を話に出した。
俺が気絶する前は、あれほど話をしたくない素振りだったのにも関わらずだ。
何かおかしい……
どうしよう、ここは彼女の話にのるべきか?
のるとしたら……
どうなるのだ?
そう思っていると……
「別れてもいいよ」
彼女は一言、そう告げてきた。
なんと、意外や意外で彼女から先程の別れ話にのってもいいと言ってきたのだ。
その瞬間、俺の目の前には楽園が無限に広がっていた。
「ほんと?」
「おう、ほんと!ただしだ……ただし!」
俺の念押しに続くような感じで、彼女が「ただし」と言い出してきた。
酔っぱらいとなった彼女の言動のひどさは過去に何度も目撃をしていた。
それだけに何らかの条件がつくとは思っていたが……
やっぱりそうなんだよね……
何らかの条件つけて来るよね。
そう思い彼女の方を向くと……
彼女はテーブルの前にスマホを置いた。
間違いない、彼女のスマホだ。
「え?これ何?」
言葉無く置かれたスマホだけに、俺は不思議に思って彼女に聞いてみた。
「ん?スマホだよ」
「あっ……、それはわかるんだけどさー。なんかあるの?」
俺はそう思いながら、彼女のスマホを触ろうとすると……
彼女に手を弾かれてしまった。
個室には乾いた音が響く。
言葉無くスマホをテーブルに出す。
説明もないから確認しようとすると、手を叩かれて止められる。
全くもってサッパリ意味が分からない。
俺はそう思いながら、彼女の方を向いてみると……
彼女がニヤッと笑っている。
本日何度も体験した不気味な下卑た笑い。
間違いない……
彼女は何かをやっているのだろう。
そう思った俺は途端に不安を覚えてしまった。
一方で彼女を見ると、やはりと言えばいいのだろうか。
余裕の表情と言った感じでビールを飲みながら俺を見ている。
「なー、なんだよ。無言でスマホを出して……それだけじゃー、なんも分からないよ」
「そう?でも、スマホって持ってるの私だけじゃないしね……」
と言う彼女の言葉なのだが真意というのが見えてこない。
彼女が何を言っているのか全くもって理解できない俺は、首をかしげるばかりだった。
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