第5話◎一難去ってまた一難

「えっ……、今のは無しでしょ……」


 真奈美の引っ掻けともとれる答えの誘導に対して俺は反射的に、そう答えてしまった。

 そして答えた直後に身の危険を感じ、俺は辺りを注意深く観察すると……

 

 般若のような顔をした彼女が、そこにいた……

 と言うよりも般若だ!

 薙刀とか隠し持ってて、いつでも異次元から取り出すぞって雰囲気がある!


「ごめん……ちょっと今、聞こえなかったんだけどもう一回いってくれるかなぁ~?」


 彼女は怒りを露にし俺に圧力をかけるがごとく強い口調で迫ってくる。

 幸いにして怒りはお面……

 ではなくて顔だけなのだろう。

 心の方は冷静なようで、右手の方は目立った動きというものを見せていない。

 これならば、まだ交渉の余地はあるのではと思った俺だが……

 

「だってさぁ~……あああああぁぁぁぁあああ~!!!!!」


 と声をかけようとしたところで、とんでもない大事件に巻き込まれてしまう!


 俺の言葉に合わせるように彼女は再びリモコンに手をかけた。

 もちろん目の前で起きた出来事だけに、俺は慌てて彼女のリモコンを取り上げようと自らの腕を振り上げるのだが、彼女も俺の動作と言うのを予想していたのだろう。

 自身の左手を上に高く持ち上げ、俺にリモコンをとられまいと頑張っていた。


 そして……

 この彼女の行動が、俺に今世紀最大の不幸を呼び寄せることになろうとは、この時思いもしなかった。


 というのも


 この時、俺は自分の体がちぎれたのでは?

 と思えるほどの衝撃を体感してしまうのだが、その理由と言うのが彼女が俺から右手を離さなかったからなのだ。


 彼女は左手を上げる。

 そうすると彼女の体も全体的に上の方に移動することになるのだが、その際に彼女は右手を離さなかったのだ。


 彼女は無意識の内に俺を捻りあげていた。


 お陰で俺は今いる場所が居酒屋であるにも関わらずに、とんでもない悲鳴を一瞬あげてしまう。


 当然、そんな悲鳴を上げると……

 

 直ぐに誰かが駆けつけ……


 コンコン!


 やはり個室の扉を叩く音がする。


「お客様!お客様!いかがされましたか?」


 気が動転して誰か何て事を言ってしまったが、声の正体は間違いなく店員だろう!

 そして、声からするとやはり女性だ!


 その声に気づくなり、直ぐに俺はヤバイ!

 何があっても今のこの姿を絶対に見られるわけにはいかない。 

 と思い横の彼女を見たのだが……


 予想に反して何と横の彼女は笑っていた。

 ニヤニヤと俺の反応を楽しんでいるようにさえ思える。

 ハッキリ言って何故彼女がそんな顔をしているのか分からない。

 どう考えても見られるのは困るはずだ。


 そう思っていたのだが……


 それが油断だった……


 彼女は俺が気づくよりも一瞬早く、リモコンを床に落とす。


 すると、店員が……


 「お客様?大丈夫でしょうか?」


 と再び声をかけてくる。

 恐らく床にリモコンが落ちた音で更に不安になったのだろう。


 俺は彼女の行動が理解できなかった。 

 なぜ、そんなことをする?

 あまり不用意な行動をとると店員に勘ぐられるのでは?

 と思ったのだが……


 違う!

 彼女はいたって冷静だったのだ。


 そう!

 全ては彼女の完璧な行動と言える地上最大の頭脳プレーに他ならなかった。


 彼女は、リモコンを落とし空になった左手を再び俺の喉元に落としてきた。

 横になっている状態で、再び彼女の一撃を食らった俺は先程同様に喉元を押さえられてしまう。

 これでは声を出すことができない。


 この俺の不利な状態を確認した後、彼女は勝ち誇ったように俺の右耳に顔を近づけて


「さっきのは無しなの?」


 と小声で言い出したのだ…… 

 彼女の言葉を聞いた瞬間、俺は目の前が真っ暗になってしまう。

 

 そしてこの瞬間、彼女の策略と言うものに初めて気づく。

 

 もし仮にここで俺が「無し」と選択した場合。 

 それは、俺と言う存在の終わりを意味する行動を彼女はとってくるだろう!

 具体的に、どう言ったことをするかは分からないが、今の現状ではその危険が文字通り目と鼻の先まで迫っていると言うのは確実である。

 それはあまりにも非常と言わざるを得ない。


 なので、俺はとりあえず自分の保身のために……


「無しじゃないよ……」


 と小さく言ってから彼女を見ると……

 何やら不貞腐れたような顔をして首を横に振っていた。


 はぁ~?

 何を言ってるんだ?

 この女は~?

 なんて事を言ってやりたかったのだが……


 あまり変なことを言うと店員が、どこかの秘密部隊のごとく掛け声と共に突入なんてこともあるのかもしれない。

 もしそうなったら、俺はどんな目で見られるのだろうか……

 真奈美の方は、恐らく構わないとしても、俺の方としては心構えなど微塵もできていないのだ。

 する予定もない。


 なので、先ず俺は自分の保身を優先させるために泣きながら彼女にお願いした。


「何でも言うこと聞くので、お願いします」と……


 プライドなんてものは、先程の悲鳴と一緒にどこか彼方に消えていってしまったのだ。


 俺の態度に彼女は満足したのだろう。

 今まで見せたことがないような満面の笑みを俺に見せ


「あー、すいませ~ん!何でもないでーす!」


 と扉越しで店員に言葉をかけた。

 その後、店員は同じくドア越しに返事をしていなくなったのだが……


 その時、俺は自分のバカさ加減に気づいてしまう。

 何故、俺も彼女と同じ事ができなかったのかと……

 声をかけるだけではないか……


 恐らく今の彼女と同じように軽く店員さんに応答するだけで危機は免れたはずなのに……


 なのに何故……

 俺はあんな取り返しのつかないようなお願いをしたのだろうか……

 今さら、やっぱり無理なんてことは言えないなかなと思ってみると……


 彼女が何やら悟りの境地にいるような顔をしている。

 それを見て、俺は深くため息をつくほか無かった……


★★★


 彼女のお願いを聞くと言い出してしまった俺。

 それが一体全体どれほどの無理難題なのかと心底震えて待っていたのだが……

 彼女のお願いというのは意外なほど簡単なものだった……


 彼女のお願い。

 それは今のまま話し合いをするということ。


 俺の中では、もう少しと言うか……

 かなり際どくディープなお願いでもされるのかなと身構えていただけに、何だか拍子抜けな気分だ…


 もちろん右手はそのまま定位置をキープしている。

 全く油断も隙もありはしない。


 とは言っても、今日の彼女は油断ならない存在と言える。


 その原因は俺にあるような感じもするが……


 いやいや、俺も自分自身の存在というのは何があっても守らなくてはいけない。

 

 それに彼女の願いが、このままの話し合いということは、俺と彼女の真剣勝負というのは、このまま続いていくということ。

 今いる状況なども考えるとすれば、長時間の持久戦というものも視野に入れなくてはならないはずだ。


 俺はそんなことを考えながら、彼女の方を見て身構える!


「ねーねー、二つ目の質問いい?」


 瞬間、やっぱり彼女は動いた!

 先程まで愛くるしい顔をして俺の方をじっと見ていたが、話し合いを望んでいただけあって、いつまでもこの状況というわけにはいかないのだろう。

 二つ目の質問の方を俺に投げ掛けようとしている。


「あー、いいけど。お手柔らかにね!」

「はーい。それじゃーねー。二つ目は、今の右手なんだけど痛いの?苦しいの?どっち?」


 ん?

 彼女が変なことを言ってるぞ?

 右手が痛い?

 苦しい?

 何を言ってるんだ?

 

 いや、多分彼女が言っているのは俺の右手のことではなく、彼女が右手で掴んでる先の俺のことだとは思うのだが……

 一応、確認してみる方がいいのだろうか……


「えーっと……右手が痛い?苦しい?」


 俺はそう言いながら、彼女の右手の方へ視線を投げた。


 すると……


「そう!そっちの方ね。分かってるけど、信ちゃんの右手ってことじゃないからね」


 そう彼女が言ってきたので、やはり俺の想像通り、彼女が右手で俺を掴んでいることで痛かったり苦しかったりするのか?

 と言うことのようだ。

 なので、俺は当然のごとく首を横に振る。

 そうすると彼女は「あー良かった」と言いながら大きく息をすった後……


「じゃー、なんでやめてって言うの?」


 って言ってきたのだ!

 どうやら彼女の二つ目の質問と言うのは、ここからが本題だったようで、俺は思いっきり不意打ちを食らった気分を味わっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る