第16話 魔女王の森

「魔女王さま、お目通りをお許し下さい」


 翌日、ふたりは心配そうなフィーロとカーニャをどうにか置いて、地下室のクローゼットの前で唱和した。

 ややあって扉が自動的に開き、その向こうには見たことの無い森が広がっていた。

 見た目はティアの森と大差なく感じるが、吹き込む風のにおいは違うように感じる。


「ほら、行くよ」

「そなたは物怖じせぬのう」

「百年以上も生きてれば大概のことは怖くなくなるわよ」

「ふむ、それは楽しみじゃの」


 笑い合ってふたりはクローゼットに足をかける。


「行ってきます」

「行ってくる」


 肩越しに振り返ってふたりは言い残し、クローゼットの奥の森へ乗り込んでいった。


    *        *        *


「ふむ、なにやら空気が重いのう」

「そう? あたしの森と変わらない感じだけど」


 クローゼットを抜け、魔女王の森へ入ったふたりは、別の感覚を味わっていた。


「……以前から思っておったのじゃが、ティアとわらわでは感じ方が違うようじゃの」

「そうみたいね。でもいいんじゃない? いくらなんでも感じ方まで一緒なのは気味悪いし」

「もっと、根本的なズレがあるようにも思うのじゃが……、まあそなたが良いのであればこれ以上の詮索もせぬがの」


 言って周囲をぐるりと見回す。

 ティアの森は、枝葉に隙間があったので陽光を浴びたり星空を眺めたりと楽しめたが、この森は違う。みっしりと間隔の詰まった枝葉が光を遮り、いまが昼なのか夜なのかさえ分からなくなってくる。


「やはり、わらわが作るときはティアの森のようにしたいの」

「なにそれ。お世辞なんか嬉しくないんだけど」

「世辞など言うておらぬ。か、勘違いするでないわ」

「ふぅん。でも、あんたがそんな風に思ってくれるのはうれしい」

「ば、ばかもの。先達を手本にするのは当たり前であろう」


 口角をにんまりと上げてよしよし、頭を撫でてやる。


「こ、子供扱いするでない!」

「いいじゃない。あんたもう妹みたいなものなんだし」

「の、のう。なぜそなたはそこまで言ってくれるのじゃ? 最初はすぐに追い出そうとしておったくせにいまでは、そのような扱いまでしてくれる」


 んーと、と考え、首を捻り、あれかな、と浮かんできた言葉を口にする。


「魔女ってね、人間だった時に縁があった男と縁が切れて初めて魔女に成れるの。あたしが魔女になったときはもう父親に当たる男は死んでたから、大丈夫かなって思ってたの」


 ふむ、とダナエは頷く。


「でもあんたが来て、あんたの父親から手紙が来て、あんたが森の端っこでごちゃごちゃやってるときに、あたしたちもあの男のこと思い出して泣いてたの」

「そういえばそのような事を申しておったな」 


 でしょ、と頷き、続ける。


「その後、なんだか気持ちが軽くなって、いろんな事を受け入れられるようになったの。で、あんたのことを嫌いに思ってた気持ちもどこかに行って、そうしたらあんたが家に居てもいいや、って思えるようになったってこと。これで満足?」

「う、うむ。急な気持ちの変化はわらわにも覚えがある故理解はした」


 うん、と微笑むティア。


「じゃが、そ、そういうことを、軽々しく申すな。方法が分からばわらわはすぐに旅立つのじゃぞ?」

「魔女なんだし、そうそう死なないから大丈夫よ」


 臆面も無く言われてダナエは恥ずかしいやらくすぐったいやら。


「と、とにかく! 向こうから来いと言っておいて迎えのひとつも寄越さぬとは、無礼にもほどがある!」


 強引ねぇ、と苦笑するティアだが、迎えに関しては同意見だ。


「ちょっとー? 来てあげたんだから道案内ぐらいしなさいよー」


 大声で不満げにティアが言う。なのにちっとも反響しないのが不気味だ。

 それによくよく見れば、魔獣はおろか、虫や小動物の姿さえ見えない。

 命の気配がまるでしない。

 一度そう感じてしまうともう、みっしりと立ち並ぶ樹木もまるで作り物のように思えてくる。


「誰か居らぬか! ティアーボとダナエ、参上したぞえ!」

 怒鳴る声が僅かに震えていた。そっと手を伸ばして手を握ってやると躊躇なく指を絡ませてくる。

「ほんとにすぐ来るとは思わなかったわ」


 一体、いつのまにそこへやってきたのか。

 音もなく、風さえ感じさせずにカトレアはふたりの前に腕を組んだ姿勢で立っていた。


「ごめんなさいね。急なお客様でもおもてなしはちゃんとやらないといけないし」

「そっちが呼びつけておいて、急もなにもないでしょうが」

「もっとゴネると思ってたんだもん」


 あざとすぎて全然かわいくない。


「用意は出来てるんでしょ? さっさと案内して。こんな薄暗い所、一秒でもはやく帰りたいんだから」

「そうね。でもそれはティアちゃんだけ」


 え、と聞き返すよりも早くカトレアの姿はかき消え、次の瞬間にはダナエの腕を取ってティアから引き剥がしていた。


「なにをするか! わらわに触れてよいと誰が申した!」

「あらつれない。あなた、自分の国の女たち全員を抱いたんでしょ? なのにこの程度をいやがるなんて、おかしいわ」

「そちは魔女でも魔獣でも、人間ですらないではないか! そのようなモノに触られて、どう破顔せよと申す!」

「わたしは魔女よ。勘違いしちゃだめ。ちょっと他の魔女と出自は違うけど、ね」

「どちらでもよい! 離せ!」


 ぐいぐいとカトレアの顔を押しやってもカトレアは微笑を浮かべたまま、ダナエの腕を放さない。それどころか足を絡ませ、腹を胸をダナエの背中に押しつけ、見ているこちらも悪寒が走るような頬ずりをする。


「や、止めぬかぁ……っ!」


 嫌悪と羞恥。ダナエの表情に二つの色が、いや、わずかな喜色も混じった複雑な色が滲み出てくる。


「ちょっとあんたいい加減に!」


 もう見てはいられないと懐から刺繍を施した魔布を取り出し、魔力を込め、放つ。魔布から暴風が巻き起こり、ダナエとカトレアを包む。


「あらあら、乱暴ね」


 暴風など意に介さない笑みのまま、カトレアはふうううっ、と暴風へ向けて息を吹きかける。大岩さえ吹き飛ばしそうだった暴風は、吐息に触れるとあっさりと四散。そしてすぐに集合し、ティアへと襲いかかる。


「うそっ!」


 咄嗟に両手を交差させてみたが、効果があるはずもなく。ティアのからだはあっさりと吹き飛ばされ、何度か転がって背中を木に打ち付けられてようやく止まった。


「痛ったいなぁもう」


 背中をさすりながら立ち上がり、カトレアを睨み付ける。


「魔力にはより大きな魔力をぶつければ消滅する。あなたの頭の中にもしっかり記されているでしょ?」


 そんなこと覚えていない、と思った瞬間、脳裏にカトレアが言ったのと同じ内容の文言が過ぎる。鬱陶しい。


「だったら!」


 今度は三枚取り出し、発動。突風ではなく竜巻が発生した。ダナエを巻き込むだろうけど、治癒の魔布も何枚か持ってきている。よほどの重傷でなければ大丈夫。いまはカトレアを引き剥がすことを優先する。


「あらあら、困ったわね」


 森の木々を巻き込みながら進む身長の三倍はあろうかと言う竜巻を、しかしカトレアは余裕の笑みで見つめる。


「ほら、ダナエちゃん。やっちゃって」


 なにをいってるんだあいつは。


「……はい。おかあさま」


 なにをいってるんだあいつは!


 カトレアがダナエの顔の前に木の枝を差し出すと、ダナエは躊躇無くその枝を舐め、指先をティアに向ける。


「やめなさいダナエ!」


 絶叫が森に虚しく木霊する。

 ティアの足元から木の枝が伸び上がり、ティアの全身を拘束する。


「ダナエ!」


 まだ遠いが、ダナエの表情も瞳もよく見える。

 焦点の定まらない瞳はその奥にひどい怯えの色を孕み、向ける指先は細かく震えている。

 あのときのカーニャと同じだ。


「カトレア、あんた!」

「ダナエはいまからわたしと、とっても楽しいことするのよ? だから、余計な自意識にはちょっと眠っててもらわないと」

「ダナエはもう、あたしの妹よ! あんたみたいな怪しいやつに渡せるわけないでしょ!」


 ぴくん、とダナエの指先が震える。同時に拘束も緩む。その隙を逃さずティアは懐から新たな魔布を取り出し、魔力を込める。

 カトレアはティアがなにをするつもりなのかを、にんまりと口角を上げながら眺めている。後悔させてやるんだから!


「はあぁっ!」


 ティアのからだが、絡みつく枝ごと燃え上がる。ふぅん、と挑発的にカトレアが笑う。

 らせん状に燃え上がる炎から火の玉が飛び出す。ティアだとカトレアは予想。巨大な火球が地面を木々を赤く照らしながら、砲弾の如く速度でカトレアへ向かう。


「だーかーら。そういうおっかないことは、しちゃだめよ」


 口元に掌を近づけ、ふううっ、と息を吹きかける。

 吐息に触れた火球が弾け、地面に落ちる前に火の粉は消滅。火球の中心には、なにも無かった。


「っ」


 小さく吐息を漏らすカトレア。そしてすぐ背後からティアが迫る。


「ダナエを、離せ!」


 筋力増加の魔布が貼られた足による蹴りは、カトレアの右脇腹を直撃。肉がひしゃげるイヤな感触がティアの右スネから全身に伝わり、


「もう。痛いじゃないの」


 背後から羽交い締めにされた。


「だからなんで!」

「手品師がタネを明かす時は、次のトリックを思いついた時よ」

「うるさい! 離せ!」

「ほんと。こんなことならちゃんと、ねぇ」


 その口調に覚えがあった。

 この女に会ってからずっと感じていた嫌悪感。

 まだ自分が人間だった頃。まだ世界が機械とヒトで溢れていた頃。

 毎日毎日自分たちに降りかかっていた、独善。

 学校で最初に会った時にこの女が口にした、耳馴染みのある名前。あれはきっと人間だったころの名前。魔女になった瞬間に完全に消去されて、欠片すら残っていない名前を、この女は知っていた。


「あんた、あたしの母親なの?」

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