第15話 守るために

「カーニャ?!」


 光はゆっくりとカーニャを包み、彼女のからだを淡く輝かせる。


「あ、ああ、ん、んんんっ!」


 からだをぴくぴくと痙攣させながら、言葉にならない音を口から断続的に漏らしている。


「カーニャ、しっかりして、カーニャ!」


 どれだけ呼びかけても体を揺さぶっても、カーニャの痙攣は止まらない。時折ティアたちに向ける視線は怯えと恐怖に彩られ、いまにも泣き出しそうだ。


「もう! なんなのよ!」

「や、ん、やああっ、ああああっ、あああああっ!」


 最後に大きく啼いたあと、光は収まり、ぐったりとからだを前傾させる。


「カーニャ、大丈夫? どこか痛いところはない?」


 背中をさすりながら声をかける。直後、がばっ、と起き上がり、焦点の定まらない瞳でぐるりと部屋中に視線をやり、ティアを見つけるとゆっくりと口を開いた。


『はぁい。ティアちゃん。聞こえる? カトレアよ』


 カーニャの口から発せられたのは、確かにカトレアのねっとりとした声だった。


「カトレア!」


 その名を聞いたフィーロの表情が曇るが、ティアには見えていない。


『この犬には少しの間、あたしの言葉を伝えるお人形さんになってもらうから』

「あんた!」

『でも安心して。わたしから言いたいことが無い限り、この犬の自由は保障するから』

「ひとの家族を電話代わりにしておいて、どこを安心しろって言うのよ!」

『あら、電話なんて懐かしい言葉ね、まだ覚えてたんだ』

「そんなことどうでもいいでしょ!」

『少しは落ち着いたら? 怒ってばかりじゃ大事なことを見逃しちゃうわよ』


 いまにも噛みつかんばかりのティアの背中を、フィーロがゆっくりと撫でる。


「おそらく、カーニャに危害を加えるつもりは無いでしょう。そのつもりなら、すでに行っているはずですから」

「……うん」

『さて、ティアちゃんが落ち着いたところでご報告』


 身構えるティアだが、カトレアが何を言わんとするかの予想はついている。


『ティアちゃんに、魔女王さまへの謁見義務が生まれました。速やかに魔女王さまへの元へ参上してくださーい』

「だからその魔女王ってなによ」

『魔女王さまは魔女王さまよ。前も言ったでしょ?』

「だから、なんで今なのよ。あたしが魔女になってから一〇〇年経ってるのよ?」

『それはあたしが知っていいことじゃないもの。直接訊いてみることね』

「使いっ走りなのね」

『そ。で、あと三日の内に出発しないと、この犬とそこの蜘蛛の命は無いから』

「なによそれ!」

『魔女は魔獣を使役する。魔女王さまは魔女を支配される。だったらすべての魔獣は魔女王さまのもの。違う?』

「違うわ! フィーロもカーニャもこの森の魔獣はぜんぶあたしだけの魔獣よ!」

『あら。欲張りさんね。昔はあんなに……』


 はっと何かに気付いたように口を閉じ、あざとく両手で口を押さえる。


「なによ。そっちはずっと見てたってこと? ……会う資格があるかどうかチェックするために?」


 拍子抜けしたようにカトレアは手を下ろし、ねっとりと、ではなくさらりと言う。


『そんなところよ。とにかく、三日以内に出発すること。……ダナエだっけ? その子も一緒に来なさい、っていま魔女王さまが仰ってるから、連れてくること。いいわね』


 先ほどのカトレアの言葉は、脅しでもなんでもなく本当に実行する確約だ。いまさっきカーニャの手を動かしていた、と言うことは声帯だけでなく、からだ全部を動かせると言うこと。

 魔獣は不老だが不死ではない。たとえば切り立った崖から無防備に落ちたり、毒を飲み干したり、そういうことが出来るのだ。このカトレアという魔女の魔力を用いれば。

 ううう、と唸ってティアは絞り出すように訊く。


「……出発、って言われても、どこへどうやって行くのよ。魔女は森から長くは出られないでしょうが」

『大丈夫よ。学校へ行く扉あるでしょ? あそこの前で言うの。「魔女王さま、お目通りをお許しください」って。間違えちゃだめよ? それを言えば魔女王さまの森へ繋いであげるから』


 この百年、大切な祖母や姉でさえ傅かせてきたティアにとって、誰かに膝を折ることはこれ以上ない屈辱だ。とフィーロは主の動向を危惧したが、


「そんなことでいいの?」


 しかし、見た限りではあっさりと言ってのけた。


「……魔女王さま、お目通りをお許しください。これでいいのね」


 あら、と零し、拍手をさせるカトレア。


『お上手。じゃあ、よろしくね……』


 すぅっ、とカトレアの気配が消えていく。

 やがてカーニャは糸が切れたようにくたりと上半身を折り、ヒザに頬を乗せる。


「カーニャ!」


 手を伸ばし、ゆっくりとカーニャのからだを起こす。


「……だんなさま、ごめんなさい…………」

「謝らなくていいよ! 痛いところとか、苦しいところは無い?」

「……うん。すごく、疲れただけ。……わがまま、言っていい?」

「いいよ。なんでも聞く」

「旦那さまのベッドで、寝たいの。旦那さまのにおいと一緒なら、すぐに、元気でると思うから」

「分かった」


 言ってカーニャの前に背中を向けてしゃがみ、両手を自分のおしりの近くに添える。


「……?」

「ほら、運ぶから」

「い、いいよ。もったいないから」


 顔を真っ赤にするカーニャがかわいい。


「カーニャ。甘えておきなさい。この大恩にはあとで報いれば良いのですから」


 フィーロが優しく助言してようやく、カーニャはからだを動かし、どさりとティアの背中にのしかかる。


「ご、ごめんなさい」

「いいよ。いまは嬉しいから」

「……旦那さまの背中、あったかい……」


 すぅ、とカーニャのまぶたが下ろされ、すぐに安らかな寝息が聞こえ始める。


「よい、しょっと」


 もふもふのお尻に手を添えてできるだけゆっくり立ち上がり、やや前傾になりながらティアは歩き出す。

 しかし、カーニャの身長はティアよりも頭一つほど高いため、つま先をどうしても引きずってしまう。


「差し出がましいとは思いますが」


 しゅるり、とフィーロが指先から糸を出し、カーニャの足をヒザで曲げて足首と太ももを結んだ。


「ありがと」


 笑って見せたが普段運動しないせいもあって結構重い。でも苦しくはない。

 足をよろめかせながら、フィーロが先回りして開けるドアを潜り、ティアは自分の寝室へ歩き出した。

 手伝うのは野暮に思いつつもダナエも続く。


「旦那さま……。ありがと……」


 カーニャの寝言に、ティアはフィーロと目を合わせて笑った。

 うん。大丈夫。

 カーニャとフィーロと、この森の魔獣たちを守るためだ。

 泥をすするぐらい、ちっとも苦じゃ無い。

 魔女王だろうがなんだろうが、さっさと会ってさっさと終わらせるんだ。

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