第13話 魔女王

 全身を駆け巡る悪寒と直後の脱力。その隙を狙ってカトレアはさらにティアの拘束を強める。


「は、離して!」

「やぁだ。離したらもう二度とこんなことさせてくれないでしょ?」

「あったりまえよ!」


 全身を這い回るようなカトレアの手つき足つきに、ティアは悪寒に震える。


「でも、こういうのだったら、どう?」


 ボディタッチの質が変化した。

 悪寒を伴うばかりだった手つきが、悔しいことに心地よさを含むように。一度それに気付いてしまうともう手遅れだった。

 頬は上気し、吐息に熱がこもり始める。


「は、な、せぇ……っ!」


 こんな女にいいようにされている自分が恥ずかしくて悔しくて、けれど、どれだけ抵抗しても拘束は強まるばかりで。

 なのに胸や腰回りだけは極力触れようとせず、焦らされているのが丸わかりで。


「大丈夫。怖がらなくていいわ」


 耳元で囁かれる声は甘くて柔らかで。


「やめてって言ってるでしょ!」


 怒鳴り散らさないとあっという間に呑み込まれてしまそうだ。


「やめないわよ。魔女王さまに見初められた魔女を、魔女王さまにふさわしいからだに変えるのがわたしの役目なんだから」


 色々不吉な言葉を聞いた気がする。だから問い質す。


「魔女王ってなによ!」

「言葉通りの方よ。わたしたち魔女を統べる、尊い存在」


 魔女になって百年ほど経つが、そんな存在のことなんて聞いた覚えもない。


「魔女王さまに見初められるとね、魔女でも人間でもない存在に変わって、魔女王さまにお輿入れするの。でも安心して。魔女に傅いていた魔獣たちも一緒に魔女王さまにご奉仕するようになるし、自由意志だって認められるもの」


 自由意志があろうとなかろうと、誰かに傅くなんてまっぴらごめんだ。それになによりもフィーロやカーニャが他の誰かに傅き奉仕している姿なんて想像するだけで吐きたくなる。


「あっそう。あたしはそんなの、ちっとも嬉しくないけどね!」


 どうにか動く右手でもぞもぞとズボンのポケットを探り、手の平ほどに短くなった刺繍用の糸を引っ張り出し、魔力を込める。


「でもあのダナエって子。あれはダメ。あんなのは魔女王さまの害にしかならないもの。処分しないと」


 全身の血が沸き立つのが、ティア自身はっきりと感じられた。


「あんたダナエになにしたの!」


 ダナエを好きか嫌いかで分類すれば、苦手、となる。けれど、自分はあの森の主であり、あの森で暮らす生き物は皆等しく自分の縁者。それに手を出すと言うのなら、容赦はしない。

 つまんだ糸の端が淡く光り、意志を持つかのように左手首のお守りに近付き、ぴと、と触れる。


「カーニャ、ごめんっ」


 この女以上の危険なんて無いだろうとお守りにも魔力を込めて解き、刺繍用の糸の端と魔力で繋いで長い一本に変える。


「あらあら、そんな糸でなにするの?」


 ティアの右肩に顎を乗せ、興味深そうにカトレアが訊いてくるが無視する。そのお陰で拘束が少し緩んだ。やるならいましかない。

 糸を振って端を器用に口にくわえる。空いた右手でいつも懐に忍ばせてある小さな針山を取り出して針を一本抜き、穴にくわえた糸を通す。

 これらを瞬く間に終わらせて後ろを、


「あ、あれ? なんで?」


 カトレアの姿はかき消えていた。


『こわいことするなら帰るわ。魔女王さまのお気に入りを壊すことなんてできないもの』


 カトレアの、精神を逆撫でする声だけが図書室に響き渡る。

 気配みたいなものは僅かに感じられる。周囲へ鋭く視線を巡らせても影すら見えない。きっとどこかに隠れているのに違いない。

 ティアが口を開くよりも早く、再度カトレアの声が響き渡る。


『でも、魔女王さまに見初められたことに変わりは無いからね。すぐに魔女王さまのところへ来ないと……』


 そこで途切れてしまった。


「行かないとどうなるのよ」


 どうせロクなことにはならないのだろう。


「ったくもう!」


 手も足も出なかった。

 魔女なのに、人間みたいに取り乱してしまった。

 悔しさと歯がゆさでお腹も頭もグシャグシャになってしまいそうだ。

 ここへ来た目的がちらりと掠めるが、そんなことどうでも、


「ここかえ?!」


 突如ドアが開けられ、ダナエが飛び込んでくる。


「おお、ティア。やっと会えたの」

「やっと会えたの、じゃないわよ! ひとが落ち込んでる時に!」

「落ち込んでおったのなら、良かったではないか」

「落ち込んでるときはとことん落ち込むようにしてるの! 邪魔しないで!」

「声が高いぞ。なにがあったかは訊かぬが、こういう場所では元来静かにするものでは無いのかえ?」


 ころころと笑うダナエを見ていると、先ほどの悩みがどうでもよく思えてくる。

 うん。悩みはもう忘れよう。

 こういうことを引きずるのは人間がやることだ。

 いまはあの女が押しつけていった問題を解決することを考えないと。


「なんじゃその顔は。憤ったりニヤついたりと忙しい」

「え、うそ、ニヤついてなんかないでしょ」

「ニヤついておらぬのなら、浮かれておったわ。まったく、お守りがひどく締め付けるものだから急いで来てみればなんじゃ。拍子抜けさせおって」


 鼻息も足取りも荒く書架へ向かうダナエ。


「どこ行くのよ」

「わらわが森を作る方法を探すのじゃ! もう忘れたか!」


 あ、と間抜けな声が漏れる。


「ごめんごめん。すっかり忘れてた」

「もう少し言葉を選ぶがよい!」


 顔を真っ赤にして怒鳴るダナエを、かわいいと思う。

 妹がいたらきっとこんな感じだったんだろうな、と妄想しながらティアも書架へ向かう。

 森の作成方法を探すためが二割、残りは魔女王のことを調べるためにあてて。

 そんなことを考えていたら、ダナエがぬっ、と顔を近づけて睨んできた。


「わらわの森のことなどどうでも良いと思うておるな?」

「そ、そんなことないよ?」


 あからさまなごまかしに、ダナエは長いため息でこたえる。


「嘘がヘタじゃのう。まあよい。わらわはわらわで探す。ティアもティアの為にだけ動くが良いぞ」

「ん。ごめん。でもさ、あんたここの文字読めるの?」


 ふむ、と適当な本を取って目を通す。


「……文字は、読めぬ。じゃが意味は頭に流れ込んでくるの。まったく、便利なものじゃ」

「そう。なら良かった」


 そうじゃの、とダナエも自身の変化を受け入れ、書架へ向き直る。


「見つかると良いの」

「どうだろうね。あたしも確証があって来たわけじゃないし」


 ふふ、とダナエは薄く笑う。


「まったく。魔女とはもっと賢く聡いものだと思っておったのじゃがの」

「知識だけじゃどうにもならないってことでしょ」

「違いない」


 今度は大きな声で笑い合うふたり。

 魔女と人間の差なんて、実はほとんど無いのかも知れない。

 本を探しながらティアはそんなことを思った。


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