第11話 不安
「おかえり。疲れたでしょ。お風呂入る?」
ウルラに運ばれ小屋に到着し、自分でドアを開けて最初に目に飛び込んできたのはティアの穏やかな笑顔だった。
「な、なんじゃその愛想の良さは。わらわが出ている間になにがあった」
「あんたと似たようなこと」
「要領を得ぬが、なにか企んでおる様子も見えぬし、まあよかろう」
「なによそれ」
むぅ、と膨れて見せるがすぐに破顔し、ダナエの手を取って家の中へ引き入れる。
「こ、こら、引っ張るでない」
「あ、なにこれ、腕、どうしたの。破れてるじゃない」
「餞別にな、くれてやった」
「え、腕を?」
うむ、とどこか自慢げに胸を反らすダナエ。
「呆れた。で、その腕はどうやって戻したのよ」
「枝を呑んで生やした。少し疲れたがの」
「もー。生えなかったらどうするつもりだったのよ。あたしそこまで面倒見ないからね」
「それはそれで構わぬよ。腕は使えなくとも枝葉は使える。工夫次第でどうとでもなる、と思ってな」
「ま、ちゃんと魔力使えてるみたいで安心したわ。フィーロ、背中流してあげて」
はい、と恭しく頷き、流れるようにダナエの前へ。跪いてゆっくりと顔を上げ、す、と右手を差し伸べる。星空のような瞳は情熱的に潤み、艶めく唇からこぼれ落ちる声音はしっとりと。
「お手をどうぞ。ご案内いたしますわ」
ごくり、とダナエは喉を鳴らす。つい先刻人間たちと触れ合い、かつて愛した女たちのことを思い出した影響もあるのだろう。フィーロに視線を合わせたまま、ティアに問いかける。
「……のう」
「だめよ。前も言ったけどフィーロもカーニャもこの森の生き物はあたしのだから。唾付けたりしたら承知しないからね」
「……ほんに残念じゃ」
がっくりと肩を落とすダナエ。
「フィーロも。ダナエが本気にするからそういう冗談止めなさい」
「はぁい、旦那さま」
言われてぺろ、と舌を出すフィーロ。
「じょ、冗談とは、ずるいではないか!」
「大人とはずるいものですよ。ダナエさま」
うふふ、と微笑むフィーロの瞳には、ダナエがいままで見たことの無い色があった。
「……むぅ」
小さくうめいてダナエも右手を差し出す。そっと包み込んでフィーロは立ち上がり、
「さ、こちらですわ」
くい、と引っ張って風呂場まで軽やかに歩きだす。
ティアがすれ違う時に、あ、そうだ、とダナエに声をかける。
「服脱いだら貸して。破れた所直しておくから」
「すまぬの。わらわは不器用での」
いいって、と微笑む。
「ささ、お背中流しますわ」
「こ、こら、引っ張るでないっ」
ふたりを見送り、ティアはいそいそと裁縫の準備を始めた。
半年の期限を、伸ばそうかどうしようか考えながら。
* * *
「学校?」
「そ。ちゃんと魔女になったから行ってもいいかなって」
その日の夕食が終わって、四人で食後のコーヒーを楽しんでいた時、ティアは学校のことをダナエに話し始めた。
座学と言うよりは寝物語のような形で知識を得てきたダナエにとって、学校という形で学ぶことは新鮮だったらしく、興味深そうに何度も頷きながらティアの話を聞いていた。
「しかし、わらわも魔女に成った時にある程度の知識はすり込まれた。これ以上なにを学ぶ必要があると言うのじゃ?」
え、と意外そうにティアは反論する。
「だってあんた森の作り方は分からないんでしょ? なにか見つかるかも知れないから」
ダナエの魔女としての力は定着したが、最も肝心な森は手に入れていない。
「魔力の森とは、魔女が作るものなのかえ? わらわは森が魔女を生むと聞いておるが、そもそも森とはなんなのじゃ?」
んーと、とティアは考えをまとめ、次のようなことを語った。
魔女にとって森は単なる住む場所だけでなく、生命の源である魔力の供給を受ける重要な場所であること。
魔力の森に引き寄せられた、あるいは見初められた人間の女性が魔女に成る。成った魔女は森に定住し、人間たちと細々とした繋がりを持ちながら悠久の時を生きる。
「そこまではわらわも知っておる。心が壊れ、あるいは失った者が魔女や魔獣に成ることも含めてな」
うん、と頷いてティアは続ける。
「森は魔女を生む。魔女は理を司って魔を使役し、森を育てる。これが魔女の原理原則。あたし以外の魔女に会ったことが無いから分からないけど、そこから外れる形で生まれたあんたがこの森で暮らしても秩序が崩れない、って言うことは、ひょっとしたらあんたに森は必要ないのかも知れないってこと」
むぅ、と首を捻るダナエにティアは言う。
「あたしは森に導かれて魔女に成った。そのときに魔力の使い方とか森の育て方とか、魔獣の産製とか使役の仕方とかの知識がすり込まれた。でも、森の作り方までは知らない」
「うむ。わらわもあの男を待っている間、すり込まれた知識を反芻しておったが、森の作り方に関するものは無かったの」
でしょ? と人差し指を立てるティア。
「だからそういう諸々が学校に行けば分かるかもって話」
「ならば、行ってみるとするかの。いつまでも世話になり続けるのも心苦しいものがあるのでな」
「じゃ、さっそく明日からね」
うむっ、と満面の笑みで頷くダナエ。
微笑むフィーロと、遊んでくれないからとティアの足元でつまらなそうにふて寝するカーニャ。
ティアもまた満足そうにコーヒーを飲む。
明日からの楽しみが出来た。
魔女になってからたぶん初めて、明日が待ち遠しくなった。
「行ってきまーす」
「い、行ってくる」
どこか緊張した様子でダナエはフィーロたちに言う。
「はい。行ってらっしゃいませ」
笑顔で見送るフィーロとは逆に、カーニャはつまらなそうだ。
「旦那さま行っちゃうの?」
しゃがみ込んで目線を合わせ、ゆっくり頭を撫でながらティアは言う。
「どうしたのよ。学校なんていままでずーっと行ってきたじゃない」
「……だって、最近ダナエさまばっかり見てるんだもん」
ふい、と視線を逸らすカーニャがいじましく、とても愛らしい。
ぎゅっ、と抱きしめ、三角耳に囁く。
「ごめんね。最近遊んであげてないから。でも、ダナエのことがひと段落するまで、もう少しだけがまんして。お願い」
「そんなことじゃ、ないもん」
不満そうに言いながらも、しっぽは正直だ。ゆっくりとだが左右に揺れている。
「いい子で待っててくれたらさ、一緒にお風呂入って、一緒に寝ようよ。 それじゃだめ?」
「……だめじゃない、けど」
どうしたんだろう。ここまで駄々をこねたことなんて滅多に無いから、対処に困る。
「いやなにおい、する。悪いことが起きそうな、そういうにおい」
「なんだ、そういうこと」
もう一度ぎゅっと抱きしめる。
「大丈夫。魔女がふたりもいるんだから。なんとかなるよ」
「でも」
「心配してくれてありがと」
からだを離して頭を撫でてやる。それでもまだしっぽは緩やかに動くだけ。
「今日じゃなきゃ、だめなの?」
「ひとつの森に魔女がふたりいてどうなるか、まだ分からないでしょ? いまだってまだ目立った異変が起きてないだけで、どこかで歪みが出来てるかも、だし。カーニャが感じてることの原因がそれかも知れないから、早くに解決した方がいいってあたしは思う」
「……でも」
まだ渋るカーニャに、ついにフィーロが口を出す。
「カーニャ。あなたの心配も分かりますが、それ以上旦那さまを困らせるものじゃありません」
優しく叱られて、しばらく押し黙って。じゃあ、と自分のしっぽに手を伸ばして毛を数本引き抜いて、ひと舐めする。
「腕、出して」
うん、と右手を差し出す。
いそいそと手首に毛を結びつけるカーニャ。
「お守り。悪いことが起きそうなら、きゅっと締まって教えてくれるから」
「ありがと」
「ダナエさまも」
「よ、よいのか?」
「うん。ダナエさまのことが、嫌いなわけじゃないから」
「感謝する」
ダナエにも結び終えると、心配そうに、けれどそれを押し込めているのが丸見えな笑顔を浮かべてカーニャは深々と頭を下げる。
「旦那さま、ダナエさま。わたしのわがままでお時間を取らせてしまい、申しっ」
言い終えるよりも早くティアが肩を掴んで起こし、怒鳴る。
「止めてよそういうこと!」
「だって、だって……」
上げた瞳には涙が浮かんでいて、怒っていいやら寄り添えばいいやら分からずしばらく迷って、やはり優しく言った。
「あたし怒ってないし、ダナエだって、怒ってないでしょ?」
「うむ。主人でも無いわらわにこのように素晴らしいお守りをもらって、いたく感激しておるところじゃ。叱る必要がどこにある」
ほんと? としゃくり上げる姿に胸が締め付けられる。
「大丈夫だって。このお守りがあればどんなことだって平気。だからそんな顔しないで」
優しく頬を撫でてやる。
「本当はね、行って欲しくない。でも、行かなきゃいけないなら、がまんする。だから、ちゃんと帰ってきて、ください」
「もちろんよ」フィーロに顔を向け、「じゃあ行ってくるから。お留守番とかいろいろ、お願いね」
「はい。気をつけて行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃい!」
涙混じりに元気よく言うカーニャの声を背に、ふたりは地下へ降りていった。
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