第9話 別れの前夜に

「ダナエさま、少し、お時間を頂けますか?」


 ダナエが兵士たちを見送った翌日。

 ひとりで森の端に座っていたダナエに、カマキリの魔獣プレディカがおずおずと話しかけてきた。


「ふむ。見ぬ顔じゃが、ティアの魔獣かえ?」

「はい。ぼ……、ティアーボさまの魔獣、プレディカと言います」


 いまのプレディカは全身が人間のそれに近い。腹部から下とヒジから先は若草色の細かい毛に覆われ、額からは緩いカーブを描く細い触角が二本伸びている。

 切れ長の瞳はフィーロと同じく白目が無く、瞬きする度に黒真珠のように艶めいている。

 ダナエは無造作に近付き、無表情とも緊張しているようにも見えるプレディカの顔をまじまじと見つめ、感嘆の吐息を漏らす。


「艶やかな良い目じゃの。で、何用じゃ? 幸いわらわにはまだ当分時間がある故、遠慮などするで無いぞ」

「あ、ありがとうございます」


 深くお辞儀をしてプレディカはしばらくもごもごと口を動かして、意を決したように話し始めた。


「わたしが、ダナエさまを魔女にしたんです」


 ふむ、と頷いてダナエは適当な木の根に座る。仕草でプレディカにも座るよう促し、一瞬ためらってから、やはりおずおずと座った。


「わたしは、あの里の生まれでした。幼い頃に両親を亡くして引き取られた先で、最初は親身にしてくれたんですけど、自分たちに娘が出来るとわたしのことは邪険に扱うようになって」


 そういう素性の女は、ダナエが唾を付けてきた女たちにも少なからず居た。それが実の両親であったことも含めて。


「元々その家は魔力の森に魔布を取りに行く役目を持ってたんですけど、あのひとたちは魔除けの布も持たせずに使いにやらせました。

 見かねた旦那さまが魔除けをくれたんですけど、それが見つかって折檻を受けたりもしました。

 それで半年ぐらい前に妹が病気になって。それをあの人間たちは、お前が魔女さまを怒らせるようなことをするからだと言って、また」


 少なくないケース、ではあるがそれでダナエが心を痛めなかったわけではない。過去にそういう行為をした者は例外なく処罰を与え、女史に新しい法律や保護施設を造らせたりして対処してきた。


「結局妹は死んで、あの人間たちはわたしに八つ当たりして、わたしを殺しかけました」


 ダナエはただうむ、と頷く。

 かつて身の上話を聞いていた時はあれほど胸の奥が燃え上がったのに、いまはそよ風ほどしか吹いていない。これが魔女になることなのかえ、と改めて湧き上がった思いを、しかし表には出さず、プレディカの話に集中する。


「死にかけてるところに旦那さまがいらっしゃって、魔獣に成ることで命を繋いで。旦那さまは仰ったんです。自由にしていい、って。だからわたし、あの里を……」


 そこで一旦切って、プレディカは里を見る。つられて見たダナエの脳裏に過ぎるのは、到着したばかりの時の凄惨な状況。あちこちに肉片や臓物が飛び散り、転がる首は老若男女の区別が無かった。


「なるほどの。この里が平穏無事ならば、わらわが城から出ることも無く、それ以上に魔女に成ることも無かった、と言うことかえ」


 はい、と頷くプレディカ。

 あまりにも責任を感じているように目を伏せているので、ダナエはぬっと手を伸ばしてプレディカの若草色の短髪を撫でてやる。


「何を今更。魔女に成る以前からわらわの心は壊れておった。ならば遅かれ早かれ魔女に成っておったと言うことじゃ。むしろ感謝をしておるぐらいじゃ。わらわをあの王家から引きずり出してくれた。そしてもうじき縁も切れる」


 でも、と撫でられながらプレディカは食い下がる。


「心残りがあるとすれば、あの国で唾を付けた女たちの行く末を見守れぬと言うことじゃな。できれば幸いなまま天寿を全うして欲しいが、わらわが縁を切らばしばし混乱するじゃろうからの」

「だったらわたし、とんでもないことを!」

「申したであろ。わらわの心は壊れておった、と。それにあの国はもう限界じゃった。魔女に成らずともわらわは王家を潰す気でおったし、そちが気に病む必要な微塵も無いのじゃよ」


 言ってにこりと微笑む。

 かつて一夜を明かしたあと、朝日の中動揺する娘たちを落ち着かせてきた笑顔だ。


「……はい……」


 まったく、とため息を吐いて、ダナエは困ったように言う。


「そちがティアの魔獣でなければ、ここでとくとからだに教え込んでやるのじゃがの。いまはそれも出来ぬ。許せ。わらわのことでそなたを苦しめておったようじゃの」


 そんな、とかぶりを振る。


「それよりも教えてはくれぬか? 知った顔を切り刻むと言うのはどんな感覚であったのか。魔女に成らなければわらわは父を処刑したであろうし、民を路頭に迷わせたやも知れぬ故、せめて感覚だけでも知っておきたいのじゃ」


 晴れやかに言われ、プレディカはしばし戸惑い、しかしその笑顔に負けてゆっくりと語り出した。


「最初に手を掛けたのは、養父で……」


 内容は殺伐としているが、見た目にはおしゃべりに興ずる同世代の少女ふたりであり、やがて他の魔獣たちが興味深そうに集まり、あるいは自分はこうしてやったと参加する者まで出てきた。

 その結果、プレディカは森と魔獣たちに受け入れられ、ティアの魔獣として生きていくことになる。

 ダナエが完全に魔女に成るには、もう少し時間が必要となるが。




「そうかえ。殺すも殺されるもあんたの自由、とはの。あの者らしい」


 ひとしきり姉のぬくもりを味わったあと、ティアはウルラに伝言を頼んだ。そのご褒美としてたっぷりのハグをしてもらって、ダナエの前に立つウルラの白磁のような肌はまだほんのり朱い。


「確かにいちど、あの王家は滅びた方が良いのじゃろうな」


 それに、と一度言葉を切って里の向こう、ほんの数日前まで自分が暮らしていたリングラウズの王城がある方角へ視線を向ける。


「王がおらずとも国は動く。あのような愚王であればなおさらじゃ」


 のう? と振り返ってウルラに問いかける。

 急に話を振られて困ったように手をばたばた動かして、魔獣として平均的な答えを口にした。


「わ、わ、わたしには、人間の世のことは分かりません」

「ああ、よい。困らせてすまなんだの」


 ウルラが人間だった頃は、貴族か王族かのメイドとして働いていたそうだ。だから他者から命じられて動くことは慣れているが、個人としての意見や意志を持って行動することには慣れていないのだと、何度か話をする内にダナエは察した。


「さて、今宵はもう眠るとするかの。野宿は初めてじゃが、嫌悪する気持ちはさらさら無くなっておるの」


 枕に出来そうな木の根を探して視線をあちこちに飛ばす。ふと目に入ったウルラが所在なげに立っていたので声をかけてみる。


「どうした? 用向きが無いのなら家に戻って休むがよい。夜伽を命じてもあの者が許すまいて」


 苦笑するダナエにウルラはくす、と微笑む。


「ダナエさまがお休みになったあと、すぐ上の枝で休ませていただきます」

「そうかえ。では急いだ方が良いの」


 見つけたのは、びっしりとコケの生えた大樹の根。触ってみればほどよく乾燥していてクッションになってくれそうだ。


「ではわらわはここで眠る。そちもよく休むのじゃぞ」


 伸びをして横座りに。そろそろと根と頭の位置を合わせながらからだを横たえ、ウルラに微笑みかける。


 ウルラは腕を翼に変えてから深々と一礼し、


「はい、お休みなさいませ」


 しなやかに羽ばたいて大樹の枝のひとつに留まり、ゆっくりと瞳を閉じた。

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