第7話 におい

「旦那さま。ダナエさま宛てに書状が届いています」


 フクロウの魔獣、ウラルがそう告げたのはダナエが同居するようになってから五日後のことだった。

 礼を言って受け取ったのは、ずしりと重さを感じるほどの封書だった。

 自分宛でもないのにその重さにうんざりしつつ、封を切らずにダナエに渡す。彼女も嫌悪感を隠そうともせず、しかし受け取り、呟く。


「書状じゃと? あの痴れ者め。わらわに読み書きを教えおらぬこと、覚えておらぬようじゃの」


 あきれ顔で蜜蝋が押された封を開け、難儀しながら中身を取り出す。紙の端を探して掴み、広げる。ばさばさと豪快に落ちていき、立った状態なのに床に落ちてもまだ塊が残っていた。


「うわ。ひどいわね」


 思わずティアが零す。興味を引かれたのか、カーニャが近付いて床に落ちた方に鼻を近づけてにおいを嗅ぐ。


「……やなにおい。ねじ曲がってる」


 眉根を思いっきり寄せてすぐさまティアの足元へ。


「やっぱりね。男親なんてそんなものよ」


 知っておる、と苦笑してダナエは読み始める。す、とフィーロが椅子を用意すると、小さく礼を言って腰掛けて読み続ける。

 長くなりそうだから、とティアはソファに移動して刺繍を始め、フィーロはコーヒーの用意を始め、カーニャは主人の足元に丸くなった。




 十枚ほどの刺繍を終え、三杯目のコーヒーのおかわりを頼もうかどうしようか考えていたところで、ダナエが椅子に崩れ落ちるようにしてうめいた。


「終わった……ぞえ」

「あ、お疲れ。どうせろくなこと書いてなかっただろうけど、どうだった?」

「にやつくでない。まったく、こんな時ばかり生き生きとしおって。性根が透けて見えるぞ」

「あたしだったら最初の一文読んだだけで放り投げるな、って思って」

「わらわとてそうしたかった。しかし、読まねばならぬのじゃ」部屋の中をぐるりと見回し、「手紙を届けてくれた魔獣は、もう居らぬのか?」


 その言葉の後、ドアが静かに開き、ウルラがしずしずと入ってくる。


「中で待てばよかろうに。それとも何か? この底意地の悪い主に嫌がらせを受けたのか?」

「め、滅相もない! わたくしが自主的に外に出ていただけでございます」

「ならば良いがの。さりとて。手紙をこの森まで持ってきた者はどうしておる? もう城へ戻ったのか?」

「返事をもらうまでは帰れない、と森との境目の里に待機しています」

「ならば……わらわをそこまで案内してくりゃれ。伝えねばならぬことがある故な」


 ウルラはまずティアに視線を送り、主が頷くのを確認してからダナエに返す。


「旦那さまの許可も頂けましたので、ご案内します。いますぐになさいますか?」


 無論じゃ、と困ったように笑い、玄関へ向かう。


「ウルラ、優しくしてあげてね」

「はい。旦那さま」


 恭しくお辞儀をしてウルラも外へ。

 あれを初めて経験するダナエがどんな反応をするのかを見たくてティアも外へ。つられるようにカーニャ、フィーロも外へ。

 陽は傾きはじめているが、まだ明るい。きっと気持ちいいだろう。


「ではダナエさま、両手を水平に広げていただけますか?」

「? 案内するだけであろう?」


 言葉の意味が分からずに首を傾げつつも、ダナエは素直に両手を広げる。


「失礼します。できる限り優しくするつもりですが、痛みを感じたら早めにおっしゃってください」


 ますます分からない。


「よう分からぬが、早ういたせ。待たせるのは嫌いじゃ」


 はい、と頷いてウルラは両腕を翼に変化させ、ふわりと浮き上がる。


「後ろから失礼します」


 がしっ、とダナエの肩口を掴んだところでようやく、彼女も察した。


「ま、まさかこうやって運ぶつもりかえ!?」

「その方が早いし、迷わないんだって」

「な、なぜ先に言わぬ!」

「ウルラがフクロウの魔獣だって言わなかったっけ?」

「聞いておらぬ! 覚えておらぬ!」

「慣れれば快適よ。暴れたりしなきゃ落ちないから、怖くてもじっとしてること」

「薄情者! やはりそちは底意地が悪い!」

「だって魔女だもん。ウルラ、お願い」

「ダナエさま、暴れないようにお願いしますね」

「……っ、や、やさしく頼む……」


 ぎゅっ、と唇を噛みしめ、ヒジから先を曲げてウルラの足首を掴む。指先が少し震えている。


「では。旦那さま、失礼します」


 ん、と手を振るとウルラは力強く羽ばたき、ぐんっ、と高く上昇する。


「んひゃあああああっ! ゆ、ゆっくりいたせぇえええぇ……」


 木々の上に出た、と思った次の瞬間にはもう、里の方向へと移動を始め、あっという間に見えなくなった。


「いってらっしゃーい」


 いい気味、と口角を上げつつ小さく手を振り、ティアは玄関へ振り返る。


「旦那さま、そのお顔はやりすぎです」


 その横から、思いの外真剣にフィーロが釘を刺してくる。一瞬、おどけてかわそうと思ったがすぐに止める。

 うん、と小さく顔を伏せ、


「なんかね。オスのにおい感じたからダナエにあたった。ごめん」

「謝るならダナエさまにしてくださいまし」


 フィーロは本気で怒っている。

 正直調子に乗りすぎたと思っている。


「……うん。そうだね。帰ってきたらダナエにも謝る。フィーロたちに愛想尽かされたらあたし生きていけないもん」

「わ、わたくしは、そのようなつもりで!」

「うん。ちょっとね。イラついてた。ダナエが悪いんじゃなくって、あの子が父親に振り回されてるって分かったら、……ね」


 辛そうに語るティアに、フィーロの表情も沈んでいく。


「だめね。こんなに時間経ってるのに、あいつのこと思い出したら人間みたいなことしちゃってさ。……だめな主人でごめんね」


 言い終えるが早いか、フィーロはティアを抱きしめていた。


「ふがいないのも、あの男のことを思い出して感情を揺さぶられたのも、わたくしも同じです。ですからどうか、そのような哀しいお顔をなさらないでくださいまし」


 うん、と頷いて、フィーロの背中に手を回して抱き返す。


「旦那さま、フィーロ、ケンカしちゃやだぁ……っ」


 後ろからカーニャが泣きそうな声で抱きついてきた。


「大丈夫。ケンカなんかしてない。カーニャも、怖い思いさせてごめん」

「うん、うん……っ」


 気がつけば、三人で泣いていた。

 こんな人間みたいなことをやって、本当にみっともない。

 だからこんなことは今日で最後にする。

 そう決めた。

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