第5話 魔女へ
「もう遅いわよ」
にべもなく、しかも予想していたどの返答とも違う言葉をかけられて、兵士は間抜けな声で返事をしてしまう。
「は?」
「その子、魔女になりかけてるってこと」
「な、なんじゃと!」
立ち上がってティアに詰め寄るダナエ。
「一度森に受け入れられたら、あとは魔女になるしか道は無いわ。兵士さんたちも、やれることは無いから」
立ち上がってリビングを出ようと歩き出す。
「ま、待て! 姫様になにをした!」
「あたしじゃなくて、この森が認めたことよ」
視線でフィーロたちを制する。
「あたしはこの森の魔女で、全部の生き物を支配してるけど、誰が魔女になるかまでは関与できないの。魔女になるまでは人間だから」
「ふざけるな!」
じゃきん、と鈍い音を立てて槍がティアの鼻先に突きつけられる。
「だから早く帰った方がいい、って言ったのにさ」
ポケットから魔布を取り出し、槍の穂先にかける。途端、槍はふにゃりと曲がり、兵士たちがどれだけ束を振っても元の形には戻らなかった。
「フィーロ、糸」
はい、と恭しくフィーロが頭を垂れ、指先を兵士たちにそれぞれ向ける。
「動くな」
一層低い声でフィーロが言うと、見惚れるほどに美しい指先から白い糸が束となって兵士たちに降り注がれる。
「な、なんだこれは!」
「主命により殺しはしません。簀巻きにして里に放り出すだけです。人力では解けない強度を持たせてありますが、人間の体温でも溶ける糸にしてあります。里についたらがんばって動いてください」
淡々と、しかし憤怒は隠そうともせずにフィーロが言う。
「ふざけるな! 姫様になにかあれば、国は瓦解する!」
そこまで言うか、とティアは呆れる。
「人間の世界のことなんか知ったことじゃないわ。フィーロ、嫌な事頼むけど、ゴミ捨てお願いね」
「いえ。旦那さまのご命令ならば、至上の喜びにございます」
うっとりと答えるフィーロを、どこかうらやましそうにカーニャは見つめ、すぐにティアを振り返る。
「旦那さま! わたしも! わたしにもご命令ください!」
右手を挙げて元気よく言うものだから、ティアは苦笑してしまう。
「そうね。じゃあダナエを見張ってて。あたしは学校に行くから」
「わかりました! 旦那さまがお帰りになるまでダナエさんを見張ってます!」
「いい子。お願いね」
ゆっくりと頭と三角耳を撫でてやる。ふさふさの毛並みが手に気持ちいい。
「くすぐったいですぅ」
「だ、旦那さま! わ、わたくしにも、その……」
兵士たちふたりを、自分の糸で簀巻きにし終えたフィーロが、もじもじしながら言う。
何を言わんとしているかはすぐに察した。恥ずかしがることじゃないのに、と苦笑しつつ、笑顔でティアは言う。
「わかってる。帰ってきたらマッサージでもなんでもしてあげるから」
ぱっと明るく、頬を染めてフィーロは感激の声を上げる。
「ありがとうございます! では行って参ります!」
ん、と微笑み返すとフィーロは糸の束を肩に担ぎ、兵士たちを引きずっていく。鎧を着込んだ大人の男ふたりを引きずっているにも関わらず、表情に苦しさも、足取りに淀みも無い。
「うっかり落として殺さないように、気をつけてね」
「はい。お気遣い痛み入りますわ」
上品に微笑んでドアを潜り、静かに閉める。
「じゃあカーニャ、お願いね。あたしは学校行くから」
「はいっ! お任せ下さい!」
「ま、待ちやれ! わらわはどうすれば良いのじゃ!」
「じっとしてなさい。手持ちぶさたならそこで寝てていいから。本当は外に出てた方が安定するけど、もうすぐ嵐が来るから家の中に置いといてあげる。けどじっとしててよ。トイレの場所とかはカーニャに聞いてね」
ひらひらと手を振ってティアは階段を降りていった。
「えへへ。よろしくね。お姫様」
だらしなく笑いながらカーニャは、さりげない動きで地下への階段と出口の両方を視界に収められる位置に移動する。
はぁっ、とため息を吐いて、ダナエはソファに座り直す。
「仕方ないの。ゆるりと魔女になるとするか」
ちらりと見たカーニャは、もう床の上に丸くなって目を閉じているが、頭頂部の三角耳はぴくぴくと忙しなく動いているので熟睡はしていないようだ。
んーっと伸びをしてダナエは、本でも持ってくれば良かったのう、とぼんやり思いながら、ソファにからだを横たえた。
「やっと……開放されるのかえ……」
自嘲的な笑みを浮かべながら、ダナエは静かに眠りに落ちていった。
* * *
「さて、面倒ごとも片付いたし、今日は課題、頑張っちゃおっかな」
鼻歌交じりに教室に入る。
「えっ」
ダナエがすでに机のひとつに座っていた。
違う、ダナエじゃない。
顔立ちも髪の色も座っている姿勢も何ひとつ似ていないのに、教室のほぼ中央に座っている女子生徒をダナエだと感じてしまった。
その女子生徒は教室に入ってきたティアを一瞥しただけですぐに正面に向き直り、ノートを取り始めた。
「まあ、いいや」
極論すればここに居る生徒たちはティアに影響を及ぼすことはない。お互い触ることも言葉を聞くこともできない存在だ。
自分の特技はすぐに忘れることだとティアは自負している。なのですぐにいまの動揺を忘れ、教室の隅の自分の席へ向かう。
今日の課題は刺繍。
魔力は込めなくていいので一枚に五つの模様。それをハンカチ大の布に三十枚。
「良かった。これで頭使う課題だったら最悪だったし」
机に手を突っ込んで糸の束と針山を取り出し、針に糸を。ある程度糸をぴんと伸ばしたところで爪で弾く。こうすることで糸のヨレがなくなり、綺麗に縫えるのだ。
「さて、なににしようかな」
とくに図案は考えずに布に針を落とす。つい、つい、と淀みなく針を進めながらぼんやりと形が布の上に浮かんで見えてくる。
「ん、猫にしよう」
ダナエが魔獣になったならきっと猫の魔獣になるだろう。そんなことを考えながら針を進める。
半分ほど終えたあたりでふいに視線を感じて顔を上げると、先ほど目が合った女子生徒がこちらを見ていた。
「な、なに?」
返事があるはず無いと知りつつもティアは話しかけてしまう。
少女は、うすく微笑んでまた正面に向き直った。
「なによもう。気になるじゃない」
文句ぐらい言わないと気が済まないが、直接彼女の元へ行こうとはしない。
無駄だとわかっているから。
そんなことはもう百年前に何度も何度も何度も試したから。
ふん、と鼻息をひとつ。そしてまた布を手に取り、刺繍を再開する。
針を進めるごとにティアの集中も高まっていく。五分も経ずに布と糸と針だけが彼女の全てになる。もう自分がどんな模様を縫っているのかも認識していない。
無地の布たちが見る間に鮮やかな刺繍を施されては、刺繍の終わった布たちの山に放り投げられ、すぐまた次の布が針と糸で彩られる。
ダナエが魔女になったらまた色々面倒ごとが増えるのだろうけど、いまは刺繍に専念しよう。
学校に居る間だけは、自分ひとりのことに集中していて良いのだから。
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