なんとなく分かる気がします。
私は10代の頃、
臓器移植カードの全ての欄を丸にして持ち歩いていました。
今でも死んだ後で役に立つなら、
全てをどうぞ!と思っています。
(家族の気持ちを考えると何とも言えないですが、個人的にはそう思います)
ただ、好きな動物に食べられたいと思ったことはありませんでした!
Askewさん、さすが!!
(ただ想像するとつらくしかなりませんが)
でも、私の本当の本当はしゅわわわわ〜と煙みたいに消えたいです。(急にメルヘンな上に何の役にも立ってないけど。笑)
…何の話になってしまった?笑
作者からの返信
臓器移植とかも良いですよね!
ただ、それだと人間にしか恩を返せないですからね。
人間は人間を食べませんが、僕らは動物を食べるので、それなら動物にも人間を(死んだ後に)食ってもらおうという考えです。やっぱり、残された家族や知り合いがどう思うかは別の問題ですよね。そこは生きている人ですから、死んだ僕と違って悩む次元が違うのは当たり前です。
煙みたいに消えて、それと共に世の中の辛いことも持って行ってしまえたらいいのですけどね。僕もしゅわわ蒸発法は好きです。
こういう話ですよ!?
ねむこさんは僕が振った話題に素直に答えてくれています。笑
どーも、山奥育ち、海大好きの由海です。ムキムキでも変態でもありませんが、アウトドアでのフットワークは軽い方です。
車道でペシャンコになってる子達、多いですよね。見つけるたびに「うわあああっ、何も見てないっ! 何もなかったことにするっ!」って叫んでます←血とか中身とかがドバーッと出るモノはダメな人。ホラー系&グロいモノは一切受け付けません。
バージニア州の車道でご臨終されているのは、ウッドチャックとかリスが多いかな。アライグマ、コヨーテ、鹿は普通に出ます。(住宅地でも、我が家の裏庭でも……)
運転中に鹿に出会うと、一旦停止を余儀なくされます。彼らにぶつかったら、こちらもタダでは済まないので……Askewさんも、運転気をつけてー。
作者からの返信
由海さん、こんにちは。
関西の山奥ってどこかなー。結構山が多くて、どこもあり得そうですね。僕も山育ち海大好き人間です。それ以外は余計な情報がくっついて来ています。
ホラーは僕もダメです。血とかはぞわぞわしますが、目をそらしたらいけないよなぁ、と思って頑張ってみるタイプです。
肉を食べているのでね。動物を食べるってこういう事だと思って、果ては自分で締めてみたいと思っています。笑
リス!!
僕が見たのはイタチじゃなくてリスなのかもしれません!!
今日はNASAに来ていますが、ウリボーが構内の道路を横切りました。ウリボーなら鹿ほど大惨事になりませんが、気をつけようと思います笑
すごく興味深い内容でした。移動していくごとにロードキルの動物たちが変わっていくのは、こういうとあれですけどなるほど〜となります。しかしコヨーテ!日本にいるとまず野生で見るはずのない動物に、ほんとにアメリカだ〜とテンション上がります!
死んだ後は好きな動物に食べてもらいたい欲、また君が死んだあとは僕が食べたい欲、すごく分かります!鳥葬、少し憧れますね…
長距離運転、道中どうかお気をつけて…
作者からの返信
陣野さん
日本だとせいぜい猫、鹿か熊くらいですもんね。熊はビビリますが。
コヨーテは結構どこでもみれます!
犬みたいで見ているぶんには可愛いですよ。
発音はカヨーリと言われるので、初めて道端で見たとき、なんの動物か全くわからなかったことを思い出しました。
この死生観分かりますか!!
良いですよねー! 食べて貰えるなんて嬉しいと思うんです。生きたまま食べられるなんてゴメンですがね!
読んでいて、星野道夫さんを思い出していました。
自然を撮ってきた人ですが、最後は自然のサイクルの中に還っていったんだなぁと、ヘンな言い方ですが、感動すら覚えました。
子供のころ、登校途中に路上で赤いヒモを見つけて、
歩きながらなにげに目で辿って行ったら、
ねこの腸だったってことがありました(辿り着いた先に本体が。。。)
ショックで涙が溢れました。
カエルが一瞬で押し花みたいになったのも見ました。
命のあっけなさを見ると、命が生きてる奇跡も感じますね。
自分は、死んだあとは魂が残ってほしいので(強欲!)、
そうでありさえすれば、体の方はお好きなようにしていただいても。。。
子供もいませんしね。
献体するという手もありますが、今どきは余ってるらしいです。。。
作者からの返信
星野道夫氏……。
僕がエッセイを書き始めるのに多大な影響を与えた人です。「旅をする木」を去年読んで、僕の価値観が変わりました。
そのエッセイの中で出てくる「泣けてくるような夕陽を見た時、愛する人にどう伝えれば良いか」という問いに対する答えは僕の軸になっているくらいです。
子供の頃の生き物の死はショックですよね。特に身近な哺乳類だと特に……。
でも、仰るように、今ではどうして大人が「命」なんてものを言葉にするのか、クサいくらいテーマにするのか分かる気がするんです。それは、僕がとりとめのない存在であればあるほど実感されるように思います。
世界の中心は自分で、自分以外のことを(良い意味で)知らない時には分からないんですよね。自分が何の特徴のないヒトの一個体だってことを。それが、不思議なことだってことを。
献体は余っているんですね……。
じゃあ、なおさら動物に食べて貰わないと!!