第9話 1分21秒、クリアランス

それは、12回目のチャレンジだった。

猛スピードで突っ込んでくる車に飛びつくことに、やっと成功した。

可能性に手が届く。

……ようやく出来た。

俺の左手は、サイドミラーをがっちりと掴んでいる。


「ははっ……!」


焼けるように熱いルーフの上に腹ばいになる。

ようやくスタートラインだ。

理論値。たぶんこれが一番速い。

これで間に合わないなら絶対に無理。

細い路地を考えられないような速さで進む車の上で思う。

この車は、いつか事故る。

でも今は救いだ。

その暴走だけが希望だ。

倉見の事故現場への道のりのうち4分の3を進んだところで、車は減速し始める。

次の曲がり角を曲がるのならサヨナラだ!

いよいよ止まりそうなほど減速した瞬間、ぐいっとカーブミラーに掛けていた手に力を込める。

ボンネットの上を腹ばいに跳ねて、着地。

遅れて急ブレーキとクラクション。


「ありがとねっ!」


振り返って手を振ると、顔を真っ赤にした中年の男の運転手。

それが滑稽に見えて、笑ってしまった。

何度も絶望とともに曲がった事故現場手前の曲がり角が見える。

視界が開ける。全力で走れば間に合う距離に倉見がいた。

口元が思わず緩む。

時間に余裕は無い。

でも、確信がある。

ここまで来たら、

きっと間に合う。

目測、30メートル、20メートル、10メートル、5メートル、1メートル。

アスファルトを滑走して、ブレーキをかけながら手を伸ばす。

車道に足を伸ばしかけている倉見を掴んで、全力で体を回転させて引っ張る。

軸足が滑った俺の上に落ちてくる倉見。

俺の全身は、車道手前10センチメートルで止まった。

倉見の頭を支えて、最悪の事故を回避する。

どん、と下敷きになった俺の全身に衝撃が走る。


「いたた……?! センパイ? なんで? マジでどうしたんスか?!」


聞こえてきたのは、元気そうな、思い出の中にある倉見の声だった。

あのときと、何も変わらない。

ああ、全身が嘘みたいに痛い。

そりゃそうだよな。

倉見が落ちてきた衝撃を受けて、無事なわけがない。

そもそも車から飛び降りた時点で体はすでにどうにかなっていた。

アドレナリンでなんとかしてきたのに、それが今切れた。

それでも、これだけはしなければ。


「馬鹿野郎が!! 死にやがって!!!」


俺は、全力で、倉見をぶん殴った。




「痛いッスよ、センパイ」


赤く腫れた頬に涙目。その顔が本当にムカついた。

俺は結局、こいつのためにどれだけ苦しんだのか。

二発、三発と殴り続けて……。

結局、俺の体の方が先に悲鳴を上げた。

その事実に呆然とする。

どれだけ、お前のことを恨んだと思う?

このときのために、どれだけ失敗してきたと思う?

ようやく、手が届いた。

それなのに、俺は気が済むまでぶん殴ることすら十分に出来ない。

ペチッと小さな音を立てたのが最後、腕がもう上がらない。


「……ごめん、なさい……えぐっ!……ひぐっ!」


倉見は俺の胸元で泣いていた。

青い痣が浮かんだ頬を俺にこすりつける。

さっきまで満々だった殴る気はすっかり消え失せてしまった。


「俺が引っ張らなきゃお前、死んでたんだぞ?」

「……そうっすね」

「ほんと、馬鹿だよお前は……」


ようやく終わったんだ。

ぽつりぽつりと雨が降り始めている。

それは熱を帯びていた体に、心地よく染み渡る。


「ごめん、俺、立てねぇわ」

「あたしのせいっスよね?」


多分、足の骨が折れている。

その直感は正しかった。

病院は、倉見に背負われてたどり着く。

倉見の両親と、俺の母親は同時に病院へとたどり着く。

倉見が3人に説明していた。

俺の怪我は、自分が車道に飛び出したのが悪いのだと。

無理矢理自分を歩道側に引っ張った結果の怪我であると。

平謝りする倉見の両親。


「あれ? 倉見ちゃん、この頬の青あざ、どうしたの?」

「あー、これはセンパイに助けて貰った拍子に転んじゃって、」

「違うだろ?」


口を挟むと、倉見が振り返る。

本当のことを言っちゃうんスかと、顔に書いてある。

もちろん。

自分で決めていたのだ。

倉見を助けたら、全力で殴る。

でも倉見はきっと、本当のことを言わない。

自分のやったことのケジメは付けなければならない。

それこそが、貸し借りなしというヤツになるのだと思う。


「俺が、殴った」

「センパイ!」


倉見の両親が、えっ、と驚いた。

母親は無表情になった。本気で怒っている。

でも、これでいいのだ。

自分のやったことの責任ぐらいは取りたい。

この未来はきっと、いつまでも続いていくのだから。




結局、俺はその場で超怒られた。

倉見の両親が、俺の母親をなだめる側に回る程度に、本気で怒られた。



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