この世の闇路を照らしたもう③
十二月二十五日 午後五時三十分
「――いいえ! 貴方はもう一つのこの時期ならではのトリックを使って、被害者の車に迷彩を施したんです」
「この時期ならではのトリック……?」
ポニーテールの女の子が首をひねると、日野刑事が突然手を叩いた。
「よしっ、分かった! 答えは雪だ! 家庭用の除雪機か何かで雪を被せて赤い車を白く見せたんだ! そうだろ〝女子高生探偵〟!?」
「うーん、四〇点――」
「なんだと、キサマーっ! ニッポンケーサツを舐めとるのかーッ!?」
「だって雪じゃ、次の日の朝になっても車は白いまんまでトリックがバレバレじゃないですかぁ。真犯人は朝になったら自動的に赤い車が現れるような方法を使ったんですよ」
「そんな妖術めいた方法があると申すか?」
「この時期、この地方特有の寒さと塩化カルシウム、それにポリビニールアルコールがあればご家庭でも簡単にできますよ」
探偵が冗談めかしてそう言うと、上野が目を見開いた。
「塩化カルシウム――融雪剤ね!」
「ええ、融雪剤や除湿剤に使われているこの白色の粉末は水溶性で水と反応すると凝固点降下を引き起こし、およそ二十五パーセントの希釈液でもマイナス三十度までは完全に凍ることはありません。しかもこの時期ならどこのホームセンターにも売ってるし、なんだったら道端にタダで置いてありますから入手は簡単です。これを洗濯糊にも使われてるポリビニールアルコールのスプレーを使って車体表面に吹付ければ白い車の出来上がりです」
「待ってくれ! 確かにそれなら赤い車を白い車に見せられるけど、そんな都合よく雪が降るとは限らないだろ? 実際、昨日の夜は晴れてたわけだし……」
「そこはホワイトクリスマスの奇跡に賭けた――と言いたいところですが、別に雪を待つ必要はありません。朝になれば冷やされた空気中の水蒸気が凝結して霜が発生します。その微細な氷と反応して塩化カルシウムの粉末は溶解熱を出しながら水溶液に変化し、水溶性のポリビニルアルコールごと車体から洗い流されるという寸法です」
「そっか! だからあの時、車の周りがあんなにグシャグシャだったんだ!」
「ええ、先程日野刑事にお願いしたので、今頃鑑識が車体回りの溶けた雪を採取して科捜研に回しているところでしょう」
探偵が視線を向けると日野刑事は小さく鼻を鳴らした。女子高生の指示で警察が動いたことが面白くないのだろう。
一方、探偵はそんな刑事の悔しがる様を見て、してやったりという顔をしながら私に向き直った。
「さて、牧人さん……貴方、随分パリッとしたシャツを着ているヨーデスね? 差し支えなければ、どこの洗濯のりを使っているのか教えてくれません?」
いけしゃあしゃあと訊ねる探偵の声、仕草、表情、その全てが私の感情を真っ赤に塗りつぶしていく。
「この悪魔がぁーーッッ!!!」
気付けば私は雄叫びを上げながら少女に掴みかかろうとしていた。
だが暗がりの中、何かに足をつまずき、毛足の長い絨毯に顎をしたたかにぶつけてしまう。
「ガァっ!? ハッ――」
直後、暗闇から現れた何かに右腕ごと首を絡め取られ、不格好な海老反りのような姿勢を取らされた。
「探偵さんにお触りはダメですよ?」
耳元でそう囁いたのはあの背の高いスキーウェアを着た男だ。
私はようやく自分が足を払われ、その場に組み伏せられた事を理解した。まるで杭を打ち付けられたように背中から胸にかけてキリキリと痛む。
「あ、安静にしておいた方がいいんじゃないかな? 今、肘で右肺尖部を圧迫してるから、もしココに嚢胞なんかあったりすると簡単に破裂して胸膜内に空気が漏れ出すかも? すると圧力がどんどん高まり肺や心臓が縮んで、いわゆる緊張性気胸っていう症状になると最悪。三十分以内に手術しなければ死亡することも……ああ! そう言えば、ここは山の中だから救急車でも往復一時間はかかりそうですね?」
息一つ乱れていない男の淡々とした口調が耳の血管から全身へ氷水を入れられたみたいに、私の全身から抵抗力を奪っていく。
やがて部屋の明かりがつくと、無様に床に押し倒された私を関係者が遠巻きに見ていた。
〈ヤメロ……この私をそんな目で見るな……!〉
ある者は驚愕、ある者は恐怖、またある者は憐憫の表情で私を見下ろしているが、そのどれもが踏み潰された虫を見るような目をしており、まともに目を合わせられない。そんな中、何の感情も持たない探偵の瞳が日野刑事の方を向いた。
「……さて、傷害未遂の現行犯ってことで、心置きなくお得意の別件逮捕ができますね? 後は
「……お前ら、まさかそのためにわざと?」
日野刑事の
「さぁ? 私、JKなんで難しいことはワカリマセン」
「そうそう! お子様はお子様らしく、残り少ないクリスマスを楽しむんで、オトナの皆さん、後はよろしく〜♪」
笑顔で手を振ると探偵とその助手は宴会場の扉へと向かった。
「脅してゴメンなさい。本気じゃなかったんですよ?」
制服警官と役割を交代したスキーウェアの男は苦笑いで会釈し、探偵の後を追いかける。その背中に向かって私は声を張り上げた。
「一つだけ教えろ! 何故、私が
すると探偵は立ち止まり、意外そうな表情で私を見つめた。
思えば、この探偵の少女が私に対して何らかの感情を見せたのはこの時が初めてかもしれない。
「えぇ……気付いてないんデスか? 私が事件に関わる前から、貴方はとっくに自分が犯人だって証言してるんですよ?」
「馬鹿な! この私がそんなミスを犯すはず――」
「昨日、パーティーが終わった後、被害者をナイトスキーに誘ってますよね? 『声をかけたが断られた』と警察に証言してますが、その時点で既に被害者は二〇キロ離れた中澤峠の車の中で冷たくなってるのに、いったい誰が返事をしたって言うんデスか?」
探偵に指摘され初めて私は取り返しのつかないミスを犯していたことに気付いた。
何かがガラガラと崩れていく。床に組み伏せられながら私は底無しの冷たい沼の中に沈んでいくような錯覚を覚えた。
「持ち去ったスマホでLINEしたり、なるべく長く被害者が生きてるようにみせるためイロイロと工夫してたみたいですが、ハッキリ言ってやりすぎですね。以上のことから犯人は貴方です――神宮部牧人さん」
言うことは言い切ったとばかりに探偵の少女は
「アイツが……アイツが悪いんだ……誉れある神宮部の一族に生まれながら、その看板に泥を塗った諸仁が……」
潰れかけの肺から絞り出した恨み言は少女の背中には届かず、宴会場の分厚い扉が無情にも遮る。ドア越しに、調子の外れた『赤鼻のトナカイ』のハミングがどこか物悲しげに響いていた。
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