この世の闇路を照らしたもう②

十二月二十五日 午後五時二十三分



「神宮部諸仁を殺したこの事件の真犯人って、ぶっちゃけ貴方ですよね?」

 

 ざわめきが波紋のように会場内に広がる中、私は恐怖を怒りに換え、予め用意していたセリフを口にする。


「馬鹿な! 何を根拠に……私は大事な会議があって遅くなっただけで、それは社の人間に確認してもらえば分かるはずだ。一度中澤峠に行って諸仁を殺し、またホテルに戻る時間なんて無かったし、そうする動機も無い」

「や、動機とかマヂどーでもいいんで……どんな言い訳であれ、人が人を殺す理由になんの価値も見出せないし、重要なのは実際にれるだけの犯罪計画プラン犯行時間チャンスがその人にあったかどうかです」


 心底興味なさそうに言い切る少女のその細い首筋に両の指を喰い込ませ、今すぐへし折ってやりたい衝動に駆られた。


〈私のあの男に対する怒りが無価値だと!?〉


 私がいったいどれだけあの〝一族の鼻つまみ者〟の尻拭いをしてきたか分かっているのだろうか? 私は会社を、一族を受け継ぐ責任ある者として、病巣を切除したに過ぎない。それを事もあろうに、無価値などとロクに世間を知らないような小娘に言われる筋合いわ無い。

 ドス黒い感情が煮え滾る血潮とともに昇っていく私の顔を見上げたまま探偵は動じること無く自分の推理を続けた。


「確かに往復一時間かかる犯行は無理でも、片道なら十分可能だとは思いませんか?」

「「「え?」」」

「容疑者のアリバイにばかり目が行きがちですけど、被害者だって生きているうちはアリバイを証明する必要があります。それによると昨夜の九時二十分頃、騒ぎを起こして会場を出たところまではパーティーの出席者全員が目撃していますが、その後の足取りは部屋で酔いを冷ましていたとする本人のLINEメッセージのみで、ぶっちゃけかなり嘘くさい」

「確かにそうかもね。私も諸仁さんが大人しく部屋に居るなんてちょっと疑っちゃったし……」

「もし被害者が嘘の証言をしているとしたら、そこには何かしら後ろめたい理由があるはずです」


 そこで一旦区切り、再び私を見上げる探偵。

 その両目はまるで説明がかったるいから早く自白しろと催促しているかのようだ。

 私が何も言わずにいると、探偵は深い溜め息と一緒に推理の続きを吐き出す。


「……そう、例えば酔ったまま自慢の車で峠を攻めたりとかね。これなら被害者と一緒に、あるいはホテルの駐車場で被害者を殺してから中澤峠に行く必要はなく、犯行時間は片道分で済みます」

「あの馬鹿者め……」


 清志会長の苦虫を噛み潰したような物悲しい呟きが、この場に居る全員に思い当たるフシがある事を証明していた。


「道路交通法第六十五条第一項『何人も酒気を帯びて車両等を運転してはならない』――。警察我々に見つかれば免許取り消しはもちろん、事故でも起こせば懲役だってありえる。それが子満堂こまんどうの創業者一族ともなれば、社会的なバッシングは免れないだろうな」


 日野刑事の補足説明を聞きながら私は腹の底から溶岩のように怒りがこみ上げてくるのを覚えた。


「まさか牧人、あなたそれで諸仁と口論になって……?」

「馬鹿言わないで下さい、姉さん。今のはそのの妄想に過ぎない。諸仁がパーティーを抜け出して中澤峠に行ったっていう証拠は何も無い……そうだキミ!」

「――え!? はっ、ハイ!」


 宴会場の隅の方で所在なげに立っていた女性店員――柊木花咲里に声をかけると弾かれたように背筋を伸ばした。

 

「そのエプロン、キミはあの中澤峠の道の駅で働いているんだろ? 昨日の九時過ぎから十時半の間、キミは駐車場に停まっている弟の赤い車を見たのかね?」

「い、いえ……! 昨日の十時過ぎに店を出た時は駐車場に何台か車が停まっていましたけど、その中に赤い車はありませんでした」

「ちなみに駐車場が暗くてよく見えなかったという可能性は?」


 私はあえて自分が不利になるかもしれない質問をしたが、予想通り女性店員は首を横に振った。


「昨日の夜はまだ雪も降っていなかったですし、最近取り替えたLEDの照明のおかげで夜でも明るいですから、見逃すことはないと思います」

「――そうだ! 昨日の夜、牧人さんが会場にやってきた時、諸仁さんはホテルに居たはずよ?」


 女性店員の証言で上野美子うえのみこが記憶を蘇らせてくれたことに、私は内心胸を撫で下ろしていた。私が言っても良かったのだが、は他の誰かが証明してくれた方が良い。


「それは確かですか?」


 推理の前提が崩れたことで焦っているのか、探偵はオウム返しに訊ねるが美子の証言は変わらない。


「ええ。あの時、喧嘩の一件を喜也さんから聞いた牧人さんが怒って諸仁さんを探そうとしてたから私、そこの窓から彼の車があるか確認したの」

「そうだ! 僕もあの時、見たよ! こう言っちゃなんだけど、僕も諸仁君が部屋で大人しくしているとは思えなかったからね。真っ先に確かめたよ」


 神宮部喜也に続いて、多恵や執事の天庭も次々に手を挙げる。それぞれタイミングは違えど、関係者全員が駐車場に停まっている赤いスポーツカーを目撃していたことに私は安堵した。逆に余裕が無くなったであろう探偵の悔しがる顔でも見てやろうと視線を下げると、何故かその姿が無い。


「じゃ、あとは手はず通りに……」

「オッケー♪ 任して!」

「探偵さんもしばらく一人だけど、頑張ってね?」

「うっさい、早くアッチ行け――」


 慌てて周囲を探すと、宴会場の隅の方で例のスキー客と何やら話し込んでいた。


「おいキミ! 大事な話の最中だぞ?!」


 私が声を荒げても少女は全く悪びれる様子もなく戻ってきた。

 普段の私ならば若者の無礼に憤るところだったが、今は探偵と別れた二人の行動が気になる。


〈アレはまさか……!?〉


 特に女の方が昨日のパーティーで使われたクリスマス飾りやツリーがまとめて置いてある一角を何かを探しているのを見て言いようのない不安に駆られた。

 そんな私の焦りを知ってか知らずか、少女は惚けた表情で首を傾げる。


「え〜っと、どこまで話しましたっけ?」

「私も他の皆さんもパーティーの最中にここの窓から諸仁さんの赤い車が下の駐車場に停まってるのを見たわ」


 上野が半ば呆れながら答えると探偵はわざとらしく拳で手の平を打った。


「ぁぁあ、そそ……じゃ訊きますけど、上野さんは被害者の車のナンバーを覚えてますか?」

「いいえ、買ったばっかりの車って言ってたし、乗せてもらったのは昨日が初めてだったから……」

「ンじゃ、車種は?」

「ごめんなさい……さっきも言ったけど、私、免許も持ってないから車とか全然詳しくなくて……」


 上野が力無く首を横に振ると、探偵は他の関係者に視線を移した。


「この中で誰か被害者の車のナンバーや車種を覚えている人は居ませんか?」


 探偵の質問に対して誰もが難しい顔をしたり、力なく首を振ったりする。日野刑事すら必死に警察手帳をめくっている始末だ。


「じゃあどうして遠目に見ただけで被害者の車だと分かったんですか?」

「あんな派手な色の車、他に停まってなかったもの。彼のに間違いないわ」


 それまでの自信なさげな態度とは打って変わり、上野美子は探偵の目を真っ直ぐ見て請け合った。しかし探偵はまだ納得のいってないような顔で質問を重ねる。


「赤い車?」

「ええ」

「本当に?」

「いい加減しつこいぞ、キミ! 昨日の晩、確かに真っ赤なスポーツカーが下の駐車場に停まっているのをここに居る全員がこの目で見ているんだ。遠くて車種やナンバープレートまでは見えなかったけど、それがどうしたっ? このホテルの客であんな真っ赤な車を恥ずかしげもなく乗り回しているのは弟の諸仁だけだ!」


 子どもじみた質問攻めに耐えきれなり、私は声を荒げると少女は慇懃いんぎんな態度でベレー帽の位置を直した。


「スイマセン、小学生の時から疑り深いのが私の悪い癖……ただ、皆さんが目撃したのが間違いなくだったのか、確認したかったんです」

「それなら牧人の言うとおり、ここに居る全員が目撃しておるよ。のう?」

「はい、旦那様」


 清志の言葉に関係者全員が頷くのを見て、探偵の少女は鮮やかな笑みを浮かべた。


「へぇ〜? これでもデスか?」


 不敵な笑みを浮かべたまま少女が小気味よく指を鳴らすと突然、部屋が真っ暗になり僅かに遅れて橙白色の淡い光が灯った。


「これは……?」

「このホテルで使われてるクリスマスイルミネーションだよ」


 細長いテープ状の電飾を手にしたポニーテールの少女が悪戯っぽく舌を出す。だがその舌は赤ではなく黒に近い。同様に鮮やかな真紅のドレスを身にまとっていたはずの多恵も今はくすんだ暗褐色の冴えない服を着ているように見える。


「トンネルの照明と同じです。色温度一五〇〇〜二一〇〇ケルビンのオレンジ色の光は降雪時やトンネル内に充満した排気ガスの中でも視認性が確保できる反面、色の判別ができなくなるという欠点があります」


 徐々に暗さに目が慣れてきたものの、探偵が着ているスキーウェアのチェック柄が最早何色だったのか判別がつかない。


「最近では自然光により近い五〇〇〇ケルビン以上の白色LEDランプにとって替わられているところもあるみたいですが、北海道のような雪国ではあえてオレンジ色のライトを使うケースが多いようです。実際、このホテルの駐車場に使用されているのもトンネル内と同じ低圧ナトリウムランプでした。そして極めつけはこのオレンジ色のイルミネーション。これが天蓋てんがいのように駐車場を覆っているせいで、昨夜の駐車場は極めて色の判別がつ来にくい状態にあったと言えます」

「だが、ワシらはしかと両のまなこで諸仁の赤い車を見た。この禅問答、如何に解く?」

「それもこのクリスマスイルミネーションが解決してくれます」


 探偵は得意げに指を鳴らそうとするが……。


「あ、あれ……?」


 しかしいくら指をこすっても気の抜けた擦過音しか聞こえず、少女は慌てた。


「ちょ、待っ――! どーしよっ? 鳴らない……このっ!」

「た、探偵サン! ほ、ほら〜? 点いたよ〜!」


 見かねたポニーテールの娘が合図を待たずにスイッチを切り替えると、今度は真っ赤な光が探偵の顔を照らし出した。それだけではない、雪のように白かったはずの上野美子のドレスが鮮やかな真紅の天鵞絨に変わっていた。


「LEDって便利ですよね、こんな小さいのにコレ一つあれば、色んな色の光が出せるんですから。昔は電球に色セロハン貼ったりとかしてたのに……」

「探偵サン、ホントにJK?」


 助手の娘が呆れ顔で探偵を見つめる中、会長が片眉を上げた。


「まさか、儂らが見ていたのはまやかしじゃったのか……!?」

「ええ、真犯人はホテルの駐車場に停まっているそれらしい見た目の白、あるいは薄いグレーかシルバーの車の周囲とルーフ、それにボンネットに雪で土台を作り、そこにイルミネーションから拝借したLED《コイツ》を埋め込んでライトアップしてみせたんです。こんな風にね……」


 今度こそ綺麗に指を鳴らすと、宴会場のカーテンが開ききらびやかなイルミネーションが目に飛び込んでくる。


「――これは!? 赤い車がこんなに沢山、いつの間に……?」


 オレンジ色のイルミネーションに照らされたホテルの駐車場に何台もの赤い車が並んでいた。その近くには先程の背の高いスキーヤーが立っており、探偵が合図を送ると赤い車が一斉に消え、橙白色の世界に戻る。


「なるほど、諸仁の車がオレンジよりも彩度が高い赤だったからできた光のトリックというわけね」

「ええ、他の色では光の三原色に従って色味が変わってしまいますから」

「光に惑わされて、耄碌もうろくするとはなんたる不覚!」

「ンまぁ、自分の駐車位置を忘れるなんて、よくあることですし? 他人の、しかもこれだけ高級車が並んでいる駐車場で一台だけ派手な色を見つけたら、決めつけてしまう気持ちは分からなくもありません。ホラ、有名なクリスマスソングにもあるじゃないデスか。暗い夜道ではピカピカの赤いのが目立つとかなんとか……」


 まるで自分は違うとでも言うかのように気の無いフォローをしつつ、少女はスマホで下の男に戻ってくるようメッセージを送っていた。


「時刻は既に深夜。わざわざ駐車場に人がやって来る可能性は低い。ンまぁ、仮に居たとしても浮かれたパリピが車を光らせてるだけと思ったかもしれません」

「あーたまに居るね、やたら車をピカピカ光らせてるチャラそうな人たち」

「あとはパーティーが終わってからこっそりホテルを抜け出し、イルミネーションを片付ければ証拠は無くなります。あぁ、そう言えば牧人さんは昨夜、ホテルのプライベートゲレンデでナイトスキーをしてたんでしたっけ?」


 スマホのバックライトに下から照らされた探偵の白々しい表情を見て、私は怒りで頭がおかしくなりそうだった。だがここでムキになればこの少女の思うツボだ。


〈こんな小娘や諸仁のような若造に私がこれまで積み上げてきたキャリアを潰されてなるものか!〉


 私は努めて冷静に皆の顔を見回して見て訴える。


「待ってくれ! 今のはみんなが車を見間違えたかもしれないってだけだろ? その娘の言うとおり、どっかの馬鹿が自分の車をライトアップしてただけで、諸仁のスポーツカーはちゃんと停まっていたかもしれない。それに店員の彼女が十時過ぎの時点では赤いスポーツカーは見ていないって言ってるんだよ! それともキミ、中澤峠の駐車場でもオレンジ色の照明が使われていたって言うのかっ?」

「い、いえ! ウチは白いLEDのランプですッ!!」


 私の質問に店員はどこか怯えたように答えた。それどころか他の人間も暗がりの中、幽霊でも見ているかのように、引きった表情で私を見ている。


「牧人、おヌシ……」

「違う! 俺はってない!!」


 私は声を張り上げて訴えた。

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