この世の闇路を照らしたもう①

十二月二十五日 午後五時十五分



 予想外の展開に少々面食らいつつも、アリアと呼ばれた探偵はわざとらしく咳払いするとベレー帽を被り直した。


「まず最初に言ったとおり、この事件は車上荒らしや物盗りの犯行ではありません」

「いったい何を根拠にそんなことが言えるんだ?」

「根拠は被害者の車のトランクにあったこの腕時計です」

「…何かと思えば、安物の時計じゃない。それが何だっていうのよ?」


 探偵が取り出した腕時計を一瞥した後、つまらなそうに吐き捨てたのは神宮部多恵じんぐうべたえだ。被害者の車に劣らず、派手な真紅のドレスをまとい、全身合わせて五〇カラットは下らない宝飾品を身に付けている。

 この女からすれば確かに見る価値も無い安物かもしれないが、しかし私は内心歯噛みした。


〈あの男、やっぱり車のトランクに物を入れていたのか……〉


 あの手のスポーツカーのトランクがフロント側にあると気付いた時には手遅れだった。既に偽装工作を施した後で、文字通り手の出しようがなかったのだ。

 恐れていたとおり、探偵の少女は〝私〟の脇の甘い部分へと論理の刃を突き立ててくる。


「二万円は下らない国産メーカーの時計を安物と言えるかはこの際置いといて、この時計の文字盤は修復リダインされたもので、本物のダイヤモンドが三個も埋め込まれています。金品目的の犯人ならこれを見逃すハズがない。もっと言えば、被害者の車そのものがゼロが七つは付く高級車です。ロシアの闇市場やパーツ取りでも十分稼げるはず。私が犯人なら車ごと盗んで、死体の方を処分しますね」

「免許を持ってなかったのかもしれない」


 〝私〟の苦し紛れの反駁はんばくに対しても少女は動じること無く、一つ一つ論理的に淡々とも言える口調で説明する。


「現場はこの時期雪に閉ざされて周囲十数キロには雪と氷以外何も無い山の中ですよ? 少なくとも犯人は免許と車を持っていて、自由に移動できる人物のはずです。ンまぁ、犯人がマイナス十五度の極寒の中を二〇キロ近く雪中行軍したり、犯行後にウーバーアプリからタクシーを呼んだりしたのであれば別ですが」


 冗談交じりに肩をすくめる探偵の推理を初めは胡散臭そうにしていた大人たちもいつの間にか真剣に耳を傾けていた。


〈この少女は只者ではない――〉


 感情論を一切排して、ただひたすら合理的に組み上げられていく論理の檻を皆と同じように感心して眺めるために〝私〟は多大な労力を強いられていた。

 少女が口を開くたびに吸気と一緒に唾を呑み、軽く腕を振るたびに心臓の鼓動が跳ね上がり、今にも口から飛び出してしまいそうだ。異常に喉が渇き、今すぐにブランデーをあおりたい衝動に駆られる。


「じゃあ犯人は我が不肖のせがれに個人的な恨みがあったということか?」

「ええ、ですがこの際、動機は問題じゃありません。今回の事件は衝動的な犯行で、アリバイトリックも極めて杜撰ずさんと言えます。半日も犯人が捕まらずにいたのは、ひとえにとクリスマスの幸運によるものです」

「そこまで言うからには犯人が誰か分かって言ってるのか?」


 声を荒げそうになるのをグッと奥歯を噛んで堪える。エナメル質と金歯が擦れる不快な音が脳髄を内側から削り、ますます私を苛立たせた。

 一方、探偵の少女は〝私〟の問いに対して『何を当たり前のことを言っているんだ』とばかりに小首をかしげた。


「はぁ……まぁ、それはもちろん。何のために皆さんに集まってもらったと思ってるんです? この中に真犯人が居るからですよ?」


 全てを見透かすかのような深い色を湛えた瞳に〝私〟はその時初めて寒気を覚えた。それは正義の炎を宿す刑事の眼光とも、好奇心に光る探偵の瞳とも違っていた。

 この少女は自分の推理が外れるなんてこれっぽっちも思っていない。むしろ、最初から分かりきった予定調和の幕間でも見ているような諦観と倦怠感が見て取れた。


 〝私〟がおもわず視線を逸らすと神宮部喜也じんぐうべよしやが異を唱えた。


「この中に真犯人なんて居るわけない。この雪道じゃ中澤峠なかざわとうげまではどんなに車を飛ばしても往復一時間近くかかる。パーティーの最中も後もそんな長時間アリバイが無い人物は居ないはずだ!」


 思わぬ援護射撃だったが、おかげでいくらか気を持ち直す。


〈そうだ、心配いらない。物盗りの犯行に見せかけたのはついでであって、本当の〝迷彩トリック〟は別にある! 〝私〟のアリバイは一秒だって揺らいでいない――〉


 だが、心の中にはどうしても消えない焦燥が暖炉の残り火のように燻っていた。


「確かに……パーティーに参加してから死体発見時に至るまでの皆さんのアリバイは完璧です。でも、パーティーに参加する前はどうです?」

「「「――は?」」」


 全員が狐に抓まれているような顔をしている中、探偵の少女は黒い革表紙のノートを開いてめくり始めた。


芳名帳コレにはいつ誰が会場入りしたのか、細かく書かれています。ホテルの宿帳で裏付けは取りましたので十分信頼のおける情報です。これによれば九時開始のパーティーと言っても、招待客の入り時間はバラバラで、中には十時半と大遅刻の人も居ますね……ねぇ、神宮部牧人じんぐうべまきとさん?」


 そう言って彼女はあのコーヒー色の瞳で〝私〟を見つめた。

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