真相編
諸人こぞりて
十二月二十五日 午後五時
ホテル・エクセルシス・デオの宴会場に事件の関係者が一同に集められていた。彼らを呼び出したのは捜査の陣頭指揮を執る日野刑事だ。
『捜査に進展があったため、その報告』と聞いているが〝私〟は内心焦っていた。
何故なら、この場にいるのは神宮部一族の身内の人間ばかりだからだ。
食器やテーブルが片付けられただだっ広い会場内には数名の男女が散り散りに立ったまま所在無げにしており、それがかえって閉塞感を生んでいた。出入り口を見張るように立っている制服警官の姿がその思いを一層駆り立てる。
〈遺族にだけ説明するつもりだろうか?〉
しかしそうすると、道の駅のエプロンを着けた女性店員まで呼ばれていることの説明がつかない。
〈確か名前は
運悪く……否、幸運にもあの男の死体を発見してくれた第一発見者。
〝私〟がこの手で殺してやったあの男――
〈――だから踏み潰してやった〉
神宮部という巨大な城が内部から食い荒らされ、腐り堕ちないように邪魔な白蟻を退治してやったのだ。
およそ二千年前、中東の小国を支配していた王は救世主降誕の噂を聞きつけ、自分の地位を脅かし兼ねないその男を消すために国中の二歳以下の男児を皆殺しにした。それに比べれば〝私〟がやったことなど些細な害虫駆除に過ぎない。
無意識の内に強く握り込んでいた右手をそっと開いた。血の気が引いた真っ白な手には頭蓋を砕き、脳漿を潰した感覚がこびり付いている。
一撃で済むと思っていたが、虫ケラらしくあの男はしぶとく生きていて、信じられないという目をしていた。〝私〟はその瞳が何も映さなくなるまで何度も何度も凶器を振り下ろし、あの男の頭を撲り続けたのだが、正直どれくらいそうしていたのかよく覚えいていない。
五分か、十分か、あるいはほんの十数秒の出来事だったのか……。気付いた時には車内は鮮血と脳漿にまみれ、あの男の死体が潰された虫のように床に倒れていたのは今も脳裏に焼き付いている。
〈だが、殺人は殺人だ〉
いくら虫ケラを一匹駆除しただけとはいえ、警察の捜査が入れば法の下に裁かれてしまう。あの男のために〝私〟の人生が狂わされることがあってはならない。
冷静になった〝私〟はあの男の血まみれのジャケットを脱がし、殺人の痕跡を拭い、物盗りの犯行に見えるよう財布や時計を凶器と一緒に処分した。しかしそれだけでは完璧とは言えない。〝私〟には明確な
〈……私のアリバイは完璧だ。この店員がそれを証明してくれた〉
そう自分に言い聞かせながら気持ちを落ち着かせていると、不意に宴会場のドアが開いた。
「お待たせしました、皆さん」
大股で宴会場に入ってきたのは日野と名乗った殺人課の刑事だ。『捜査が進展した』という割には渋い顔をしている。おかげで〝私〟の焦燥感はすっかり消えていた。
〈あの刑事は何も分かっていない。〝私〟が仕掛けたトリックは完璧だ〉
〝私〟は口元が緩むのを堪えながら、事の成り行きを見守ることにした。
「刑事さん、諸仁を殺した犯人は捕まったんですか?」
「どうせ浮浪者か何かだろ? 高価なスポーツカーに目をつけて品を奪おうとし時に勢い余って殺してしまったんだ」
「それよりいつになったらこのホテルから出られるんだ!? 仕事だってあるのに……」
「警察のマスコミ対応はどうなってる!? ハイエナ共がもう実名で被害者の名前を連呼してるぞ!」
「それが、その……」
銃火の如くバッシングを浴びせられ、流石の日野刑事もたじろいでいると意外な所から答えが返ってきた。
「これは単純な車上荒らしや物盗りの犯行じゃありません。れっきとした殺人事件です」
その場に居た全員が視線を下に向けると、そこにはニットのベレー帽を目深に被り、チェック柄のスキーウェアを来た女の子が立っていた。彼女だけじゃない、日野刑事の後ろには他にも一般のスキー客と思しき背の高い男女が控えている。
「刑事さん、この
「それが説明すると長くなるのですが、なんと言いますか……今回の事件の情報提供者と言いますか……」
「情報提供者だなんて失礼な! 今回の事件の謎を解いた現役の
「――ちょ、余計なことは言わんでいいし! メンドくさいから情報提供ってことにして、日野刑事に犯人を捕まえてもらうつもりなんだから!」
「え〜なんで? せっかくこうして事件の関係者が集まってるんだからさー、探偵サンの名推理をバキッと披露して真相編といこうよ!」
「ヤダ、人前コワイ、オウチ帰ル――」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて……」
「いい加減にしたまえ!!」
子どもの茶番を見せられ、関係者の怒りの矛先はますます鋭く尖り日野刑事に向けられる。
「刑事さん、ふざけている場合ですか!? そんな暇があったら、検問を引くなり、山狩りをするなりして、一刻も早く諸仁を殺した犯人を捕まえたらどうです!」
「そうよ! 私達がここに留まってるのは、捜査に協力するためであって、こんな茶番に付き合うためじゃないわ!」
「君、日野君と言ったね? 私は警察庁の友人も多い。これ以上、捜査に進展が見られないようなら、彼らに相談をした方がよさそうだね」
「け、警察としても現在、被疑者確保に向けて全力を傾けている最中でして……これはその一環と言うか……猫の手よりは女子高生の手の方がマシかな、なんて……あははは……」
「うぁ、サイアク。それ、全然フォローになってないし……」
まるで沸騰寸前の鍋のように全員がそれぞれ好き勝手に喚き立て、ボルテージが上がっていく中、老紳士の静かな怒りが爆発した。
「皆、静かにせんか……!」
決して大きな声ではないが、腹に響くようなバリトンボイスが会場の喧騒を一気に押し流す。
「この老いぼれを差し置いて諸仁が逝きおったばかりだというのに、皆で静かに悼むこともできぬのか?」
「でも、父さん――」
「くどいぞ、牧人」
執事の
神宮部清志の表情は堅く、無数のシワが刻まれた顔は長年雨風に晒され続けた岩壁のようだ。落ち窪んだ眼窩には未だ黒々とした瞳がタールのように光っている。その一睨みで従業員二千人の家族の生活を左右し、海千山千の政財界を渡り歩いてきた年商二〇〇億の子満堂会長。
そんな老獪に値踏みされれば誰だって萎縮してしまう。まだ年端もいかない少女ならば尚更だ。
僅かばかりの哀れみをもって少女に目を向けたが、しかし彼女は俯いてなどいなかった。
伏し目がちではあるが、深煎りの珈琲のような色を湛えた瞳で見つめ、その表情は自信に満ちている。というよりもまるで何かを確信しているようだ。
――〝名探偵〟が事件に巻き込まれて推理したんだから間違うわけがない!
不意に胸騒ぎを覚え、〝私〟は少女から視線を外した。
「……この娘はワシが雇った探偵じゃ」
長い沈黙の後、清志会長はそう宣言した。
周りは多少ザワついたものの、最早誰も異を唱えようとする者は居ない。
「財界の友人から聞き及んでいたのじゃよ。世間には伏せられておるが、最近市内で起きた殺人事件のいくつかは彼女の協力によって解決したと……のう、刑事さん?」
「え? ええ……まぁ……」
「日本の警察が優秀なのは十分理解しておるが、つい身内可愛さに出過ぎた真似をしてしもうた。このとおり、許してくれ」
「い、いえ、滅相もない! お気になさらないでください!」
その話が真実であれ嘘であれ、会長が白と言えば白くなる。それはこの場に居る全員が理解していた。もっとも当の本人は分かっていなかったようで、どこか戸惑った表情で背の高い男のスキー客の方を心配そうに見上げている。
「さて、場は整った。推理とやらを聞かせてもらおうかの〝名探偵〟?」
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