聖夜のアリバイ

十二月二十五日 午後三時



 トンネルを抜けると、そこには異国の風景が広がっていた。


「うわ、すごっ! 見てよ、お城だよ、お城!」


 雪と氷以外何もない銀世界に突然、朱色の城塞が現れ、彩夢が興奮気味に指を指す。

 紫禁城とパルテノン神殿を無理やり融合させたようなファサードにはクリスマスイルミネーションが煌めき、五重塔を模した十二階建てのタワービルディングの正面には巨大なクリスマスツリーがそびえていた。

 昨今、中国企業が周辺の土地を爆買いして富裕層向けのリゾート開発を進めていることは創介も知っていたが、実際に目にしたのはこれが初めてだ。もはや異国というよりも異界に迷い込んでしまったような気分になりながら、創介は道路脇の豪奢な銘板に目を向ける。


「ホテル・エクセルシス・デオ……ここが昨日、被害者が泊まっていたホテルか」


 日野刑事に時間切れを言い渡され、野良犬のように追い払われたアリア達は再びスズキの軽自動車で被害者の足取りを追っていた。


「一一一二号室ってことは、十一階のスイート……一泊三十万円からだってよ?!」

「天下の神宮部グループのクリパならそのぐらいするでしょうね」


 事件当夜、このホテルの最上階の大広間では神宮部一族が取引先の重役、政財界の重鎮を招いてクリスマスパーティーが行われていたという。午後九時から日付が変わる午前零時まで行われたパーティーには被害者を始め、神宮部一族も全員出席していたというのが日野刑事から無理やり聞き出した情報だった。


 まず、パーティーの主催者でグループ会長の神宮部清志じんぐうべきよし

 会長の長女の神宮部多恵じんぐうべたえ

 多恵の婿養子で専務の神宮部喜也じんぐうべよしや

 会長の長男で社長の神宮部牧人じんぐうべまきと

 被害者の恋人で看護師の上野美子うえのみこ

 会長の秘書の天庭栄次郎あめにわえいじろう


「う〜ん、被害者と関係ありそうなのはこの六人くらいかな?」


 彩夢が日野刑事の手帳をこっそり撮った写真を読み上げる。

 そもそも被害者の神宮部諸仁じんぐうべもろひとは会長の後妻の子どもで、典型的な二代目ボンボンの遊び人として有名だったようだ。一応、役員名簿に名前はあるものの実質的な権限は何一つ与えられておらず、取引先や政財界と利害関係が発生するとは考えにくい。


「ンまぁ、殺人の動機なんて、案外些細なキッカケで生まれることもありますケドね……」


 とはいえ、大企業や政財界でそれなりの地位に上り詰めた人間が些細なことで、直接人を殺すリスクを負うとも思えない。今回に限っては、実行に移すだけの殺意動機手段チャンスを持っていそうなのは、彩夢の言うとおりこの六人の中の誰かだろう。


「なんか二人とも警察の説を完全否定している感じだけど、本当に車上荒らしの犯行じゃないの?」

「何言ってるの、兄サン? 探偵サンが珍しくやる気出してるんだから、これはそんな簡単な事件じゃないよ! きっと神宮部グループの莫大な財産を独り占めしようとした誰かが一族の鼻つまみ者を消したことで、愛憎渦巻く骨肉の後継者争いが幕を開けちゃったんじゃないかな!題して〝赤鼻のトナカイ連続殺人事件〜鮮血とイルミネーションに彩られたアリバイトリック!生き別れの親子の十年ぶりの再会!母の涙に羊ヶ岳の万年雪が溶けるー〟!!」

「ヤ、勝手に死体増やすなよ……」


 彩夢の妄想二時間ドラマはともかく、この事件が行きずりの車上荒らしの犯行ではないことは確かだった。


「根拠ならあります。現場は市街地から離れた道の駅で、しかも犯行時刻は閉店時間を回った夜遅く」


 閑散とした駐車場には長距離ドライブの休憩に立ち寄ったトラックやバスなど、数台の車しか止まっていなかったハズだ。


「果たしてそんな場所をわざわざ狙う車上荒らしなんて、本当に存在するのでしょうか?」

「用心深い犯人で、なるべくひと目につかない場所ポイントにじっと潜んで大物がかかるのを待ってたとか?」


 その時間を使ってサンタの格好でピザでも配っていた方がナンボかお金になる気もするが、創介の反ばくに大人しく付き合う。


「確かに、初犯でチキンハートの人間ならありえなくもないですが……それなら尚更、現場にこんなモノを置いていく理由が考えられません」


 そう言ってアリアは自分がしている物とは別の腕時計を手に取って見せた。


「これはトランクにあったスキーウェアのポケットに入っていた物です」

「おいおい! 勝手に遺留品持ってきちゃダメだよ」

「……だってあの熱血刑事バカ、最後まで人の話聞かないんだもん」


 バツが悪そうにそっぽを向くアリアを見て、創介は彼女が終始何か言いたそうだったのを思い出した。

 自分たちと居るとつい忘れがちだが、本来この天才少女は人とのコミュニケーションが致命的に下手だ。


〈だから橋渡し役の助手ジブンが居るのに、ダメだな〉


 創介が反省していると腕時計を眺めていた彩夢が不思議そうに首をかしげた。


「でも意外だね。セレブならもっと高い時計してるかと思ったけど」


 彩夢の言うとおり、被害者の時計は国内メーカーのエントリーモデルで、価格はせいぜい二万円前後といったところだ。


「確かに一見パッとしない時計ですが、文字盤のトコをよく見てください」


 アリアに時計を手渡された彩夢は傾き始めた日差しにかざすように持ち上げた。

 文字盤もシンプルなデザインで、カレンダーやクロノグラフなどの付属機能は付いておらず、三本の針と時刻を示す石づきが埋め込まれているだけだ。ただし十二時と二時、四時を示す部分だけは真鍮ではなく宝石が嵌っていた。


「これってもしかしてダイヤ!? お父さんの結婚指輪に付いてるのより大きい! それが三つも!?」

「ええ、テーパーバゲットとはいえ本物のダイヤです。しかもベルトは本物のラクダ革!」

「……確かに、ジャケットまで盗んでいった犯人が見逃すには惜しい品だね」


 宝飾品の話に盛り上がる後部座席に創介は苦笑いを浮かべた。


「文字通り身ぐるみ剥いでいった犯人がトランクには一切手を付けなかったのはいかにも片手落ちで不自然。つまりジャケットやスマホを盗んだのは犯人の痕跡を消すのが目的で、物盗りの犯行に偽装したのはついででしょう」 

「それじゃあ刑事サン達が必死に追ってる盗品は?」

「この九十九万ヘクタールの雪山のどっかに埋まってるでしょうね。運が良ければ来年の五月頃には見つかるかも?」


 小馬鹿にしたように呟きながら、アリアは犯人の行動を振り返った。

 人を殺してしまったその人物は相当慌てていたのだろう。とにかく自分の犯罪の証拠に繋がりそうなものを車内からかき集め、少しでも発見が遅れるように死体を運転席に座らせた。

 ここから浮かび上がる事実は今回の殺人事件は計画的な犯行ではなく、衝動的な過失殺人――。

 しかし例の六人を容疑者とするには一つの難題が立ちはだかっていた。


「だいたい二〇分ってところかな?」


 イルミネーションで飾られた並木道が続く駐車場に着いたところで、創介が腕時計のストップウォッチを止めた。

 このホテルから現場の中澤峠まで往復で四十分はかかることになる。人を殺して偽装工作をするのに、どんなに早くても十五分。しかも昨夜パーティーが終わった午前零時頃、被害者の赤いスポーツカーがホテルの駐車場に泊まっているのを会場から何人も目撃している。

 つまり犯行時刻は早くても午前零時半から死亡推定時刻の下限である午前三時までの間に狭められたのだが、かえって謎はが深まる結果となった。

 関係者の中でその時間、一時間近くアリバイの無い人物が居ないのだ。


「まず長女の多恵さんとその旦那さんは夜中の一時頃までホテルのバーで二次会に参加していたみたいだ。その後は二人で一一三〇号室に居たと証言している」


 創介がコミュ障のアリアの代わりに日野刑事や警察関係者から聞き出した情報を整理する。


「でも兄サン、夫婦なら共犯か、どちらかがもう片方を庇っているとか考えられない?」

「一時二十五分と二時十分、それに三時に内線でワインやチーズ、ブランデーのルームサービスを頼んでて、部屋に入ったボーイが二人の姿を目撃しているみたいだよ。ちょっと飲み過ぎだね……」

「長男の方はどうですか?」

「コッチは少し曖昧かもしれない。パーティーが終わった後、一度自室の一一〇三号室に戻った後は、朝の四時くらいまで何人かとプライベートゲレンデでナイトスキーをしていたみたいだ。パーティーの後、被害者のことも誘ったみたいだけど、断られたと言ってる」

「フム……」

 

 確かに創介の言うとおり、つきっきりで誰かと一緒だったわけでは無さそうだが、それでも雪山で一時間近く姿をくらませれば、下手したら遭難騒ぎになるかもしれない。人を殺した人間がわざわざ警察を呼ぶような真似をするだろうか?


「被害者の恋人のアリバイは?」

「一時半くらいまで二次会に参加して、その後は部屋に戻ったらしい」

「被害者と同じ一一一二号室ですか?」

「それが隣の一一一一号室。一応、婚約前だからって、会長が別々の部屋にしたみたいだね」

「じゃあ、アリバイを証明する人は居ないんですね?」

「一応、夜中に何度か被害者や友達とLINEしてるみたいだけど、アリバイとしては弱いね。ただ二時頃、内線で秘書の天庭さんに呼び出されて、会長が泊まっている一一〇九号室に一時間ほど居たみたいだ」

「わ、わっ! 何かオトナのサスペンスとロマンスの匂ひ♪」


 おもわず興奮して身を乗り出す彩夢を制して引き戻し、アリアは続きを促した。


「どうやら会長は心臓があまり芳しくないみたいだね。とはいえ、大企業の会長職ともなれば健康問題はそれだけで内紛の種になるし、それで息子の恋人で看護師でもある上野さんに内々に健康状態を診てもらっているみたいだね」

「ちぇ〜、つまんないの……」

〈いったい何を期待しているんだ、この耳年増は!?〉


 アリアが呆れていると創介が説明を続けた。


「その秘書は一時半まで会長と一緒に出席者の挨拶回りをして、その後は会長を部屋に送って上野さんの手配をしたり、ホテルのオーナーと翌日の朝食や送迎に関する打ち合わせをしたりして、自室の九〇八号室に戻った時は夜中の三時を回っていたようだね」

「……なるほど、確かに全員、それなりにアリバイがあるみたいですね」


 だが、この六人のうち、少なくとも一人は悪魔の如き知恵で聖夜のアリバイを手に入れたのだ。

 その方法を考えながら、アリアは暖かい車内から寒風が吹きすさぶ車外へと出た。

 駐車場をぐるりと囲む常緑樹の垣根をカンバスにイルミネーションで形作られたトナカイやサンタクロースのシルエットが踊っている。ロータリー状になった駐車場の真ん中には三階建のビルに相当する巨大なクリスマスツリーがそびえている。色とりどりのオーナメントや電球色のLEDランプでデコレーションされた巨木を支えるのは四隅に立つナトリウム灯から伸びたワイヤーで、そこにもLEDランプが絡みついているため、まるで光の天蓋に覆われているようだ。

 一面の銀世界をオレンジ色のイルミネーションが幻想的に照らし出す中、空には鉛色の雲が重たく垂れ込んでいる。


〈ホワイトクリスマスか……〉


 音もなく降り始めた真っ白な結晶が血塗られた惨劇とどす黒い悪意すら覆い隠してしまいそうだ。寒気を覚えたアリアは両手にそっと息を吹きかけた。

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