捜査編

AR捜査

十二月二十五日 午後二時



「いいかお前達、見るだけだぞ? 大事な証拠品に指一本でも触れてみろ? 三人とも公務執行妨害ですぐにしょっぴくからな!」


 日野刑事はこれ見よがしに腕時計を確認しながら念押しした。

 封鎖線は三〇メートルほど広がり、捜査関係者は十分間の休憩中のため、現場に居るのは四人だけだ。静かになったところでアリアは件のスポーツカーに近寄った。

 二つあるドアとトランクは開いており、運び出された死体の代わりに白いテープで縁取られた人型が運転席に貼られている。上等なスエード生地を使ったシートには赤黒く変色した血痕や手の跡が生々しく残っており、ドアの外にまで置かれたマーカーが凄惨な事件現場の状況を物語っていた。

 もっとよく中を見ようと腰を屈めた瞬間、雪で足を滑らせ体が傾く――。


「ひゃ!?」

「――おっと! 大丈夫?」


 間一髪、創介が後ろから抱き止めたおかげでアリアは転ばずに済んだ。


「もぉ、なに? 今日はなんか転んでばっかりの運命な気がする」

「救急隊や鑑識の人がずっと居たせいか、雪が溶けかかってるから気を付けて」


 創介の言うとおり、車の周りは泥と雪がシャーベット状になっておりいくつもの足跡ができていた。もしここで転んでいたら、買ったばかりのスキーウェアが台無しになっていただろう。


「……あ、ありがとう、ゴザマス」


 自分よりも頭一つ分は大きい創介に体を支えられたまま俯き加減に呟くアリア。

 『意外とがっちりしてるな』とか、『シャンプー替えたのか』だとか、余計な情報が邪魔をして推理がまとまらない。


「うぉっほん!! 探偵サ〜ン、あと六分だよ〜?」


 ジト目で睨んでくる彩夢の視線から逃れるようにアリアは創介から離れた。

 曲がりなりにも警察官である日野刑事が素人探偵に現場を見せてくれたのは、これまでの実績よりもこのちょっぴりブラコンの行き過ぎた彩夢の存在が大きい。

 彼女の父親は道警本部の警部で、日野刑事が理想とするホンモノの刑事デカだ。その娘の覚えは良くしておきたいと考えるのは当然の成り行きだった。


「それで刑事サン、被害者の情報は?」


 彩夢に促され、日野刑事は口に咥えたボールペンのキャップを苦々しげに咬みながら警察手帳をめくる。


「どうせ盗み聞きしていただろうが、被害者の名前は神宮部諸仁じんぐうべもろひと。身長は――」

「身長は一八〇センチ前後。たぶん左利きで血液型はAのRHマイナス型。死亡推定時刻は昨日の夜九時から午前三時頃。車のドアを開けたところを背後から何者かに後頭部を殴られ、脳挫傷あるいは急性硬膜外血腫により死亡。最初の一撃で致命傷を与えられなかったところをみると、凶器はそんなに重くないバールのような物でしょうかね?」


 アリアはそこまで話したところで他の三人が揃って口を開けたまま固まっているのに気付いた。日野刑事にいたっては、咥えていたキャップを雪の上に落としてしまっている。


「なんデスか、三人とも欠伸なんかして? せっかくの殺人事件なんですから、真面目に捜査してください」

「いやいやいや、おかしいのは探偵サンの方だから!? いつもだったら『ヤダヤダぁ〜、おうち帰るお〜』って駄々こねてるトコなのに……」

〈うぉい! それはもしかしなくても、私のモノマネか!?〉

「いつになくノリ気なのは良いことだけど、とっくにご遺体も運び出された後なのにどうして見ただけで分かるんだ?」 

「おかしなことを言いますね。死体発見直後ならともかく、ここまで現場検証が済んでいれば一目瞭然じゃないですか」


 そう言ってアリアは人型のテープを指差した。


「“仏さん”とシートに付着した血痕から判断すると死体発見時、被害者は運転席に座っていたことになります。しかし、その状態で被害者の後頭部を殴り殺すのは物理的に不可能です」

「――あ、そっか! ヘッドレストが邪魔だ!!」


「つまり、本来殺害されたのは車の中ではなく外。しかもドアとフレームの間にも血痕が付着していたことから、殺害時にドアは開いていたということ。死亡推定時刻は血液の凝固と酸化具合からざっくり計算しただけなので、司法解剖に期待です」


 現場検証のマーキングを一つ一つ見れば、まるで拡張現実のように事件の状況が浮かび上がってくる。

 昨夜遅く、ひと気のない駐車場で車に乗り込もうとした被害者は背後から何者かに襲われる。突然の痛みに頭を押さえた被害者の利き手にはベッタリと血糊が付いており、おもわずよろめいたところへトドメの一撃――。

 車の中に頭を突っ込むように倒れた被害者を冷たく見下ろす犯人はいったい何者なのか……?

 何もない虚空を見上げるアリアに彩夢が興奮した様子で話しかける。


「凄いよ、探偵サン! 今日は絶好調だね!」

「ところでなんで被害者の血液型まで分かったの? まさか舐めたとか?」

「舐めるか!」


 それに舐めたところで分かるわけがない。もし分かるならソイツは吸血鬼かただのヘンタイだ。


「タネを明かすと車のトランクにコイツが入っていたので」


 悪戯っぽい笑顔でアリアはトランクからスキーウェアを取り出した。赤地に白いラインが入ったウェアの左胸の部分には、ファッション性と実用を兼ねた血液型ワッペンが縫い付けられている。


「くぉラッ! 勝手に遺留品を触るんじゃない!」


 アリアのネタばらしに憤慨した日野刑事が横から強引に取り上げる。


「手袋なら全員してますよ。寒いし……」

「そういう問題じゃない! もういいだろっ? どうせ今回は行きずりの車上荒らしの犯行だよ」

「まさか、被害者の遺留品はそのウェアだけですか?」


 アリアの質問に対して日野刑事は得意気に頷いた。


「ああ。財布やカード入れはもちろん、被害者が身に付けていた時計やアクセサリ、ブランド物のジャケットまで盗んで行っている」

「時計……」


 何かを言いかけたアリアの言葉を遮って日野刑事は続ける。


「既に市内の古物商やカード会社、フリマアプリに監視するため、五〇〇名の警察官を動員するよう本部に要請したから、犯人が捕まるのも時間の問題だ! どうだ素人探偵? これが組織の力というものだ! ハッハッハッ!」

「うーん、〇点」

「何ぃっ!?」


〈〝名探偵わたし〟が積極的に関わった以上、そんなつまらない事件のわけがない――〉


 アリアには確信めいた予感があった。

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