なんてこったのクリスマス

@thats_kura

なんてこったのクリスマス

 もうすぐクリスマスです。モミノキがりんりんと葉振りよくしているリビングで、お母さんがクリスマスケーキを何にしようか悩んでいます。

「食べたいケーキ、ある?」

 すぐそばで、おままごとをしていたメイちゃんとハルトくんにタブレットの画面を見せました。そこにはなんとまあ、美味しそうなケーキの写真がずらりと並んでいます。二人はたちまち頭をくっつけて大真面目に選び始めました。

 にわかにメイちゃんが指を差します。

「ブッシュドノエル!」

 お母さんは「美味しそうよねぇ」と頷きました。

 ほどなくハルトくんが指でタッチします。

「大きないちごのショートケーキ!」

 お母さんは急いでタブレットを引っ込めました。

「意見が分かれちゃったわね。どっちにしようかな」

「ショートケーキがいい、ショートケーキがいい!」

 ハルトくんのわがままが始まりました。声を張りあげてお母さんの周りを練り歩きます。

 こうなってしまえばハルトくんの望み通りに事が運ぶということを、メイちゃんはとっくに知っていました。

「いいよ、ハルトくんが選んだショートケーキにしよう」

 ハルトくんは万歳をして、おままごとに戻りました。

「メイちゃん、譲ってくれて助かるわ。さすがお姉ちゃん」

 お母さんがタブレットに向き直りながら「いつかブッシュドノエルも食べようね」と言いました。

 メイちゃんは、お母さんの「いつか」が当てにならないことも知っています。

 クリスマスケーキはハルトくんのショートケーキに決まりました。


 メイちゃんはお姉ちゃん。ハルトくんは弟。

 メイちゃんはこれをよおく心得ています。けれど、しばしば、おもしろくありません。


 去年のクリスマスはこうでした。メイちゃんがサンタさんから貰ったレターセットを、ハルトくんも欲しがるのです。

 メイちゃんは断りました。

「一枚一枚、大事に使いたいの。ほら、ハルトくんのプレゼントも素敵。かわいいぬいぐるみじゃない」

「でもお手紙かきたいんだもん。お母さん、ぼくにもちょうだい!」

 ハルトくんが晩ご飯の準備をしているお母さんの周りをぴょんぴょん飛びはねます。

 こうなるともう、おしまいです。お母さんは困ってしまって、メイちゃんに言いつけるのです。

「少しくらい譲ってあげて。お姉ちゃんでしょう」

 メイちゃんが仕方なくレターを数枚差し出すと、ハルトんは大人しくなって、家族宛てに手紙を書きはじめるのでした。


 こんなこともありました。ハルトくんがクリスマスケーキのチョコ細工を独り占めするのです。

 メイちゃんはそしりました。

「ハルトくん、ずるい。今日はクリスマスだよ。ハルトくんの誕生日じゃないんだよ」

「でも食べたいんだもん。お母さん、いいでしょお」

 ハルトくんがもどかしがってテーブルを揺すります。

 こうなるともう、おしまいです。飲み物の用意をしているお母さんは困ってしまって、メイちゃんに言いつけるのです。

「お母さんのケーキを半分こしよう、だから譲ってあげて。お姉ちゃんでしょう」

 メイちゃんが仕方なく口をつむぐと、ハルトくんは大人しくなって、家族分のマグにティーバッグを泳がせはじめるのでした。

 メイちゃんは、しばしば、自分こそが弟になりたいものでした。



****



 メイちゃんには前々から欲しい物がありました。それは、12色が一纏まりになったカラーペンのセットです。お友達と交換する手紙をかわいらしく仕上げるには、すでに持っている赤と青ではからきし物足りません。

 お母さんと二人きりで食器洗いのお手伝いをしている今が、おねだりするチャンスです。

 布巾で食器を拭きあげながら、なんて言っておねだりしようか、だいたい、おねだりしていいのかなとあれこれ悩んで、ようやく聞いてみました。

「お母さん、あのう、今年のわたしはいいこだった?」

 お母さんは目をまんまるくしてメイちゃんのほうに首を回しました。

「急にどうしたの。メイちゃんは今年もとってもいいこだったわよ」

「うぅん、そっかぁ」

 メイちゃんはもじもじするのがやみません。食器同士のぶつかる音が、あたかもメイちゃんの気弱を煽り立てるようです。それでも、カレンダーをちらりと見れば、勇ましい気持ちが湧きました。

「それじゃあ、わたしにサンタさんくる?」

 これを聞いたお母さんはまたもやびっくりです。メイちゃんの所へサンタさんの来ないわけがありません。ついつい大きな声で「もちろんよ」と返しました。

「だったら、あのね、うーんと」

「ああ、メイちゃん、もしかして何か欲しい物でもあるんでしょう」

 お母さんにズバリ当てられてメイちゃんは慌てふためきました。

「うん、うん。そうなの。あのね、カラーペンのセットが欲しいんだ。だめかなぁ」

 お母さんは不思議でした。カラーペンのセットを買うことのダメな理由がありません。深いお鍋の底をスポンジでぐるりと撫でながら、「だめなこと一個もないよ。サンタさんにバッチリお願いしようね」と伝えました。

 メイちゃんはそれからお母さんと陽気にクリスマスソングを歌いました。食器同士のぶつかる音が、あたかも合唱してくれているようでした。

 25日はもうすぐ、もうすぐ。



****



 とうとうクリスマスです。

 メイちゃんは今日がとても楽しみで、いつもよりうんとお手伝いをしてきました。テレビを観たい気分の時でも、ハルトくんが遊ぼうと言えば遊びました。それだから、クリスマスプレゼントを受け取った時の喜びはひとしおでした。


 メイちゃんとハルトくんが早速クリスマスプレゼントを開けて遊びはじめます。メイちゃんはカラーペンでお絵描き、ハルトくんは文房具セットの中身をぬいぐるみにお披露目しています。そんな二人の様子を、お母さんはソファに座ってのんびり眺めていました。そしていつか仕事のことで二階へ上がって行きました。


 リビングの隅でモミノキのイルミネーションが点滅しています。

 メイちゃんはカラーペンをしっかり握って自由帳にクリスマスの絵を描いていました。やがて何やら手元が暗いので、ふと顔を上げると、ハルトくんが目を輝かせながら覗き込んできているではありませんか。メイちゃんはすぐさま自由帳に覆いかぶさりました。

「ぼくにもペン、貸して」

 メイちゃんの予想通りです。けれど今日のメイちゃんは格別に強気です。

「いやよ、これは貸さない。それにあげもしない。一本だって譲ってもあげないんだからね」

「なんでえ」

 ハルトくんが泣きそうな顔をしたってメイちゃんは引き下がりません。

「だって、これはわたしがいいこにしていたから、だからサンタさんがくれた物だもん」

 その時です。ハルトくんが「ぼくだっていいこにしてたもんっ」と怒鳴って、メイちゃんの体の隙間から無理矢理カラーペンを掴み取りました。

 いいこにしているなんて嘘、という叫びをメイちゃんはグッと呑み込んで、ハルトくんを睨み付けました。

「いいこにしていたから、ハルトくんだってクリスマスプレゼントを貰えたんでしょう。自分のぶんで満足して!」

「やだ、ぼくも描く! お母さん!」

 ハルトくんが助けを求めて駆け出します。けれど、返事をする者はでてきません。

 メイちゃんはすっかり勝った気分です。捕獲したハルトくんをいいようにして、カラーペンを奪い返すこともできました。

 泣きじゃくりながらお母さんを探す声が、家のどこかから聞こえてきます。だけどそんなの放っておいて、メイちゃんはクリスマスの絵の続きを描くことにしました。

 緑色のペンでモミノキ。黄色でトップスター。青色でモール・ガーランド。銀色もある、金色もある。飾りが沢山付いていきます。そうして最後に真っ赤なオーナメントボールを塗りたくっていた時です。

「なんの騒ぎ?」

 振り返ると、お母さんがいました。怪訝な顔つきで見つめてきます。足元にべったり抱きついているハルトくんも、涙を溜めた目で一緒になって見てきます。すると、ふいにお母さんを仰いで言いました。

「あのね、ぼくもいろんな色でお絵描きしたい」


 メイちゃんの握っているはずのカラーペンがふっと失せたかのようでした。

 またどうせ、譲るはめになるのでしょう。そう思うと、心のひだの端々から、悲しい気持ちが立ちのぼり、メイちゃんはこれに突き動かされてしまいました。

「なによ、ハルトくん。いつもそうやってハルトくんの望み通りにしていって、ずるい」

 いつもと違うメイちゃんの様子に気付いたお母さんが再び問いかけます。

「なぁに、一体どうしたの?」

 ところが、お母さんの心配する声を聞いてもメイちゃんは止まりません。

「カラーペンのことよ。もういいよ、ハルトくんにあげる」

「ええ、でも、メイちゃんがサンタさんにお願いした物でしょう」

「いいよ、全部全部ハルトくんにあげる。だってわたし、お姉ちゃんだもんね」

 そう言い放って、ツンと横を向いたメイちゃんの頬に、次第に涙が伝いはじめました。

 お母さんは何が起こっているのか掴みきれません。けれど、これまでのことから、ぼんやりと事情が分かりました。

「ペンの取り合いになったの?」

 メイちゃんはそっぽを向いたまま黙っています。どうしたものかと思ったところ、足元からハルトくんの「うん」と言う声が聞こえてきました。お母さんがハルトくんの顔を覗き込みます。

「ハルトくんが欲しがったのね」

 ハルトくんはこれには声が出ず、ほんのわずかに頷きました。

 こうしている間にも、ハルトくんはじっと、メイちゃんの輪郭から涙が落ちていくのを見ていました。お姉ちゃんが泣くのを目撃するのはこれが初めてです。

 ハルトくんは勇気をだして聞きました。

「お姉ちゃん、泣いているのはぼくのせい?」

「そうよ」

 すかさず差し込まれた鋭い声音にためらいます。

 けれど、だったらもう一度、ハルトくんは勇気をだしました。

「ごめんなさい」

 ハルトくんの瞳がメイちゃんの様子を見守ります。

 メイちゃんは少し黙ったあと、「ハルトくんなんか嫌い」とはっきり喋りました。

 言葉の意味を理解した時、ハルトくんの顔がたちまち真っ赤になりました。しわくちゃになって、息がとまって、それに気付いたお母さんが急いで抱いて、背中を叩き……とうとう大きな大きな泣き声が炸裂しました。


 しとしと泣くメイちゃんと、わんわん泣くハルトくん。

 家族の二人がこんな状況だと、お母さんは辛くてたまりません。

 そして後悔しきりでした。メイちゃんの言い放った「だってわたし、お姉ちゃんだもんね」という言葉が胸に突き刺さっています。メイちゃんには、確かに、お姉ちゃんだからという理由で、理不尽があっても我慢させてきたのです。

 お母さんは、腕の中でハルトくんをあやしながら、この場をどうするのが正解なのかを考えました。だけど正しい答えが分かりません。それなのに、やけに秒針の動く音が聞こえてきて、時が過ぎていくのだけ分かります。

 一人離れた所にいるメイちゃんの背中と、机の上でたたずむカラーペンを見ていると、どんどん切なくなってきて、お母さんはついに思い切りました。

 ハルトくんを抱き上げて、メイちゃんのそばに屈み込み、両腕で二人を抱き締めました。

「メイちゃん、ごめんね。これまで色んな我慢があったよね。お姉ちゃんだからって、メイちゃんの大事な物をあきらめなくていいんだよ。カラーペンはメイちゃんの物だよ」

 メイちゃんの横では、ハルトくんが泣きあえいでいます。メイちゃんの耳にお母さんの言葉が届いたのかは分かりません。けれど、メイちゃんはずっとーーそしてハルトくんもーーお母さんの腕に抱かれていました。


 クリスマスだというのに、メイちゃんは泣いています。ハルトくんも泣いています。お母さんも目を赤くしています。

 リビングの隅でしゃらんしゃらんと葉振りよくしているモミノキの、トップスターや色とりどりのモール・ガーランド、オーナメントボール。三人で飾り付けたクリスマスツリーでした。



****



「……ていうことが昔あったの、覚えてる?」

 芽衣ちゃんのしなやかな手が、家族分のマグにお湯を注いでいきます。そこへ速かにティーバッグをたゆたわせるのは、やはり春翔くんのやりたがることでした。

「どうだかな。だって俺、そのとき園児でしょ」

「あれ、私達二人とも小学生だったような。ねぇ、お母さん、どうだっけ?」

 お母さんは春翔くんの横で白髪を揺らして笑っています。

「学年がどうかまでは忘れちゃったけど、そのクリスマスのこと覚えてるわよ。ケーキを食べる頃には、喧嘩なんか無かったみたいに二人ともころころ笑っていたのよねぇ」

「ふーん。昔の俺達、勝手だね」

 なんとまあ、かつてのわがまま坊やが落ち着き払ってそう言ったので、芽衣ちゃんとお母さんは「年月が経ったもんだね」と顔を見合わせて笑いました。

 春翔君も片方の口角を上げて照れくさそうにしています。


 姉の芽衣ちゃんは社会人。弟の春翔くんも近々社会人。

 二人とも、普段はお母さんの住む実家から離れて暮らしています。それでも今日というクリスマスに集まったのは、芽衣ちゃんの強い希望があったからです。


 春翔君が、つまんでいたティーバッグの糸をマグのふちに預けました。

「それでさ、どうしても俺達と食べたいって言ってたケーキは、どれのこと?」

 これを聞いて、お母さんが首から下げている老眼鏡をいそいそと装着しました。

「そうよ、そう。どんなケーキを用意してくれたのかしら」

「金箔に包まれた成金ケーキ? それとも超有名パティシエが作った数量限定ケーキ?」

 芽衣ちゃんはただ笑うだけのことをして、キッチンへと姿を隠しました。まもなく取っ手のついた白い箱を持って現れると、テーブルの真ん中に置きました。

 春翔君とお母さんが前のめりになって眺めます。

「無地の白い箱……数量限定ケーキは入ってなさそうねぇ」

「成金ケーキも入ってないだろうね」

 芽衣ちゃんがわざとらしく肩をすくめて見せました。

 そして箱に手をかけます。取っ手の根元の仕組みを解いて、ゆっくり開くと、中から現れたのはブッシュドノエルでした。

 春翔君とお母さんが目を見合わせます。

「姉ちゃん、これはもしかして、さっき言ってた話にあった……」

「そうよ。昔、春翔のわがままに敗北して、お母さんに忘れ去られた、復讐のブッシュドノエルよ!」

「そういうことかよ!」

「そういうことなの!」

 春翔君とお母さんはすぽんと体をのけぞらせました。二人のその様子に芽衣ちゃんがくっくと笑います。すっかり芽衣ちゃんのペースです。

 やがて、三人の明るい笑い声が、リビングの隅でしゃんと立っているモミノキにまで届きました。

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