E-20「迷い」

「ちょ、ちょっと、待ってよ、みんな! 」


 慌てた様な声をあげたのは、ライカだった。


「久しぶりに再会できたと思ったら、どうしたのよ、シャーリー? ミーレスを近衛騎兵に、って、どういうつもりなの? 」

「まぁまぁ、ライカ姫。落ち着いて」


 何だかオロオロとしているライカを、ゾフィがなだめようとする。


「決して、長話なんかしませんし、無理強いもしませんから」

「で、でもっ」


 ライカはまだ何かを言いたそうに、シャルロットと、僕の顔を交互に見ている。

 恐らく、僕が内心で、近衛騎兵になることに魅力を感じ始めていることを、敏感に察知しているのだろう。


 僕は、馬のことが好きだった。

 馬と人間は、お互いの言葉こそ理解できないものの、長い時間を一緒に過ごせば、自然とお互いの気持ちを理解できる様になる。

 馬は、とても賢い動物なのだ。


 実際、僕には、僕にとって兄の様な存在である馬、ゲイルがいた。

 彼は僕の父さんが持っていた馬で、僕はゲイルに乗りながら乗馬を覚え、ゲイルと一緒に野山を駆け巡りながら育った。


 そのゲイルは、僕を生きのびさせるための犠牲となって死んでしまったが、彼と心が通い合った時の感動や嬉しさは、今でも忘れたことは無い。

 ゲイルと僕との絆は、僕が牧場から離れて長い時間が経っても、消えることなくあり続けていた。

 僕はゲイルを覚えていたし、彼もまた、僕のことを覚えていてくれたのだ。


 ゲイルはもういないが、そんな、素晴らしい相棒ともう一度ともに生きていくことができたら、それはきっと、素晴らしい人生だろう。


 僕は、もうすぐ20歳になる。

 この戦争が今回のスクレ会談によって無事に終結すれば、という条件付きではあるが、僕が20歳になれば、そのまま軍に残って職業軍人として生きるか、軍を辞めて別の道を進むかを選ぶ機会を得ることができる。


 僕は空が好きだった。

 勇敢な冒険飛行家たちが偶然、僕の牧場に姿を現したあの日以来、僕は空に憧れ、その世界をこの手にしたくて、両親の反対も押し切ってパイロットへの道を進んだ。

 パイロットになるための道は険しく、辛いものだったが、その厳しい道の先に待っていたのは、大切な仲間たちとの出会いと、この、美しい空を自由自在に飛行し、体験できるという、パイロットにだけ許される特権だった。


 パイロットになったことを、僕はもう、後悔してはいない。

 僕がパイロットにならなければ出会うことの無かった友人がたくさんいるし、何より、空は僕が思っていたよりもずっと、素敵な場所だった。


 だが、正直、パイロットでいることに、少し疲れてもいる。

 20歳になったら軍を辞めて、田舎に帰ろうかと考えているのも、このためだ。


 飛行機は、地上から見上げるだけでは体験することのできない素晴らしい世界へと僕を運んでくれるが、しかし、僕が乗っているのは、戦闘機。

 誰かを傷つけ、敵を破壊するために作られ、その性能を追求してきた、兵器だった。


 僕は、この戦争の中で、たくさんの死を見て来た。

 僕の目の前で失われていった、たくさんの命。

 マードック曹長や、カルロス曹長。

 王国を、故郷を守るために砲火の中へと飛び込んでいった、207Aの勇敢なパイロットたち。


 そして、僕自身もまた、たくさんの命を奪った。

 僕が戦争中に撃墜することになった敵機の数は40機を超えるし、爆装して、爆弾を敵の頭上に落としたことだってある。

 それに、雷帝も。


 空も飛行機も大好きだったが、しかし、僕はもう、昔の様に、無邪気に空に憧れ、見たことの無い世界を純粋に楽しむ様な気持ちにはなれない。

 そこにはいつも、激しい戦いの記憶がちらつく。


 そこから離れて、昔の様に、穏やかに暮らしてみたい。

 僕は、そんな願望を抱く様になっている。


 馬は、賢く、愛嬌のある動物だ。

 そんな馬と一緒に働いて、生きていく。

 何て、魅力的なのだろう!


 ただ、牧場で、趣味のために馬に乗るということではない。

 僕は、大好きなことを自分の仕事として、それで給与を稼ぎ、世の中のために必要なことをして、生きていくことができるのだ。


「実はな、ミーレス。すでに、このことは父上にも話を通してあるんだ」


 僕の迷いを察知しているのか、シャルロットはたたみかけて来る。


「我が父、モルガン大佐が行方不明の間は、私が近衛騎兵連隊の臨時の連隊長を務めさせてもらっていた。しかし、父上が戻った今、公的にも実質的にも、近衛騎兵連隊の指揮権は父上の下にある。その連隊長殿からは、キミがうんと頷いてくれさえすれば、正式に連隊に迎え入れてもいいという許可をいただいてあるんだ」


 僕の姿を見つけた時、モルガン大佐が真っ直ぐに僕の方へと向かって来た理由が、よく分かった。

 シャルロットは、戦いの前の準備を怠らない。優秀な指揮官だ。

 ここに来る前に、すでにいろいろと根回しを済ませている様だった。


「王立空軍での任務とは全く違う職場にはなるが、その点は、私たちがしっかりと教育させてもらう。部隊に馴染めるかどうかも心配いらない。キミはすでに私たちと一緒に馬首を並べて戦ったことがあるし、立派に戦えるということを知っている者は多い。何なら、私やゾフィがキミの後見人となって、君の立場を保証してもいい。階級も現在と同じものを用意させてもらう」


 何と言うか、至れり尽くせり、だ。


 僕は、シャルロットにどう答えるべきかどうか、迷っている。

 騎兵として、生きていく。

 そんな未来も、いいかもしれない。

 そんな風に、思ってしまっている。


 僕は沈黙を続けていたが、内心では葛藤しており、勧誘の目的を果たせる見込みは高いと判断したのだろう。

 シャルロットは多くの言葉を発したために渇いたのどをお茶で潤しながら、悠々とした態度で、僕の返答を待っている。


「ミーレス……」


 不安そうにしているのは、ライカだ。


「大丈夫ですよ、ライカ姫。近衛騎兵になるって言っても、戦争が終わってから、兵役の終わる20歳になってからのことですよ。まだまだ、友達と一緒にいられますって」


 そんなライカを、ゾフィが明るい口調でなだめている。


 それはライカに向けられた言葉ではあったが、僕へと向けられた言葉でもある様だった。

 僕にとっても大切な仲間たちとすぐに別れることにはならないと、そう理解させることで、僕がパイロットを辞めて近衛騎兵になるという選択をし易くしようとしているのだ。


 どうやら、シャルロットとゾフィは、2人で連帯している様だった。


 僕は、どうしようと、悩んでいる。

 パイロットから一度離れたいなと思っていることも事実だったし、飛行機と同じくらい馬のことは好きだから、騎兵として働くのは楽しそうだった。


 だが、何と言うか、ここで決めてしまうのは良くないと、そんな気がする。

 僕のすぐ隣から、心配そうに向けられている青い瞳からの視線が、僕にそう思わせている。


 レイチェル大尉に挨拶をしに行っていたモルガン大佐が戻って来たのは、その時だった。

 モルガン大佐は軍靴で階段を踏み鳴らしながら、2階から降りて来る。


「ムゥ。思ったより、父上が早く戻って来てしまったな」


 戻って来たモルガン大佐の姿を見て、シャルロットは残念そうな顔で唸った。

 もう一押しで僕を勧誘できそうだったのに。そう悔しがっている様な感じだった。


「仕方がない。我々も、遊びでここに来ているわけではないからな。……ミーレス、君がどうするか決めるには、まだ時間はある。まぁ、ゆっくり決めてくれたまへ」

「そうそう。無理強いはできないんだから、ゆっくり考えてから決めてちょうだいね」


 シャルロットとゾフィはそう言って立ち上がると、近衛騎兵連隊の制帽を被り直した。


「では、今日のところは、これで失礼しよう。……ライカ姫、すまなかったな。ゆっくりお話をする時間が無くなってしまった」

「会談が終わったらちょっとゆっくりできるだろうから、お話はその時に。また、遊びに来るから。よろしくね」

「う、うん。分かったわ」


 ライカは、戸惑いながら頷き、シャルロットたちを見送るために立ち上がる。

 悩み続けていた僕は、そんなライカの仕草を見て、見送りをしなければならないということを思い出し、慌てて立ち上がった。


 僕は、軍曹という階級にある。

 階級で言えば、シャルロットたち3人の誰と比べても下にいるのだ。

 軍隊組織では階級章はかなりの重みを持っているものだったから、例え所属している軍が違うのだとしても、相応の敬意をはらわなければならない。


 モルガン大佐たちを敬礼して見送った後、僕は、もう一度、自分が本当はどうしたいのかを、真剣に悩み始める。


 そんな僕を、青い瞳が、不安そうに見上げていた。

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