20-33「解放」

 夢の様な出来事だったが、全て、現実の出来事だった。

 僕は雷帝を倒し、彼は、永遠にこの空から失われた。


 発達した積乱雲からの激しい雨が降り止んだ後、不時着した僕のところに、王立軍の兵士たちがやって来た。

 王立軍で偵察や移動などに用いられているバイクに乗った兵士たちで、雨が降り出す前に不時着する僕の機体を見かけ、捜索(そうさく)に来てくれたそうだった。

 途中で雨が降り出したおかげで彼らは雨合羽(あまがっぱ)を着ていてもびしょ濡れになっていたが、それでも、僕を探し出してくれた。


 僕は彼らに救助され、サイドカーに乗せられて近くの王立軍の基地まで運んでもらい、そこで1泊させてもらった後、ジャンティで鷹の巣穴へと向かう列車が発着している駅へと送り届けてもらうことができた。

 機体の方も、準備ができ次第回収されて、後から僕たちの基地へと送り届けてもらえることになっている。


 雷帝を倒すためだけに作られた、王立空軍の正規の規定に無い扱いの難しい改造機だから、僕の命を守ってくれたこの機体がそのまま任務に復帰できるかどうかは、分からない。

 技術的な参考とするために後方へ送られて試験機となるかもしれない。

 だが、とにかく、この機体も僕と同じ様に、僕たちの「家」へと帰ることができる。


 雷帝の撃墜に成功したという連絡も、僕を救助してくれた兵士たちが行ってくれた。

 彼らは僕が「守護天使」部隊の1人であり、帝国を代表するエースを撃墜したということを知って、僕のことを盛大に褒(ほ)め称えてくれた。


 彼らと一緒に過ごした夜は、ちょっとしたお祭り騒ぎだった。

 彼らは後方を警戒するために残されていた部隊だったが、前線での苦戦と、王国の勝利の前に立ちはだかっている2機の黒い戦闘機の話は届いており、僕が雷帝を倒したことで平和の到来が近づいたと、とても喜んでいた。


 帰りの列車では、驚いたことに、レイチェル大尉と一緒になった。

 自身を雷帝の前にさらし、危険を冒(おか)して僕にチャンスを与えてくれた大尉は、その豪運を発揮して生きのびていたのだ。

 しかも無傷で、いつもの様に堂々とした態度で煙草を吸っていた。


 僕がレイチェル大尉に雷帝を撃墜したことを報告すると、レイチェル大尉は特に感心したりせず、「ま、当然だな」と言い放った。


「あたしが命がけでチャンスを作ってやったんだ。それで雷帝を倒すのに失敗していたら、あたしがお前にトドメを刺すつもりだった」


 レイチェル大尉なら、本気でやりかねない。

 僕は大尉らしい言い方だな、と何だか懐かしく思ったのだが、それからレイチェル大尉がぽつりと「よくやったな」と呟くように言ってくれて、それが、たまらなく嬉しかった。


 大尉はいつでも、不器用だ。


 基地に帰ると、ハットン中佐もナタリアも無事に帰還していたということを知った。

 雷帝の僚機は、雷帝が撃墜されたことを知ると雲の中へと逃げ込んでしまったため取り逃してしまったのだということだったが、それでも、2人が無事に帰還していたことは喜ぶべきことだった。

 僕らの最後の戦いで、仲間を誰1人として失わずに済んだからだ。


 それから僕は、ジャックとアビゲイルから、ライカの目の治療がうまく行ったということを教えてもらうことができた。

 しばらくの間は静養が必要だということだったが、順調に行けばまたパイロットとしての任務に復帰することができるだろう。


 全てが、僕にとって良い方向に向かっている様だった。

 このままいけば、僕は、僕の仲間たちと一緒に、平和になった王国の空を一緒に飛ぶことができる。

 そんな希望が、現実のものになりつつある。


 フィエリテ市の帝国軍が降伏した、という発表があったのは、雷帝との戦いから5日後のことだった。

 それは、王国のラジオ放送で、イリス=オリヴィエ連合王国政府からの公式発表として、王国中に知らされた。


 僕たちが雷帝を撃墜することに成功してからも、帝国による空中補給は、完全に停止されることは無かった。

 それでも、雷帝が撃墜された日の空戦で帝国は雷帝の他に戦闘機5機、輸送機30機以上という損害を被(こうむ)っており、雷帝の喪失とその損害から帝国は作戦の見直しを余儀なくされ、たった1日だけ、空中補給が完全に停止された。

 1度の損害としては最大のものとなったことの他に、雷帝という最強の護衛戦力を失ったことで、帝国は大幅な作戦変更を行わざるを得なかったのだ。


 だが、そのたった1日の空中補給の停止が、致命傷となった。

 空中補給が一時的に停止したその日、フィエリテ市に籠城していた帝国軍は、王立陸軍に地下水道の取水口を奪われ、フィエリテ市でただ1つの飛行場も失ってしまったのだ。

 帝国軍は生きていくために欠かせない水を失い、また、飛行場に着陸する輸送機に収容されて本国に帰還できるという希望を失った。


 フィエリテ市で包囲下にある帝国軍にとって、毎日、100機を超える規模で行われるカイザー・エクスプレスは、最後の心のより所だった。

 それは、帝国が苦境にある将兵を最後まで見捨てないという何よりの証であったし、勇敢に戦って負傷した帝国軍の将兵は、毎日の様に飛来し、数機だけでも飛行場に着陸する輸送機によって、本国に帰還できるという希望があった。


 たった1日だけとはいえ、その希望が失われたその日、帝国軍は力を失い、頑強に守り続けて来た取水口と飛行場を、王立軍にあっさりと奪われることになってしまった。


 司令部レベルでは今後も帝国が空中補給を継続するということを理解できていても、一般の将兵レベルでは、今後も空中補給が行われると信じることが全くできなかったのだ。

 戦意を失った帝国軍の将兵はこれまでが嘘の様に弱く、王立陸軍は容易にその目的を達成することができた。


 帝国の空中補給はすぐにやり方を変えて再開されたが、一度折れてしまった帝国軍の将兵をもう一度奮い立たせることはできなかった。

 しかも、その空中補給の規模は1回に10機前後という小規模なもので、飛来する回数も不安定なものだった。

 1度に100機以上もの機体が大編隊を組んで飛来するという見た目の頼もしさはなく、いよいよ追いつめられたと、帝国軍将兵の不安感を増大させた。


 帝国軍は最後の力を振り絞って地下水道の取水口の奪還を目指したが、一度戦意を喪失してしまった上に、武器弾薬が欠乏した帝国軍の力でそれは果たせなかった。


 人間は食糧が無くても水さえあれば数週間生存できるというが、水が無いという状態では、数日ももたないのだという。

 ましてや、フィエリテ市の帝国軍は王立軍からの包囲を受けてからすでにかなりの期間が経過しており、消耗しきっていた。

 勇敢に戦えば本国に帰れるという希望さえ失ってしまっては、もう二度と、立ち直ることはできなかったのだ。


 帝国軍の将兵のほとんどがまともに戦えるような状態ではなく、帝国軍による増援が実施される前に飢えと渇きによって多くの将兵が死に絶えるという状況に直面した帝国軍の司令官は、苦渋の決断を下すことになった。


 こうして、フィエリテ市に籠城していた帝国軍は王立軍に降伏し、武装解除が行われた。


 帝国軍の司令官は王立軍に降伏を申し出、それが受諾されたことを知ると、司令官室として使用していた一室に帝国の国旗と部隊の軍旗を掲げ、帝国本土の方角を仰ぎ見ながら拳銃で自殺した。


 降伏した帝国軍の将兵は、およそ16万名になる。

 これまでの戦いで、王立軍との戦闘と、飢えや乾き、包囲下の不衛生な生活によって発生した病気などによって、4万名以上の将兵が倒れていた。

 生き残った将兵の多くも飢えでやつれていて、歩くのがやっとという状態の者も多く、治療を必要とする兵士も数えきれなかった。


 王立軍側が受けた被害も、帝国軍よりは小さいが、少なくはない。

 王立軍の側も、この包囲戦で2万名以上の戦死者を出している。

 負傷者は、もっとたくさんだ。


 王立軍側が攻撃に回って、陣地にこもって戦う帝国軍を相手としていたことから考えれば、これでも損害は少ない方だった。

 これは、フィエリテ市に籠城した帝国軍が十分な準備も無いまま包囲下に置かれ、武器弾薬が不十分な状態で戦ったことと、王立軍側が兵員の損耗(そんもう)を避けるために、砲撃や爆撃による支援を徹底的に行った成果だった。


 だが、多くの人々が傷つき、命を失った事実は変わらない。


 僕たちが、もっと早く、雷帝を倒すことさえできていたら。

 救えた命は、いったい、どれほどになったのだろう?


 この愚(おろ)かな戦争が始まって以来、ずっと戦場となり、敵軍による占領下となって来たフィエリテ市は、今やすっかり廃墟となってしまった。

 残っているのは、瓦礫(がれき)に埋もれたままの無数の遺体と、破壊され、残骸となった建物だけだ。

 かつてのフィエリテ市の姿は、僕たちの記憶と重ね合わせることでようやく、微(かす)かにその面影を感じ取れるだけしか残されていない。


 それでも、フィエリテ市が王国の手に取り戻されたことの意味は、明らかなものだった。

 王国は連邦と帝国との間に緩衝地帯を作ることに成功し、大陸の南部戦線の存在意義を消滅させることに成功したのだ。


 連邦軍も帝国軍も、フィエリテ市が僕らの手に奪還された時にはまだ王国の領土に存在していたが、どちらも激しく続いている大陸の北部戦線に注意を向ける必要があり、徐々に王国領からの撤退を開始した。


 王国領を突破して敵国の本土へと攻め込む、あるいはそれを自国領の外側で迎え撃つ。

 王国を連邦と帝国が攻撃し始めたその目的を果たせなかったことで、連邦も帝国も、南部戦線に向けていた兵力を北部戦線に戻すことを選んだのだ。


 王立軍は、撤退する連邦軍と帝国軍に対し、追撃戦を開始した。

 それは、1弾も発射されることの無い、奇妙な追撃戦だった。


 敵軍が後退すれば、王立軍がその分、前進する。

 王立軍は撤退する敵軍を妨害しなかったし、連邦軍も帝国軍も、撤退する自分たちの後をつける様に進んで来る王立軍に対して、何の反撃も行なわなかった。


 もしかすると、王国の上層部と、連邦と帝国の上層部との間に、何らかの形で交渉の場が設けられ、王国から撤退する連邦軍と帝国軍を攻撃しないという秘密協定でも結ばれていたのかもしれない。


 そして、フィエリテ市の奪還に成功してから、およそ1カ月後。

 王立軍はかつての国境線にまで到達し、王国の領土を完全に取り戻して、そこで進軍を停止した。


 王国から、連邦軍も、帝国軍も、その姿を消した。


 王国は、とうとう、敵軍による占領から、この戦争から、解放されたのだ。


 それは、王国にとって、何の利益も無い戦争だった。

 しかも、連邦も帝国も、相変わらず北部戦線で戦い続け、第4次大陸戦争の戦火は収まる気配を見せてはいない。

 今も、多くの人々が戦い、傷つき、倒れている。


 それでも、王国にとっての戦争は、僕たちにとっての戦争は、確かに終わったのだ。


 残されたのは、荒廃した国土と、戦火によって疲弊(ひへい)した民衆だけだった。

 だが、僕たちの見上げる空はかつての平穏さをようやく取り戻し、僕たちは静かな空を飛ぶことができる様になった。


 王国の、僕の故郷の景色は、戦争によって様変わりしてしまった。

 それでも、僕らはきっと、かつての様な、豊かで穏やかな王国を取り戻すことができるだろう。

 そして、ここをもっと、良い場所にすることだって、できるだろう。


 僕たちは、そうするための機会を、この手にすることができたのだから。


 僕たちは、これからもこの場所で、精一杯、生きて行く。


 それが、この戦争で命を失ってしまった多くの人々が願ったことであり、僕たちが命がけでつかみ取った未来だった。






※作者より

 いつもお世話になっております。熊吉です。


 本節、20-33節を持ちまして、イリス=オリヴィエ戦記の本編、その全話が投稿完了となります。

 これまでに本作品を手に取ってくださった全ての読者様、評価、ブックマーク、フォローをして下さった全ての方々に、お礼を申し上げさせていただきます。

 1年以上にも渡る期間、熊吉とイリス=オリヴィエ戦記にお付き合いいただきまして、本当に、ありがとうございます。


 熊吉の力不足により、全ての読者様のご期待通りの作品とできたかどうかは自信が無いのですが、より多くの方に楽しんでいただけていたらいいなと、そう思っております。


 すでに予告させていただいている通り、この後、エピローグを1話分計画させていただいております。

 プロットもでき上り、書き始めてもいるのですが、投稿開始は月曜日からとさせていただきたく思います。

 もしまだ続きに興味があるよと言う読者様、どうか、エピローグも引き続き、熊吉とイリス=オリヴィエ戦記を、よろしくお願いいたします。


 また、できましたら、ご感想、評価等、いただけますと幸いです。

 特に、感想において、良かった点、悪かった点など、ご指摘をいただけますと、次回以降の作品になるべく反映させていただきたく思います。

 加えて、今後の熊吉作品に望むことなど、読者様の視点からご意見をいただくことができれば、今後の活動の方針を決める際の参考とさせていただきます。


 これまで、本当にありがとうございました。

 そして、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。

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