エピローグ

E-1「見せかけの平和」

 連邦軍と帝国軍が王国から完全に撤退し、王国に平穏が取り戻されてから、もうすぐ1年が経とうとしている。


 僕らの王国は、少しずつだが、戦火によって灰となった国土から立ち上がろうとしている。

 今年の春に種をまかれ、夏の太陽を浴びながら力強く、青々と成長を続けている麦の姿が、荒廃から復興しようとする王国の象徴の様だ。


 王国にとっての戦争は1年と3カ月ほど続けられたが、その戦いが残して行った爪痕(つめあと)は深く、広範囲に及んでいた。


 まず、戦場となった王国の北部は、壊滅状態だ。

 街という街は焼かれ、破壊され、物資という物資は占領軍によって略奪され、残っているのは廃墟と瓦礫(がれき)だけというあり様だった。


 王国の中部も、北部と比べればマシだったが、実際に戦場となったために大きな被害を受けている。

 南部だって、そうだ。連邦による戦略爆撃によって主要な都市は焼かれ、かつての美しい街並みや、王国の経済活動を支えていた産業施設も多くが失われた。


 それでも、僕らは王国を復興しようとしている。

 戦災を避けて疎開していた人々は故郷をもう一度立て直そうと、住む場所さえ満足に無いのに戻ってきて、そこに家を建て、畑を耕し、新しい生活を始めている。

 生き残った工場では、復興に必要な様々な資材や物資が生産され続け、戦時と同じかそれ以上の頻度で運航されるイリス=オリヴィエ縦断線によって、王国の全土へと供給されていく。


 海上封鎖が解かれたことで、王国の海運も活気づいている。

 何しろ王国では何もかもが不足していたから、海外から輸入しなければならないものはたくさんある。

 王国は足りない資源や物資を輸入するために、輸送船として転用できそうな軍艦も全て投入し、国家をあげて輸送に取り組んでいる。


 だが、これは、見せかけの平和だった。


 何故なら、まだ、第4次大陸戦争と呼ばれている戦争は、激しく続けられているからだ。


 連邦も帝国も、アルシュ山脈の南側にあることから南部戦線と呼ばれていた、王国に形成されていた戦場からは撤退したが、アルシュ山脈の北側、北部戦線と呼ばれている場所ではまだ、激しく戦い続けている。


 その戦いは、以前よりも激しさを増している様だ。

 北部戦線では連邦、あるいは帝国が攻防をくり返していたし、マグナテラ大陸のさらに北方に広がる海洋では、双方の艦隊が、王国の東海岸に襲来した帝国軍の様な何隻もの空母を伴った大艦隊同士で激しく干戈(かんか)を交えている。

 それに加え、連邦も帝国も双方の本土を直接攻撃するべく、巨大な戦略爆撃機を大量に配備し、互いに爆撃をくり返している。


 その様子は、相変わらず盛んに放送され続けているプロパガンダ放送によって、僕らの耳にも逐一(ちくいち)知らされている。

 連邦も帝国も、どちらも自身の勝利を高らかに誇ってはいるが、僕に言わせれば一進一退、戦況は不毛な消耗戦が続いている。

 放送が言う様な勝利が実際に起こっているのであれば、この戦争はとっくの昔に終わっているはずだ。


 戦場では、今も莫大(ばくだい)な物資が消費され、数えきれない兵士たちの命が失われていく。


 連邦も帝国も、どうして戦うことをやめないのだろう。

 僕だったらとっくにこんな戦争はやめてしまうのだが、彼らにそのつもりはないらしかった。


 どちらも、退くに退けないのだろう。

 連邦にとって帝政の打倒は国是であり、絶対的な正義だったし、帝国から見ると連邦は皇帝と血縁関係にあった王侯貴族を滅ぼした仇敵で、帝国の権威と威厳に挑戦する反逆者でしかなかった。

 その戦いは歴史的な経緯に根差した根強い対立と深い憎しみによって彩られ、長く続く戦いによってあまりにも多くのものを失っているせいで、当事者たちは誰もが戦争を終わらせるタイミングを見失ってしまっている。


 連邦と帝国が戦い続けているせいで、第4次大陸戦争から実質的に離脱したはずの王国でも、未だに戦時体制が敷かれている。

 何故なら、連邦も帝国も王国から撤退こそしたものの、正式な講和条約も、休戦条約さえ結ばれておらず、未だに僕らは法的に戦争状態にあるからだ。

 いつ、彼らがまた王国を侵略して来るか分からない様な状態なのに、軍隊の動員を解くというのはあまりにも危険だった。


 連邦と帝国との国境地帯には未だに多くの王立軍が配備され続けており、再度王国に侵略が行われるという事態に備えて堅固な陣地が築かれ、厳戒態勢が敷かれている。

 戦争中に上陸作戦が行われたという経験から、王国の沿岸部分にも警備部隊が数多く置かれ、その後方にはいつでも即応できる予備兵力が一定数準備されて、いつ、どこに敵が攻撃をしかけて来ても即座に反撃できる体制が整えられている。

 退役した軍人などによって組織されている民兵団や自警団なども、多少縮小されてはいるものの、未だに各地で組織されて活動を続けている。


 王国は、戦争を回避するために最後まで対話の道を模索していた。

 だが、対話のために軍の動員を行わないという選択をしたために、そこを「弱点」と受け取られ、攻め込めば容易に片づくものと誤認されて、戦争に巻き込まれてしまった。


 対話が悪いということではない。

 双方の話し合いによって、誰の犠牲も無く、平和に物事が解決できるなら、それ以上のことは無い。


 だが、交渉のテーブルにお互いがつき、その状態を維持するためには、「対話以外の手段では問題を解決できない」、あるいは「対話以外の解決では割に合わない」という状態を作り出さなければならない。


 そのバランスが崩れてしまったために、僕たちは、僕たち自身の血を対価として、平和を取り戻さねばならなくなってしまった。


 この世界に、もしも善人だけが存在するのなら、こんな心配はしなくていい。

 しかし、実際には、この世界には善人も悪人もいるし、連邦と帝国が争い続けている様に、誰かにとっての善人は、他の誰かにとっての悪人であることだってある。

 世界は多様で、複雑で、分かりにくい。


 強固な平和をもたらすためには、正式に講和条約を結ぶことが必要だった。

 不安定な世界で、少なくとも条文化され、誰の目にも明らかな形で約束を交わさなければ、僕たちの不安と恐怖を消去することは不可能だろう。


 王国が戦時体制であり続けているために、僕たち301Aも編成を維持されたままだ。

 大きな戦闘はもう起こらなくなっているのに、僕らの部隊は臨戦態勢が維持され、鷹の巣穴に配備されたまま、訓練と哨戒飛行をくり返している。


 そうしている間に、僕は、もうすぐ20歳になろうとしている。

 来年には兵役の期間も終わって、望めば軍隊を抜けて、民間の生活に戻ることができるようになる。


 だが、連邦と帝国が戦い続けている限りそんなことはできないだろうし、僕はきっと、パイロットとして任務につき続けることになるだろう。


 僕たちは戦闘機パイロットであり、王立空軍でもっとも練度の高い飛行隊として扱われている。

 連邦や帝国と比べて規模が圧倒的に小さい王国では、将兵1人1人が貴重だった。多くの時間と費用をかけて養成されるパイロットは特にそうだ。

 だから、マグナテラ大陸に本当の平和が訪れない限り、僕たちが故郷に帰る日は訪れないだろう。


 故郷は恋しかったが、しかし、王国が戦時体制を解かないでいることには、僕にとってはいい面もあった。

 王国が戦時体制であり続ける限り、僕は大切な仲間たちとお別れをせずに済むのだ。


 301Aは守護天使などと呼ばれてはいるが、そこに所属する僕たちは、戦争が無ければ1つの部隊に集まることも無かっただろう。

 僕たちは何の縁も無く、偶然1つの家族になったのであって、戦争という事象が終われば、解散されてまたそれぞれの道を歩き始めるということを運命づけられている。


 どんなに親しく、心が通じ合う仲にまでなったのだとしても、結局はお別れを言わなければならないのだ。


 それは、僕にとっては、残酷なことだ。

 受け入れるしかないことのはずなのに、僕は、それにきっと、耐えられない。


 戦争は、早く終わって欲しかった。

 僕たちはそのためにこそ戦ったのであって、戦火の中で倒れていった人々の願いでもあった。


 だが、戦争が終わってしまえば、僕は、大切な仲間たちを失うことになる。


 僕は、今も戦闘機に乗って、仲間たちと一緒に空を飛んでいる。

 平穏を取り戻し、ひとまずは敵機に攻撃されることを心配せずに、純粋に空を体験することができる場所が、僕の周囲にどこまでも広がっている。


 戦争が終わって、王国の復興に専念できる時が、少しでも早く来て欲しい。

 僕は心の底からそう願ってはいるのだが、同時に、大切な仲間たちと、約束と絆で結ばれた人と一緒に空を飛ぶことができるこの瞬間が、いつまでも続けばいい。そう思っている。

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