20-25「お前がエースだ」

 やがて、その瞬間は来た。

 僕はレイチェル大尉が機体を増速し、強引に詰めて来るタイミングに合わせて機体を右に横転させ、操縦桿を思い切り手前に引いてスライスバックと呼ばれる回避運動に入った。


 ただスライスバックを行っただけでは、レイチェル大尉を引き離すことは難しい。

 だから僕は、少しだけ工夫をして、薄く主翼のフラップを開き、機体に発生させる揚力を増やして旋回半径を少しでも小さくするのと同時に、エンジンのスロットルを下げて、機体の加速を抑えた。


 スライスバックは、高度は犠牲になるが、速度を得られる空戦機動だ。

 だから、レイチェル大尉はきっと、僕が速度を得て大尉を振り切ろうとしていると考えたはずだ。


 だが、僕は速度を得るのではなく、なるべく抑え、旋回半径を少しでも小さくできる様にフラップまで使った。

 フラップは翼に風を受けさせることで揚力をより大きく働かせることができるが、同時に空気抵抗も増やすから、機体を減速させるという効果も持っている。

 王立空軍の教範に、急降下時にブレーキの代用としてフラップを使うという記述があったのだが、今回はそれを応用した形だ。

 それは戦闘機用の教範では無かったが、同じ飛行機だから、やり過ぎなければ応用もできるはずだ。


 僕は、少しでも速度を抑えたかった。

 僕の狙いが、レイチェル大尉の機体に、僕を追い抜かせることだからだ。

 レイチェル大尉が僕を攻撃するために増速し、距離を詰めてきた瞬間を狙って勝負を仕掛けたのも、このためだ。


 その作戦は、うまく行った。

 レイチェル大尉は僕を速度で上回り、旋回半径でも大回りになって、僕の目の前へと飛び出してくる。


 僕は、呼吸を止め、いつもよりも慎重に狙った。

 僕はもう、目の前に飛び出して来た機体に射撃を命中させるくらいは、簡単にできる。

 だが、相手は、あのレイチェル大尉だった。

 確実に、ここで決めたかった。


 僕は、レイチェル大尉の背後を取るために、速度を抑えるという方法を使った。

 ここでレイチェル大尉を取り逃してしまったら、レイチェル大尉は速度で僕を振り切り、反撃して来るだろう。


 奇策は、1度目だから通じるものだ。

 同じ相手に、2度目も使えるとは思わない方が良い。

 2回目以降はレイチェル大尉も僕の奇策を警戒しているだろうし、僕よりも経験も技術の蓄積も持っているから、対策をしてきてしまうだろう。


 僕がレイチェル大尉に勝てるとしたら、この瞬間しかなかった。


《ばんばんばん! 》


 射撃を宣言すると、ハットン中佐とナタリアが、《命中とする》《当たっていますネ! 》と判定を下した。


 撃墜判定だ。


 信じられない!

 僕は、レイチェル大尉を撃墜することができたのだ!


 模擬空戦を終えると、僕とレイチェル大尉は編隊を組みなおして、ハットン中佐とナタリアと再度、合流した。


 僕はレイチェル大尉に勝つことができてとても嬉しかったが、同時に、やっぱりおかしい、とも感じていた。


 もしかすると、レイチェル大尉は、手加減をしていたのではないか?

 そんな疑念が、頭をよぎる。


《ミーレス、さっきは見事だったな! フラップを使うってのは、なかなか面白いアイデアだった》


 僕がどう反応すればいいのか迷っていると、レイチェル大尉から無線が入って来た。

 負けてしまったというのにも関わらず、何だか、上機嫌な様子だ。


《これで分かっただろう? お前をあたしらの切り札に乗せた理由。お前はな、強いんだよ》

《で、ですが、大尉! 》


 僕はまだ、レイチェル大尉が本当のことを言っていると信じることができなかった。

 大尉が嘘をつくことなどあり得ないと、そう分かっているのにもかかわらず。


《ぼ、僕が乗っている機体は、改Ⅱですし、改よりも性能が上です! 僕の実力で勝ったとは思えません! そ、それに! 大尉、手加減をされていたのではないのですか!? 》

《おいおい、買いかぶってもらっちゃ困る。お前はちゃんと実力であたしに勝ったんだよ。お前の腕と、頭を使ってな。立派なもんさ。……ま、ナタリアが、お前を改Ⅱのパイロットにって推薦した時は、驚いたがな》

《ハーイ! ミーレス、私があなたを推薦したデース! 》


 レイチェル大尉の言葉に続いて、ナタリアの嬉しそうな声が耳に響く。

 どうやら、僕をベルランD改Ⅱに乗せようと言い出したのは、ナタリアだったらしい。


《ミーレス、お前、雷帝と最後、ほとんど一騎打ちだっただろう? その時、一時的にとはいえ、奴と渡り合ったそうじゃないか。……半信半疑だったが、さっきの模擬空戦で、あたしもそれを信じた。ミーレス、お前は自分で思っているより成長していたんだ。今じゃ、お前があたしらの中で一番、飛ぶのが上手いんだ》


 僕は、戸惑っていた。


 レイチェル大尉と言えば、いつも厳しく僕らをしったし、時に励ましてもくれた、恐ろしくも頼れる教官であり、上官だった。

 そのレイチェル大尉からこんな風に褒(ほ)められることなど、僕は、これまでに1度も想像したことが無かった。


 嬉しい、という気持ちよりも、これは本当に現実なのかという思いの方が圧倒的だった。

 昨日の、ライカを見送った時の出来事といい、何だか、現実感が無い様な気がする。


 僕は、夢を見ているのではないだろうか?


《ミーレス伍長。こういうわけだから、私も君が切り札に搭乗することをに賛成する。君は、君こそが、301Aのエースパイロットというわけだ》


 だが、ハットン中佐にもそう言われたてしまったことで、僕は、これを現実だと信じざるを得なくなってしまった。


 手が、震えて来る。


 僕は、どうやら本当に、この作戦で、いや、この戦争で、一番重要な役割を任されることになった様だった。


 レイチェル大尉や、ハットン中佐、そしてナタリアに実力を認められ、信頼されたこと。

 それは、飛びあがりたいほど、嬉しいことだった。


 だが、僕が、切り札に乗って戦う。

 あの、雷帝を倒す。


 その責任はあまりにも重く、僕はプレッシャーに負けて押しつぶされてしまいそうだった。


《ミーレス。一番難しい役回りを経験の浅いお前に任せることになっちまって、悪いとは思ってる。こういうのは、本当はお前の先輩であるあたしがやらなきゃいけないこと何だろうが、けどな、今回の作戦は失敗できない。純粋に、実力だけで選ぶしか無いんだ。……分かるな? ミーレス》

《……、はい》


 僕は、少し震えた声で、どうにか肯定する。


《そういうわけだから、お前に王国の命運を託す! 私が必ずチャンスを作ってやるから、お前は、雷帝を倒せ! 》

《雷帝の僚機は、私と中佐サンに任せるネーっ! 》

《私も年だが、なぁに、何とかして見せる。今までも、私たちはいつでもそうだった。今回もきっと、うまくやれる。そしたら、全員でカンパイだ! おっと、君はまだ未成年だったな。なら、成人した時に備えて、とっておきの1本を用意しておこう! 》


 僕は、仲間たちの声を聞きながら、歯を食いしばり、無線機のスイッチを入れないまま、操縦席の中で大声を出して叫んだ。

 叫んで、息を吸って、叫んで、また息を吸って、また叫んだ。


 今、空にはいない、人々の姿が浮かんでくる。


 アリシア。父さんに、母さん。弟や妹たち。

 僕の家族。僕の家。にぎやかで愉快な牧場(まきば)の動物たち。


 それに、僕の仲間たち。

 ジャックに、アビゲイル。地上で待っている2人は今、どんな気持ちで、空を見上げているのだろう。

 そして、ライカ。

 彼女の目の治療は、うまく行っているのだろうか。


 それから、マードック曹長に、カルロス曹長。

 2人共、まだ、この空のどこかにいて、僕たちのことを見守ってくれているはずだ。


 僕に任される役割は、重大だ。


 王国という国家の運命、そこに暮らす人々の未来。

 僕の仲間と、家族、大切な人々。

 僕を生かすために傷つき、死んでいった人々。王国のために、僕と同じ様に大切な人々を守るために散っていった、たくさんの兵士たち。


 僕は、その人たち全ての想いを乗せて、この空を飛ぶ。


 叫び終わると、僕の手の震えが止まった。


 それから、僕は無線機のスイッチを入れて、決意を言葉にする。


《はい! 僕が必ず、雷帝を倒します! 》

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