20-3「苦悩」

 王国の反攻作戦、Aiguille d’abeille作戦が開始してから、もう、1ヶ月以上が経過してしまった。


 帝国軍が体制を立て直し、本格的な反撃に出てくることが予想される時まで、あまり多くの時間は残されていない。

 偵察機からの情報によると、フィエリテ市の東方、150キロメートルあたりの地点に、帝国軍の増援部隊の先遣隊が展開しつつあり、王立軍に対する反撃の橋頭保を築きつつあるとのことだった。


 帝国軍はその本土から多くの輸送列車を次々と出発させて、前線後方の根拠地となったかつての王国と帝国の国境地帯の基地に、続々と増援を送り込み続けている。

 帝国軍の先遣隊が僕ら王立軍に対する反撃作戦の準備を整えれば、国境付近に集まっていた帝国軍の増援部隊は一気に前線へと移動して、臨戦態勢を整えてしまうだろう。


 王国は、帝国軍が反撃に打って出て来るまでのタイムリミットを、Aiguille d’abeille作戦開始から約2カ月と見積もっていたが、それはどうやら、早まることはあっても遅くなることはなさそうだった。

 それまでの間にフィエリテ市に籠もる帝国軍を制圧できなければ、王国は2度と、勝利へのチャンスをつかむことができないだろう。


 今すぐにでも、帝国の空中補給を停止させなければ。

 空中補給さえ無くすことができれば、フィエリテ市に包囲されている帝国軍は、間違いなく瓦解(がかい)する。


 フィエリテ市で孤軍となって抵抗を続けている帝国軍は、王立軍の攻撃によって弱体化しつつあるのは、確実だった。

 包囲戦の開始当初は数多くみられた帝国の戦車や装甲車両などはほとんど見かけなくなり、また、火砲の類も、消耗して破損したのか、砲弾が尽きたのか、王立軍に向けて発砲される回数が大きく減った。


 そして、その将兵も、段々と体力がなくなって来ている様だった。

 帝国軍はなおも士気旺盛で、王立軍による砲撃や爆撃でその陣地をほとんど破壊されてしまっても王立軍に対して反撃を試みて来るのだが、その姿は段々とやつれ、痩(や)せ細りつつあるらしかった。


 空中補給だけでは、フィエリテ市に孤立している20万名もの帝国軍に必要な物資を送り届けることはやはり、難しいのだろう。

 その状況は、王立軍に鹵獲(ろかく)される投下物資の中で、武器や弾薬の量が減り、食糧や医薬品などの割合が増えてきていることからも察することができる。


 フィエリテ市は王国の首都で、大都市だった。

 そういった大都市というものには大勢の人間が暮らしているもので、必然的に、数多くの物資が日ごろから備蓄されている。


 そこを占領した軍隊は、強制的な徴発や略奪などによって都市に蓄えられた物資を奪い、長期間自活することができるのだが、フィエリテ市の場合はそれができず、帝国軍は飢えに苦しんでいる様だ。


 フィエリテ市は、すでに連邦軍によって長期間に渡って占領された後で、また、そこに暮らしていた人々もほとんどが市外へと脱出し、そこに居座っているのは軍隊の兵士たちだけ、という状況が長かった。

 民間人がいないということは、自然な経済活動によって外から新たに物資が運び込まれることが無いということで、元々市街に蓄えられていた物資は、すでに連邦軍がその多くを消費してしまっていた。


 それに加え、僕たちが帝国軍をフィエリテ市に封じ込める以前には、そこで連邦軍が帝国軍によって包囲されており、その戦いは長期間に渡って続けられた。

 最終的に連邦軍は降伏し、帝国軍が勝利者となったのだが、その時の連邦軍の消耗しきったあり様は、かなり酷かったらしい。


 帝国からのプロパガンダ放送でその様子は盛んに報じられていたから、僕たちは誰もがそれを知っている。

 連邦軍が降伏した時、栄養失調の状態にあった兵士は数多くいて、中には自力で立てない者さえいたらしい。

 降伏の書類にサインをした連邦軍の将校も、長い包囲戦のために飢えており、衣服もボロボロの状態で、それを見るに見かねた帝国軍の側から連邦軍のものに似せた軍服などを支給され、とにかく恰好だけはつけさせて降伏の式典に臨ませたという話もある。


 こういった状況だったから、帝国軍がフィエリテ市を占領した時、そこには利用できる物資が残っていなかった。

 王国がAiguille d’abeille作戦を開始し、フィエリテ市を包囲するまでの間に2週間の時間があり、その間に帝国軍は多くの物資をフィエリテ市に運び込んでいたはずだ。

 だが、都市にあったはずの物資を少しも使うことができない状況では、それらの物資では全く足りなかった様だ。


 前線では、少しずつ、王立軍の捕虜となる帝国軍の兵士が増えている。

 帝国人は誇り高く、時に尊大で、頑迷であることで知られてはいるものの、それぞれに程度の差というものは存在し、飢えと包囲されているという心理的な圧迫から、降伏を選ぶ者も徐々に出てきている。


 その捕虜から得られた情報によると、フィエリテ市に籠もっている帝国軍では食糧の不足が深刻で、現在は1日に缶詰1つ、もしくは固焼きのパンが2個という様な状況なのだそうだ。

 それでも良い方で、一部の部隊では糧食がほとんど尽き、薄いスープを1杯飲めるだけという日もあるらしい。

 これは、かつて僕らが直面した飢えの危機よりも、もっと酷い状況だ。


 フィエリテ市の帝国軍は、かつて、彼らが包囲していた連邦軍と同じ様な状態に陥(おちい)りつつある。


 わずかに続いている食糧の配給も、空中補給さえ止めることができれば、完全に停止させることができるだろう。

 帝国軍がフィエリテ市に備蓄しつつあった食糧のほとんどはすでに消費されてしまっており、空中補給によって投下される物資だけが、帝国軍を支えている。


 その空中補給を、止めることができれば。

 帝国軍の士気は必ず崩壊して、抵抗を断念するはずだ。

 戦いたくても、武器も、食糧も無いのだから、そうする他はなくなる。


 だが、帝国軍も空中補給の重要性はよく理解しているから、僕らの迎撃は簡単には行かなかった。

 僕たちは出撃をくり返しているが、相変わらず、空振りが続いている。


 僕らパイロット自身も心苦しかったのだが、いちばん辛い思いをしているのは、ハットン中佐だった。


 ハットン中佐はDéraillement作戦の指揮官として、僕らの出撃の計画を立てている。

 帝国軍のこれまでの動きから、いつ空中補給を行うかの予測を立て、少しでも会敵できる確率の高い時を狙って僕たちを出撃させるのだが、それがどうしてもうまくいかない。


 中佐は、僕たちを不安がらせないためにそんな素振りは少しも見せていなかったが、内心では大きな責任を感じているはずだ。


 元々敵の飛行を正確に予測することは不可能に近い芸当だったし、そもそも、与えられた戦力があまりにも小さいのだから、誰が指揮をとったとしても結果は大して変わらない。

 それは僕でも、誰でも分かることなのだが、それでも、ハットン中佐は悩んでいる様だ。


 ハットン中佐は、酒好きで知られている。

 これは浴びる様に飲むということでは無く、毎晩ささやかな晩酌をいつも楽しみにしているということだ。

 しかも、中佐が秘蔵している酒は、どれも逸品ぞろいであるらしい。


 ハットン中佐は趣味のいい酒飲みということで、節度を持って飲酒していたのだが、Déraillement作戦が開始されてからは一滴も酒を口にしていない様だった。


 毎日の楽しみとして習慣化していたものを、すっかりやめてしまっている。

ハットン中佐の頭の中には常に、毎日の楽しみを躊躇(ためら)わせるような、または忘れさせてしまう様な苦悩があり続けているのに違いなかった。


 精神的な疲弊(ひへい)というのは、隠そうと思っても、表に出て来てしまうものだった。

 鷹の巣穴には十分な食糧の補給があるのだが、ハットン中佐は日に日にやつれていっている様で、毎日顔を合わせている僕らは、その変化を見守っている。

 ハットン中佐は僕らの前ではなるべく落ち着いて堂々とした態度を見せる様にしているから、僕たちも何も言わないのだが、心労でいつか倒れるのではないかと心配している。


 王国が置かれている苦境も、ハットン中佐の苦悩も、僕たちがカイザー・エクスプレスの迎撃に成功し、帝国軍の空中補給を止めることさえできれば、一気に解消される。


 それなのに、僕らはその機会さえ、得ることができないでいる。


 こんなに苦しい思いをするのは、生まれて初めてだった。


 僕たちは戦って勝つために、ありとあらゆる努力を積み重ねて来た。

 だが、その結果身に着けた実力を発揮して、勝負を挑む機会さえ手に入らない。


 もどかしい。

 悔しい。


 帝国は今日も、僕たちをあざ笑うかのように物資を投下し続け、帝国軍はそのわずかな物資を精神的な支柱として、頑(かたく)なに抵抗を続けている。


 もう少しで、この戦争を終わらせることができるかもしれないのに。

僕らの手は、そこに届かない。

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