19-24「上空」

 夜空に、航空機のエンジンが回る爆音が、幾重にも重なり合っている。

 敵は100機以上で襲来しつつあるということだったが、鷹の巣穴にもそれと同じか、それ以上の数の戦闘機部隊が展開している。

 それが、次々と飛び立っていく。


 帝国軍の攻撃は、少なくとも、王国側の航空撃滅戦を停滞させるという点では、間違いなく効果があっただろう。

 今の王国に、貴重な爆撃機を護衛機無しで敵中に向かわせるということはできない。だから、今朝予定していた出撃は中止だ。

 爆撃機部隊は敵からの攻撃を避けるために戦闘機部隊に続いて飛行し、安全な空域を目指して退避することになるだろう。


 だがこれは、僕らにとっては、かえって望ましい状況だった。


 帝国軍は僕ら王国と同じ様に、その航空戦力を守るために兵力を各地に分散、隠蔽し、攻撃によって容易に撃破されない様に厳重に守りを固めていた。

 僕らは作戦の初日に帝国の主要な航空基地を攻撃して戦果をあげたが、それでも、帝国軍がそうやって備えていたおかげで、打ち漏(も)らしは多かった。

 今、100機以上の帝国軍機が向かって来ているのが、その何よりの証拠だ。


 事前の偵察活動によって王国はなるべく帝国軍機の展開状況を把握しようと努めてはいたが、それでも、その全てを知ることはできていない。

 帝国は僕らがまだ知らない飛行場をいくつも持っているだろうし、そこには、僕たちに反撃するために飛んで来ることができる敵機がたくさんいる。


 僕たちがどんなに執念を燃やして帝国軍の飛行場を攻撃し続けたとしても、そこに隠れている敵機の全てを撃破することは難しいはずだった。


 それが、帝国の方から向かって来てくれたのだ。


 鷹の巣穴に向かって飛行して来る敵機の数は、1分単位で、少しずつ増えていった。

 帝国は王立軍による大規模な反攻作戦に対応するため、鷹の巣穴を叩いて航空優勢を取り戻すつもりでいるのだから、そのためにありったけの戦力を投入することは当然の選択だった。

 小出しに戦力を投入していい結果を得られるというのは、あまり聞かないことだ。帝国は今すぐに投入できる戦力は全てつぎ込んできていると思っていいだろう。


 もし、帝国によるこの反撃が成功すれば、Aiguille d’abeilleは失敗に終わる。


 だが、逆に、ここで帝国軍機のほとんどを撃墜、撃破することができたとしたら。

 僕たちは今後、帝国軍の、どこにあるのかも分からない飛行場を虱潰(しらみつぶ)しに攻撃する必要が無くなるし、フィエリテ市周辺に展開する帝国軍機を、ほぼ完全に消滅させることができる。

 王国は当面の間、航空優勢を確立し続けることができるのだ。


 帝国軍は僕たちが飛び立つ準備をしているところを襲い、駐機場などに並んでいる無防備なところを攻撃したかったのだろうが、王立軍側の防空網は開戦当初の様な隙のあるものでは無くなっていたし、この1年間の間に、その運用にも習熟しつつあった。

 敵機の接近を警戒網で探知する精度が大きく上昇していたし、探知してからの連絡体制も整えられ、迎撃までの意思決定が少ない時間でできる様になっている。

 帝国は攻撃する側が持つ、いつ、どこに攻撃を加えるかを選択できるという特質を利用し、戦いの主導権を握ろうとしたが、僕らはかつての僕らではない。


 帝国軍が鷹の巣穴の上空へ到達する前に多くの王立空軍の戦闘機が空中へと飛びあがり、そして、防空指揮所からの誘導を得て、最適な迎撃位置につくことができた。

 連邦のグランドシタデルの様に高度10000メートルで侵入して来る敵機に対してだったら、警報の発令から20分以内ではとても迎撃高度に上がることはできなかっただろうが、高度が3000とか4000であれば、何とか間に合う。

 多くの戦闘機部隊が出撃の準備中で、警報の発令から5分以内に出撃を開始できたことも、僕らにとっては幸運だった。


《各機、敵は目の前だ! 警戒を怠るな! 》


 フォルス防空指揮所からの最終誘導を受け、針路をわずかに調整した僕らは、レイチェル大尉からの指示を受けて、夜空に目を凝らした。


《いた! 12時の方向に、排気炎! 》


 最初に敵機を発見したのは、アビゲイルだ。

 いつも、彼女の視力の良さには驚かされる。


《了解、こっちも確認した! ははァ、大軍だな! 喜べ、者ども! 食い放題だぞ! 》


 レイチェル大尉は豪胆に言い放つ。

 敵が多いということは、そこに突っ込んでいく僕らの危険も大きいということだったが、こんな風に言われると、不安よりも、やってやるぞ、という気持ちの方が大きくなってくるから、不思議だ。

 レイチェル大尉は元々こういう好戦的で豪快な性格の人だったから素でこんな風に言っているのかも知れなかったが、もしかすると、僕らを鼓舞するために、わざとこんな言い回しを選んでいるのかもしれない。

 指揮官というのも、何だかんだで、大変なのだろう。


 階級があがって、僕はレイチェル大尉にどう対応すればいいのかと少し戸惑ったこともあったが、結局、何も変わっていない。

 大尉は、大尉であって、僕たちの指揮官だ。

 僕は、レイチェル大尉の指揮で戦うだけのことだ。


 夜空にもう一度目を凝らすと、ようやく、僕にも敵機が見えた。

 星明りしかない空だったから、シルエットがおぼろげに見えるだけだったが、飛行機らしい形と、エンジンからの排気炎が視認できる。


 機種ははっきりとは判別できなかったが、たくさんの双発機が飛んでいる様だった。

 帝国軍の爆撃機で、間違いなさそうだ。


《よォし! どうやら、あたしらが一番槍だ! 各機散開しろ、攻撃開始だ! だが、深追いはするな、味方の対空砲火の邪魔をするんじゃないぞ! ここを通過しようとする敵機を墜とすんだ! 》

》》》》


 僕たちはレイチェル大尉の指示に答え、機体を散開させて空中戦を行うのに十分な間隔を取り、敵の大編隊に向かって突撃を開始した。


 帝国軍にも迎撃の戦闘機がいるはずだったが、どうやら、夜間のためにこちらの発見が遅れたらしかった。

 僕たちだって、地上からの管制支援が無ければ、敵機を発見できなかっただろう。


 僕たちは何の妨害も受けることなく敵機に接近し、照準を定める。

 僕らの接近にようやく気がついた敵機から防御射撃が浴びせられるが、もう、遅い。

 ベルランD型に装備された5門もの20ミリ機関砲が一斉に火を噴き、敵機の排気炎目がけて曳光弾の軌跡が吸い込まれていく。


 暗闇の中にいくつもの火の玉が生まれ、流れ星の様に光の尾を引きながら、まだ暗い夜の中にある王国の大地へと墜ちていった。


 敵機を一撃で屠(ほふ)ると、僕らは鋭く弧を描きながら旋回し、次の獲物を見定める。

 目印となるのがエンジンの排気炎だけだから、これは、大変な仕事だ。

 ベルランにも、機上で運用できるレーダーが欲しくなってくる。


 視界不良のために捕捉に失敗し、僕たちの目の前を通過して行ってしまう敵機も多かったが、レイチェル大尉の指示通り、僕たちは無理に深追いすることは無かった。

 迎撃に上がって来ている友軍機は僕たちだけでは無かったし、この先には王立軍の対空陣地が、準備を整えて待ち受けている。


 王立軍は連邦軍による戦略爆撃に対処するために、夜間空襲への対抗策を実戦経験で学んでいた。

 だが、夜間で視界が悪いために敵か味方かすぐに識別することは難しく、夜空へと向けられた対空砲は、敵だろうが味方だろうが、受け持ちの範囲に進入した機体には、遠慮も容赦もなく撃ちまくって来る。

 その対空射撃は熾烈(しれつ)なものとなるはずで、その中に巻き込まれてしまっては大変なことになる。

 もう、対空砲に撃ち落とされるのは、こりごりだ。


 敵の数は多かったから、深追いなどしなくても、僕たちは獲物には困らなかった。

 待っているだけで、次から次へと、向こうからやって来る。


 爆弾投下前の爆撃機は急な進路変更をすることができず、回避運動も最小限のものとならざるを得なかったから、その位置さえ分かってしまえば、撃墜することは難しくはない。

 僕たちは新しい獲物を見つけては次々と襲いかかって行き、戦果を重ねていった。


 暗い空でくり広げられたその戦いは、辺りにエンジンの爆音と、翼が風を切る音を響かせながら、15分以上にも渡って続けられた。

 帝国軍機は最終的に150機以上もの数で来襲したが、王立空軍も80機以上の戦闘機を出撃させて激しく応戦し、結果的に、この日の迎撃戦は、王立軍の反抗作戦中でもっとも大きな空中戦へと発展していった。


 やがて、夜が明けると、そこにはもう、帝国軍機の姿は無かった。

 彼らは鷹の巣穴への爆撃を終えて撤退して行ったからだが、明け始めた空に向かって立ち上る、撃墜された機体からのいくつもの黒煙が、戦いの規模の大きさと、その激しさを物語っていた。


 僕はこの戦いで少なくとも3機を撃墜したはずで、確かな手ごたえを得ていたのだが、手ごたえを得ていたのは、どうやら僕だけではない様だった。


 帝国軍の迎撃に出撃した王立空軍の戦闘機部隊は、この日の空戦で多数の撃墜戦果を報告した。

 夜間で視界が悪かったこともあってその報告は過大かつ不正確なもので、報告の内で正確なものは全体の3割ほどでしかないと判定されたが、それでも、50機機近くもの帝国軍機が撃墜されたと認定された。


 1度の空中戦としてはかなり大きな戦果だったが、それが戦闘機部隊によるものか、対空砲火によるものかははっきりとはしないものの、帝国軍がそれだけの機体を失ったことは確実だった。

 何故なら、鷹の巣穴の周辺で、それだけの数の帝国軍機の残骸が発見されたからだ。


 これに対して、失われた王立空軍機は10機にも満たなかった。

 しかも、その損失の半数以上は、夜間の視界不良のために着陸に失敗したために生じたものだ。

 爆装した身重な爆撃機を、高速で重武装を持つ戦闘機で、しかも地上からの管制支援を受けながら襲ったのだから当然の結果かもしれなかったが、それでも、この戦いが意味するところは大きい。


 帝国軍は多数の爆撃機を失い、王立空軍、あるいは王立陸軍に対して、大規模な攻撃を実施することが不可能となった。

 帝国軍は増援を送り込んで来るだろうが、フィエリテ市の周辺の局地的な戦力差を覆すことは、ずっと難しくなっただろう。


 つまり、Aiguille d’abeille作戦を戦う中で、王立空軍が航空優勢を確保し続けるということが、ほとんど確実なものとなったのだ。

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