19-10「撤退」

「帝国軍は撤退を始めています。間違いありません! 」


 ハットン中佐の執務室へと入るなり、レイチェル中尉は中佐の執務机を、バン! と叩いて、そう言い切った。

 ハットン中佐の執務室の扉は、相変わらず多忙のために開かれたままだったから、廊下にまでその声はよく響いた。


 レイチェル中尉の後をこっそりとつけて来た僕たち、ジャック、アビゲイル、ライカ、そして僕、に、加えてナタリアの計5人は、お互いに顔を見合わせた。

 何故なら、僕たちの目には、帝国軍は揚陸作業を続けている様にしか見えなかったからだ。


 第一、撤退を開始しているというのなら、帝国軍が現在行っている猛烈な砲撃は、いったい何のためだと言うのだろう。

 あれは、王立軍の陣地に向かって突撃を開始する前の準備砲撃に違いない。そうとしか僕には思えなかった。


「中尉。君がそう判断した根拠を、聞かせてくれ」


 勢い良く言い切ったレイチェル中尉に、ハットン中佐はしばらくしてから、穏やかな声でそうたずねた。

 はっきり言って、中尉が取った行動は上官に対して無礼なものではあったが、中佐はその様な些細(ささい)なことは気にしていない様だった。


「では、ご説明いたします。自分がこの様に考えましたのは、ソレイユ港を出入りする帝国軍の輸送艦の喫水線を見たからであります」


 ハットン中佐の問いかけに答えるレイチェル中尉の主張は、まとめてみると以下の様になる。


 船というものは水から受ける浮力によって浮かんでいるわけだが、たくさん荷物を積んで重くなれば、その重くなった分だけ余計に沈みこみ、逆に荷物を降ろして軽くなれば、軽くなった分だけ浮かび上がる。

 もし帝国軍が揚陸作戦を続けているのであれば、ソレイユに入港する船は喫水線が深く、ソレイユから出港する船は喫水線が浅くなっていなければならない。

 そのはずなのだが、実際には、ソレイユに入港して来る船の喫水線が浅く、ソレイユから出港していく船の喫水線が深くなっている。


 つまり、帝国軍は空の輸送艦を入港させ、そこで帝国軍の将兵を満載して、出港して行っているというのが、レイチェル中尉の主張だった。


 僕たちは、もう一度お互いに視線を交わしあった。


「なぁ、誰か、船の喫水線、見てた? 」

「いや、僕は全然、気がつかなかった」

「私も。よく見ていなかったし」

「私も分からないデースね」


 ジャックの問いかけに僕たちは小声でそう答えたが、アビゲイルだけは少し悩んでいる。


「あたしが見た感じだと、もしかすると、中尉が言っている通りだったかも。意識して見てなかったから、分かんないけど」


 彼女にしては歯切れの悪い物言いだったが、アビゲイルは僕らの中ではもっとも視力がいい。僕らには見えていなかったことが見えていても不思議ではない。


「しかし、中尉。帝国軍は現在、友軍に対して猛烈な砲撃を行っている。これは、攻勢を前にした準備砲撃ではないのか? 」

「それは脅しです! 撤退中に王立軍に攻撃を受ける、それは帝国にとって最悪の事態でしょう。ですから、それを欺瞞(ぎまん)するために、こっちに攻勢をかけるぞと、そういうフリをしている。……カルロス軍曹にも確認しましたが、軍曹も同意見です。あたしは、確信しています! 」


 疑問を投げかけるハットン中佐に、レイチェル中尉はそう断言した。

 どうやらカルロス軍曹が僕たちについて来ていないのは、事前にレイチェル中尉と話し合い、同じ結論に至っていたためであるらしい。


「分かった。……では、直ちに帝国軍への追撃を行う様に、上層部にはそう進言しよう」


 数分の沈黙ののち、ハットン中佐はレイチェル中尉の進言を、全面的に受け入れることを決めた様だった。


「ハッ! 感謝いたします、大隊長殿! 」


 レイチェル中尉が踵(かかと)をそろえ、ハットン中佐に敬礼をしたのだろう音が廊下に響くと、僕たちは盗み聞きをしていたことがバレない様に解散した。


 レイチェル中尉の考えが真実を突いているのであれば、これは、確かに好機だった。

 帝国軍が撤退中ということであれば、そこに追撃をかければ大きな損害を与えることができる。


 ソレイユ港に入港し、出港して行く輸送艦を攻撃すれば大きな成果を出せることは誰もが理解をしていたが、王立軍では帝国軍による攻勢に対応することを優先し、それを攻撃せずに放置していた。


 本当なら、帝国軍の輸送艦も、突撃の準備が行われているはずの敵の陣地も、両方とも攻撃したいところだったが、先日の損耗により、王立空軍には十分な数の爆撃機が無い。

 取捨選択(しゅしゃせんたく)をしなければならない状況下で、砲撃の後に来ると予想される帝国軍の突撃を阻止することの方が重要だという判断がされて、僕たちは帝国の輸送艦を見逃していた。


 だが、帝国軍が王立陸軍に対して現在行っている砲撃が脅し、一種のカモフラージュだというのなら、話しは別だ。

 帝国の輸送艦を攻撃してしまえば、帝国軍は撤退することができなくなる。

 その上、兵員の補充や武器弾薬、物資などの補給も無くなる。そうなれば、僕たちは帝国軍を海岸線へと追い詰め、包囲し、その大多数を討ち取るか、降伏させることができるだろう。


 もし、これが成功すれば、王国は帝国に対して、この戦争が始まって以来の大勝利を得ることになる。


 そして、どうやら王立軍は、レイチェル中尉の見立てを信じた様だった。


 ハットン中佐からの進言を受けた王立軍は、撤退中の帝国軍に対し、全力を持って追撃をかけることを決定した。

 この決定を受けて、王立空軍では、現在王国の東海岸に投入することができる全部隊に対し、その日の夕方には出撃準備命令が下されていた。


 残存する全ての爆撃機部隊に帝国の輸送艦への攻撃命令が下され、前線の近くにまで進出していた防空旅団の戦闘機部隊には、再び爆装してソレイユに積み上げられた軍需物資を破壊する様に命じられた。

 僕たちは、その攻撃を支援することになる。


 そして、この攻撃は、大成功だった。


 戦場の上空には再び帝国軍の艦上戦闘機が姿を見せる様になっていたが、その数は少なく、僕たち戦闘機部隊は数の有利を生かしてそれを蹴散らした。

 そして、航空優勢を王国が掌握している中で、爆撃部隊、爆戦部隊はソレイユ港に停泊中の帝国軍の艦船と、そこに集結していた帝国軍へと襲いかかり、縦横無尽に爆弾を投下しまくった。


 たくさんの帝国軍の輸送艦が、火災による黒煙をあげながら沈没していった。

 それだけではない。ソレイユ港に山積みにされたままになっていた帝国軍の弾薬が爆撃によって誘爆し、巨大な爆煙が天高く立ち上るのさえ見えた。


 帝国軍側の対空火器による反撃は活発で、低空に舞い降りて行って攻撃を加えた機体を中心として王立空軍側にも損害は出ていたが、それでも、こちらが受けた被害よりもずっと多くの被害を帝国軍に与えることができたのは、間違いなさそうだった。

 しかも、沈没した帝国軍の輸送艦によって、ソレイユ港は使用不可能となってしまった。

 沈んだ何隻かの輸送艦が港の出入り口を封鎖してしまい、それをどかさない限り、どんな船舶の入港も、出港も、もう行うことができない。


 この攻撃を境として、帝国軍による王立軍への攻撃は、一気に尻すぼみとなって行った。

 弾薬の補充の目途が立たなくなり、砲弾を温存しなければならなくなったからだろう。

 元々撤退するつもりだった帝国軍は、将兵の撤収を優先し、「どうせ残していくものなのだから、使い切れ」くらいのつもりで撃ちまくっていたのかもしれないが、撤退の道が絶たれたことで、弾薬は捨てていくものから、慎重に使わなければならない貴重品へと変わった。


 そして、王立陸軍による反撃が再開された。

 僕たち王立空軍も毎日のように出撃し、王立陸軍の部隊への支援を行ったが、反撃は順調に進んで行った。


 レイチェル中尉の判断は、正しかった。

 後になってから明らかになったことだが、帝国軍は、王立空軍と王立海軍が挑んだ決戦によって実際に大きなダメージを受けており、その戦いがあった日の夜には、すでに撤退を開始する決定を下していたのだ。


 王国の東海岸には、そこに展開させた王立軍の部隊よりも、もっとたくさんの帝国軍が展開しているはずだった。

 だが、補給を失った帝国軍は脆(もろ)く、そして、その数は、予想されていたものよりもずっと少なかった。


 撤退を開始していた帝国軍は、王国に対してカモフラージュの猛砲撃を加えながら、兵員を中心に脱出を開始しており、王国の土を踏んだその兵力の内、半数以上をすでに海上へと運び出していた。

 残っていた兵力は、王立軍よりもずっと少なくなっていたのだ。


 その上、あれほど強力だった帝国軍の機動部隊は、大きく弱体化していた。

 偵察機の報告によって、未だに数隻の航空母艦が健在でいることが確認されたが、その数は明らかに減っていた。

 王国の東海岸上空における帝国軍機の活動は低調だった。母艦を失ったことにより、同時に多数の艦上機が巻き添えとなり、母艦と一緒に海の底へと沈んでいったためだ。

 僕たち王立空軍は王立陸軍が反撃を行う間中、戦場の航空優勢を確保し続け、王国に上陸し、補給と脱出の道を断たれた帝国軍はどんどん、追いつめられていった。


 決着がつくまでには、王立軍が帝国軍を追撃し始めてから、1週間以上が必要だった。

 だが、最終的に王立軍は海岸線から全ての帝国軍を駆逐し、脱出できずに残っていた帝国軍の将兵のうち多数を降伏させることに成功した。


 そして、ソレイユ港に立て籠もっていた最後の帝国軍部隊が降伏したその日、洋上に残っていた帝国軍の艦隊は、とうとう、完全に姿を消した。


 帝国軍は、ついに撤退したのだ。

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