16-20「離脱」
僕は敵機への攻撃を終了すると、彼らからの防御射撃から逃れるため、機体をほとんど垂直に降下させて離脱を図った。
敵機は離脱していく僕へしつこく射撃を続け、僕の視界の左右を敵機から撃ち出された曳光弾がまばらに通り抜けていく。
正面に、雲が迫る。
僕は、このまま雲の中に突っ込むか、避けるかを迷う。
雲というのは、地上から見上げる分にはのどかなもので、ふわふわ浮かんでいるだけでとても平和に見える。
だが、飛行機にとっては危険な存在だ。
雲の正体は、大気中に浮遊する微粒子などを中核としてできた小さな水滴や氷などの集まりで、その雲が氷でできていようものなら不具合の元だ。
機体に氷が付着すれば操縦が効かなくなるし、エンジンの吸気口に氷が入り込んで塞がれでもしたら、たまったものではない。
それに加えて、雲の周囲では大気の流れが乱れていることがあり、その空気の流れが強いものであった場合、僕は機体の姿勢を維持できなくなってしまう。
結局、僕は雲の中にそのまま突っ込むことにした。
今日の空には雲が多いという予報が気象班から出されていたが、雨や雪になるという予報は出ていない。
だとするのなら、同じ雲でも、比較的危険の小さな雲であるはずだ。
それに、敵機からは執拗(しつよう)に射撃が浴びせられ続けている。
垂直に急降下したことでかなり距離が開いているはずだったが、まぐれ当たりでもしたら嫌だ。
そう考えた僕は、雲を避けるよりも、その中に逃げ込むことを選んだ。
雲の中では、視界が一気に暗くなった。
外からは真っ白に見える雲だったが、中に入ると光が遮(さえぎ)られるために暗くなる。
こうなると、計器だけが頼りだ。
僕は機体に氷がついたりせず、計器が確実に作動し続けることを願いながら、その表示を凝視(ぎょうし)した。
風防に水滴がついたかと思うと、風で次々と吹き飛ばされていく。
高度計の針が、くるくると回り、機体が急降下し続けていることを示している。機体の姿勢を示す計器の表示は、僕の機体がほとんど垂直に降下し続けていることを示している。
速度は、まだもう少し出ても大丈夫だ。
とにかく、僕はこの雲から早く出たかった。
僕が雲の中を飛行していた時間は、あまり長くは無かった。
僕が飛び込んだ雲はさほど厚みがあるものでは無かった様で、唐突に視界が開け、王国南部に広がる島嶼(とうしょ)群と、美しい海の光景が目の前に広がった。
速度がかなりついていたため、僕はゆっくりと機首を起こす。
高速機として設計されているベルランD型は急降下で速度がついている状態でも耐えられるよう、制限速度にはかなりの余裕が設けられていたが、敵機からの反撃をほとんど無傷で乗り切ることができたのに今更事故を起こしたくはないから、僕は慎重だった。
僕は機体を水平の状態にまで戻すと、周囲を見回して近くに敵機の姿が無いことを確認し、つき過ぎている機体の速度を落とすためとエンジンへの負担を減らすためにスロットルを落とす。
僕は自分の機体を見回し、被弾していないか、被弾しているとすれば被害はどの程度なのかを確認した。
機体は今のところ正常に飛行し続けているが、こういう確認はとても大事だ。
僕は任務を果たしたが、基地まで帰れないのでは困る。
ここは王国の領域で、パラシュートで脱出しても、以前のように敵中を突破しなければならないということにはならないだろう。
だが、周囲にあるのは島ばかりで、陸地は少ない。十中八九、海の上に落ちる。
僕は、相変わらず、泳げない。
王国の南部を飛行するパイロットには海の上を漂流することになった時に備えて救命胴衣の着用が義務付けられているし、僕はきちんとそれを身につけてはいるが、できれば海に入るのは嫌だった。
操縦席から被弾痕を幾つか確認することができたが、どうやら、機体に大きな不具合が出る様な場所には被弾していない様だった。
脱出の必要は無さそうだ。
ほっと安心した僕は、周囲の空に僚機の姿を探した。
僕の仲間たちの姿は、すぐに見つけることができた。
僕の僚機たちは僕の機体よりもやや低い所を飛んでいた。
機数は、全部で5機。すでに編隊を組みなおしている様で、僕が合流するのを待ってくれているのか、高度5000メートルほどをゆっくりと左旋回している。
僕は機首を仲間たちの方へと向け、翼を振って味方機であることを示しながら接近し、その編隊へと加わった。
僕を加えて6機となった編隊は、カルロス軍曹が長機となっている様だった。
他にいるのは、ナタリア、ジャック、アビゲイル、ライカの4機だ。
仲間たちの機体にも多少の被弾痕は見られたが、僕と同じ様に大きな損傷は受けていない様だった。
仲間が無事であったことは嬉しいことだったが、不思議なことに、レイチェル中尉の姿が無い。
中尉は、301Aの先頭をきって、敵機へと突進していった。
敵機からの防御射撃を引きつけつつ巧みな操縦で敵機へと接近することに成功し、射撃を加え、離脱していったところまではしっかりと僕も目撃している。
だからこそ、レイチェル中尉は僕らよりも先に降下してきているはずで、この場にいないのはおかしなことだった。
僕の胸の内に、小さな危機感が生まれる。
レイチェル中尉は、僕らの攻撃を成功させるために敵機からの攻撃を引きつけるという役割を果たしてくれた。
もしかすると、被弾して、大きな損傷を受けてしまったのではないだろうか?
中尉に限って、そんなことはあり得ない。そう思いはするものの、戦場では何が起こるか分からない。
僕らも必死だったが、あのグランドシタデルの搭乗員たちも必死だっただろう。
レイチェル中尉はカルロス軍曹と並び、301Aの中では最もベテランで技量に優れたパイロットだ。
そんな中尉に限って、とは思うものの、どうしても心配になってしまう。
《あの、軍曹。中尉は、どうされたんですか? 》
僕はたまらず、無線でそうたずねていた。
《ん? ああ、心配いらないよ。中尉なら、ほら、今降りて来ているところだ》
返って来たカルロス軍曹の声は、平静そのものの声だ。
慌てて僕が周囲を探すと、確かに、ゆっくりと舞い降りて来るレイチェル中尉の機体の姿を、空の中に見つけることができた。
《おぅおぅ、ミーレス。あたしの心配をするとは、なかなか殊勝な心がけじゃないか。あと10年は早いぞ! ……よぉし、301A各機、そろっている様だな! しかも編隊まで組んでお出迎えとは、なかなかやるじゃないか》
レイチェル中尉はそう言いながら降下して来ると、編隊の先頭にピタリと機体を位置させて、編隊の長機の役割をカルロス軍曹から受け取った。
《301A、今日はいい働きだったぞ。3機撃墜ってところだ。全機撃墜ってわけにはいかなかったが、まぁ、十分役割は果たせただろう。……全機、基地に帰還するぞ》
どうやら、レイチェル中尉はグランドシタデルと交戦した後、そのまま離脱せずにとどまって、僕らの攻撃の戦果がどうであったかを確認してきたために合流が遅れてしまっただけの様だった。
僕は本気で中尉のことを心配してしまったが、どうやら、そんな必要は少しも無かったらしい。
僕らは7機で出撃し、7機で帰還することができる。
戦う前は不安しか無かったが、僕らは3機のグランドシタデルを撃墜することができた。
これは、決して少なくない戦果だ。
だが、敵機は100機以上もおり、これでは連邦による爆撃を阻止できたとは言えないだろう。
そう思うと、僕はこの撃墜戦果を素直に喜ぶことができなかった。
それに、迎撃できなかった敵機から爆弾が投下され、多くの被害が出るのだろうと思うと、気分が重い。
僕らの働きによって生じる被害は確実に減ったはずだったが、もっと減らすことができないのかと、どうしても考えてしまう。
僕らは、自分たちにできることを、出来得る限りにやっている。
だが、敵はそれ以上に強大で、いつでも僕らの手の届かない先にいる。
息が詰まる様な感覚だった。
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