16-5「母の味」
僕は、ライカが微笑んでくれて嬉しかった。
誰でも大抵はそうだったが、ライカもまた、笑ってくれている方がずっといい。
彼女にはいつでも元気で、好奇心旺盛(こうきしんおうせい)なライカでいて欲しい。
ライカは僕が山盛りにして持って来た料理を少しだけ取り分けると、上品にナイフとフォークで切り分け、一口分にして丁寧に口へと運んだ。
こういう品の良いところは、やはりライカはお姫様なのだなと思わせられる。
「ん! ミーレス、このターキー、すっごくおいしいわ! 」
だが、そう言って笑顔を見せる彼女は、とても無邪気だった。
ライカはやはり、こうでなくては。
僕はそう思いながら、ライカが絶賛したターキーを小皿にとりわけた。
もちろん、僕はライカの様な上品な食べ方など知らなかったから、ナイフで小分けにしたりせず、フォークで串刺しにして塊のまま齧(かじ)りつく。
その時、不思議なことが起こった。
僕の味覚がそのターキーの味わいを知覚した時、僕の目から、急に、何の前触れもなく、涙が零(こぼ)れ落ちたのだ。
「ちょっと、ミーレス!? まさか、骨でも口に刺さったの!? 」
突然のことで、ライカが身を乗り出して僕のことを心配そうにのぞき込んで来る。
僕は彼女に向かって、ゆっくりと首を左右に振った。
「違う、違うんだ、ライカ」
そして、僕はフォークに突き刺さっていた残りのターキーを口いっぱいに頬張り、精一杯味わった。
「すごく、美味しいんだ。……それに、とても懐かしい味なんだ」
とりあえず僕が怪我をしたのではないと分かって安心した様子のライカだったが、僕がどうして泣いたのかが分からず、彼女はきょとんとした顔をして僕を見ていた。
そんなライカに、僕はたどたどしい口調で、どうにか説明をする。
最初は僕自身、どうして涙が零(こぼ)れて来たのか分からなかったが、じっくりとそのターキーを味わっていると、その理由が分かって来た。
それは、僕が故郷で家族と一緒に食べたものと、全く同じ味がしたのだ。
王国では、ターキーは家庭料理として一般的なものだった。
今日の様に、何かのお祝い事などがある時に出されるご馳走の一つで、その家それぞれに様々なレシピがあって、同じ味のものは無いとさえ言われている。
だが、一体、どんな偶然なのだろう?
僕がこの日口にしたターキーの味は、僕の家の、僕の母さんが作ってくれた味に本当にそっくりで、僕が泣いてしまったのはそのせいだった。
「ミーレス、この味が好きなの? 」
「ああ。すごく好きなんだ。それに……、ずっと、食べたいと思ってたんだ」
「ふぅん? そうなんだ。……私も、この味つけはとっても好き」
そう言ったライカは、少し何かを考えている風だったが、僕は彼女が何を思っているのかについて深く考えている余裕が無かった。
とにかく、思いもかけず出会ったご馳走に僕は夢中だったからだ。
それから、ライカと僕は、そのご馳走を堪能(たんのう)した。
僕はもっとおかわりが欲しいぐらいだったが、そのターキーは部隊の他の人々にも好評であったらしく、すっかり食べつくされてしまっていた。
残念だったが、しかし、それでも僕は幸せだった。
絶対に食べられないと思っていた懐かしい味に、再会することができたからだ。
やがて、年が変わる時間が近づき、ジャックや陽気な酔っ払いたちがカウントダウンを始めた。
そして、新しい年がやって来た瞬間、用意されていたいくつものクラッカーが打ち鳴らされ、僕らは新年を祝う喜びの声をあげながら拍手をし、新しい日々の訪れを祝った。
新しい1年の幕開けは、僕にとっては、想像もしていなかったほど素晴らしいものになった。
僕は自分の家族とは会うことができなかったが、家族と同じくらい大切な仲間たちと新年を迎えることができた。
そして、偶然にも懐かしい味とも出会うことができたのだ。
だが、その懐かしい味との再会が偶然では無かったということを、後になって知ることになった。
それは、年が明けてから数日後のことだった。
僕ら301Aを始めとした第1航空師団には、戦争が始まってから初めてとなる長期休暇が与えられており、僕らは久しぶりにゆっくりと、自由に時間を過ごしていた。
この休暇は、第1航空師団が開戦以来ずっと前線にあり続け、戦い続けて来たことに対する褒章(ほうしょう)の様なものだということだった。
第1航空師団の兵員には、これまでの分の給与に加えて、気持ちだけではあったが超過勤務分の手当ても支給されていた。
戦い続きで使う機会があまりなかったうえに、前線では現金よりも現物での物々交換の方がありがたがられていたからあまり給与などについて意識して来なかったのだが、いつの間にかかなりの金額が貯めこまれていた。
僕は元々家族に仕送りするつもりでいたから、手に入ったそのちょっとした大金に手をつけるつもりは無かった。だが、将兵の中にはクレール市へと繰り出して景気よく使う人もいる様だ。
少し羨(うらや)ましい様な気もしたが、かといって僕には今すぐに欲しいものも無かった。
何故なら、僕はかつて自分が欲しいと思っていたものを、手に入れているからだ。
パイロットになって、最高の仲間たちと一緒にこの空を飛び、様々な美しい光景を一緒に目にして、共有する。
これ以上、僕個人として何を望もうというのだろうか。
僕は、見上げることしかできなかった夢の世界を、すでにこの手にしているのだ。
もっとも、だからと言って休みの間中ずっと、基地でじっとしていることも無かった。
数日は疲労を抜くためもあって部屋でじっと休んでいたが、そうしていることにも飽きて、僕も他の人たちと同じ様にクレール市へと出かけたりした。
クレール市はかつてのオリヴィエ王国の王都だった街で、その歴史と伝統はフィエリテ市と少しも見劣りしない。
街の中にはオリヴィエ王国の王家の王宮として使われ、今ではイリス=オリヴィエ連合王国の王家の別荘として使われている古い城館や、小高い丘の上に築かれクレール市内からならほとんどどこからでも見ることができる立派な時計塔、多くの学者たちが集まっていたという古く厳粛(げんしゅく)な雰囲気を持つ大学、オリヴィエ王国由来の様々な美術品を展示している美術館など、その歴史と伝統を感じさせてくる建物や場所が数多く残っている。
それに加えて、クレール市の建物は王国の北部とは建築の様式が異なっており、クリーム色の漆喰(しっくい)で塗り固められた壁にオレンジ色の瓦(かわら)を乗せた建物たちが作り出す街並みは、見ていて少しも飽きることが無かった。
僕は市内を巡っている路面電車を利用しながら、一日中街の中を見て回った。
とても一日で全てを見ることはできなかったが、また明日も訪れればいい。
僕はとても満足して、基地に帰ることができた。
「ミーレス。ちょっと、いいかしら? 」
基地に帰ると、ライカが待っていた。
その手には、何やら、ピクニックにでも持って行くのにちょうどいい様な籠がぶら下がっている。
「ライカ? どうしたんだい? その籠は何? 」
「ターキーのサンドイッチよ。……あのね、新年のお祝いで食べたターキー、私もすごく好きだったから、自分で作れないかなって思って。炊事班の人に教えてもらったの」
どうやら、彼女は自分で作ったターキーのサンドイッチを一緒に食べないかと、僕を誘いに来てくれた様だった。
街に出かける時に僕は彼女もいっしょにどうかと思って探したのだが、思い当たる場所を探してもどこにもいなかった。
一体どこに行ったのだろうと思っていたのだが、どうやらライカは朝からずっと、料理を習いに行っていたらしい。
僕に断る理由など無かった。
僕は喜んでライカと一緒にターキーのサンドイッチを食べ、それが新年のお祝いの時に食べたターキーに少しも劣らない味わいであることを知った。
「すごい! すごいよ、ライカ。君がこんなに料理が上手だったなんて、今まで少しも気がつかなかったよ! 」
僕はクレール市の素敵な街並みを観光した後にもう一度思いがけず懐かしい味に出会うことができてとても幸せだったし、僕を誘ってくれたことが嬉しくて、ライカに惜しみの無い賛辞を送った。
実際にそれは素晴らしい味だった。
僕の家で食べられていたターキーの味と、本当にそっくりだ。
「あ、ありがと。……美味しくできていたのなら、良かったわ! 」
ライカは少し照れくさそうな様子でそう言った。
それから、実はね、と前置きして、残念そうな顔をする。
「本当はね、私の作っていたターキーは失敗しちゃったの。黒焦げになっちゃって……。何がいけなかったのかしらね? それはね、私に作り方を教えてくれた子が焼いてくれたものなのよ。切って、挟んだのは私だけれど……」
「そうだったんだ。でも、僕にもおすそ分けしてくれて嬉しいよ。とても美味しいしね。でも、本当に僕の家の味とそっくりだなぁ……。その、ライカに料理を教えてくれた子っていうのは、誰なんだい? 」
僕はそう言って、2つ目のターキーサンドイッチを頬張った。
だが、直後にライカが教えてくれた名前を耳にして、僕はサンドイッチを飲み込みそこなってむせることになってしまった。
「その子はね、アリシアって言うの」
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