16-4「新年」

 僕らは、あの、美しく、冷徹な銀翼の所属不明機を見ていることしかできなかった。

 ベルランD型を得たことで、僕らはこの戦争で初めて、機体の性能で優位に立つことができたのではないか、そう思っていた。

 だが、それは違った。

 あの銀翼の巨大な機体は、僕らを振り切って悠々(ゆうゆう)と高空を飛び去って行ったそれは、僕らにそのことを思い知らせていった。


 その一件があっても、僕らは毎日の様に王国の空を飛び続けた。

 航空機の技術的な進歩は僕の想像よりも遥(はる)かに速く、王国を守るためには僕自身もできるだけの技量を身につけなければならない。

 機体の性能が同じであるならば、後は、パイロットによって勝敗が決まることになるからだ。


 あの機体は、僕の目の前に一度だけ姿を見せた後、それっきり姿を現すことは無かった。

 僕は自分なりの危機感を持ったまま訓練に励(はげ)んでいた。

 だが、ふとした弾みに、あれは本当にこの世界に存在したのかと、疑いたくなってしまう。


 あれは、僕らが夜の空で目にした、幻なのではないか。

 それは都合のいい妄想(もうそう)に過ぎない。

 僕は確かにその機体を目撃したし、301Aの全員があの銀翼を目にしているのだ。


 僕は、あの銀翼を目にして以来、自身の胸の内に不安を抱えている。

 あれは、きっと、僕らに不幸をもたらす。

 そんな予感を、どうしても消すことができなかった。


 王立空軍では、謎の所属不明機についての扱いに困っている様だった。


 実は僕ら以外にもあの機体を目撃したパイロットがいる様で、そのパイロットたちもそれぞれの機体で追跡を試みたものの、僕らと同じ様に追いつけなかったということだ。

 そのため、目撃者たちの間では、「幽霊」「オバケ飛行機」などと呼ばれ、何かの心霊現象であるかのごとく、噂が広まっている。


 だが、複数の目撃者がいる以上、それは実在するものとして考えなければならない。

 連邦か帝国か、はたまた別の第三者か。

 その機がどこのものなのか、どこからやって来たのか、少しも分からなかったが、王国はそれに備えなければならない。


 目撃者たちからの話を総合すると、正体不明の新型機は、「見たことのない大型機」で、「全力で追跡しても追いつけないほどの高速」な上に、「高高度でも問題なく性能を発揮できる」ということになる。

 僕も実際にその姿を目撃しているのだから、心霊現象の類だという噂話に便乗するつもりは無かったが、そう信じたくなるような気持が確かにあった。


 とにかく恐ろしい高性能機だということしか分かっていないわけで、王立空軍では対策の立てようもなく、ひとまず警戒監視を強化することとしているらしい。

 もっと何かできることがあるのではないかと思いたくなってしまうが、所属不明機の正体も、王国の空を飛行していた意図も分からない以上、できることなど限られている。


 僕は1人のパイロットだ。

 そういう難しいことは、もっと上の人間が考えるべきだ。

 そう自分に言い聞かせているのだが、それでも、どうしても不安感をぬぐえなかった。


 しかし、日々は何事も無い様に過ぎていった。

 前線では、友軍が連邦の冬季攻勢を完全に撃退し、冬季攻勢が開始された当初の位置まで戦線を押し上げ、お互いに次の一手を思考しながら睨(にら)み合いとなっていて、表面上は平穏だ。


 それに、あの銀翼の機体は、僕らの目の前に姿を現さなくなった。

 このせいもあって、あの機体についての噂話にはさらに尾ひれがついて広まりつつあったが、一見すると僕らの頭上は平和だった。


 そしていつの間にか、僕らは新年を迎えることになっていた。


 どこの国でも大抵はそうだと思うが、王国にとっても新年は大きなイベントだった。

 無事に1年間を過ごせたことに感謝しそれを喜び、次の1年に幸多いことを祈る。

 ありふれたことかもしれないが、とても素晴らしいことだ。


 それに、何と言っても、お祭り騒(さわ)ぎだ。

 王国で新年の一般的な過ごし方と言えば家族と一緒にいることが多かったが、冬でも温暖な王国の南部では、それとは流儀(りゅうぎ)が違っている。

 その日は街の酒場やレストランなどが夜通し営業し、人々はそこで飲食やおしゃべりを楽しみ、そして真夜中になって新年を迎えると一斉に通りに出てきて、知らない人同士でもハグをして、新年の幸運と健康を祈るのだそうだ。


 僕には馴染みのない習慣だったから参加してみたいという気持ちはあったのだが、誰彼構わずハグをするというのには少し抵抗もあった。

 戦争中とはいえ、新年ともなると王立軍の多くの将兵も休暇だった。だから外出して街へ繰り出し、王国南部の地域における新年の風物詩を楽しみに行く人も多かったのだが、僕は遠慮することにした。


 自分でも消極的すぎるかなとは思うのだが、僕が思い浮かべる新年と言えば、家族で1つの部屋に集まり、暖かい暖炉の火で照らされる中、みんなでご馳走を食べるというものだ。

 牧場の新鮮な材料をたっぷり使った様々な料理。それをみんなで分け合いながら、夜通しおしゃべりを楽しむ。

 その日だけはまだ幼い弟や妹たちも夜更(よふ)かしが許されていて、気が済むまで一緒に遊んだ記憶がある。


 僕は、家族が恋しかった。


 僕の家族は、この戦争の中、一体、どうしているのだろうか?

 どんな新年を迎えようとしているのだろう?


 父さんは生きているということを僕自身の目で確認できたが、その後どうなったのかは連絡がない。

 多分、手紙を出そうにも、宛先が分からずにいるだけだとは思うが、少し心配だった。


 父さん以外の家族については、今、どこで何をしているかは全く分からない。

 父さんから、僕の家族はもっと南へ向かって避難したとは伝えられているが、その後の消息は何も伝わってこない。

 とても心配だった。


 僕の記憶の中ではまだ幼かった様な弟や妹たちも今ではもっと大きくなっているはずで、母さんを助けてうまくやっているはずだったが、きっと、慣れない土地で苦労をしているのに違いなかった。

 そして、王国中に、僕の家族の様に住み慣れた土地を追われ、穏やかな新年を迎えずにいられる人々が大勢いるのだ。

 そう思うと、僕はたまらない気持ちになる。


 僕らの多くは家族と会うことができない新年を迎えることになってしまったが、それでも、少なくともご馳走にありつくことはできた。

 新年くらいせめて、という気持ちで、軍も奮発してくれた様だった。


 レイチェル中尉やカルロス軍曹、クラリス中尉に、アビゲイル、そしてナタリアなどは、新年のお祭り騒ぎを目当てに多くの人々と一緒に街へと繰り出して行った。

 残った僕らは普段はブリーフィングルームとして使っている部屋を貸し切り、臨時のパーティ会場として新年を迎える準備を済ませた。

 僕は家族と会うことができないが、今は、301Aの仲間たちが家族の様なものだから、これはこれでいい新年の迎え方だろう。


 僕らは新年を待つ間、用意されたご馳走を分け合いながらおしゃべりを楽しんだ。

 ジャックやライカは北部の出身で、僕と同じ様な新年の過ごし方をしていたから、今年の終わりを十分に楽しめている様だった。


 ジャックは少しだけ酒を飲んだらしく、いつになく上機嫌で冗談を言って回っている。なかなかウケが良いらしく、あちこちで笑い声がした。

 ジャックは元々面白い奴だったが、少し酒が入るともっと愉快になる様だった。


 ライカはと言うと、彼女も楽しそうではあったが、その表情には少し影がある。


 僕は、蝋燭(ろうそく)の明かりに照らされながら、彼女がうつむいて小さく呟くのを目にした。

 何と言ったのかは分からなかったが、恐らく、「お父さま」と言った様だった。


 かつて、王国の王であったシャルル8世が亡くなった時のことを思い出す。

 ライカはその時、まるで本当の父親を失った様に悲しんでいた。


 親しい間柄の人を戦争で亡くす、というのはどんな気持ちなのだろう?

 僕には想像もつかなかったが、きっと、辛いに違いない。

 何とかして、励(はげ)ましてあげたかった。


 そう思った僕は、近くのテーブルにあった料理を手当たり次第に取り皿へと山盛りに盛り付けると、ライカが座っている席の正面に腰かけた。


「ミーレス? 」

「ライカ。一緒に食べよう。ほら、美味しそうだよ」


 断りもなく急に正面に座った僕にライカは少し不思議そうな顔をしたが、そんな彼女に僕は持って来た料理を勧めた。

 僕には彼女にかけるべき言葉が思い浮かばなかった。だが、こんな時には、美味しいものをお腹いっぱい食べても元気になれるものだ。


 僕は豪快に料理を食べて見せた。

 それで、彼女に僕の意図が少しでも伝わってくれればいいと思った。


「……ありがとう、ミーレス」


 ライカは、少しだけ微笑んでくれた。

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